若敖氏討伐
楚で乱が起きようとしていた。
子越が楚の荘王を殺そうと軍を出したのである。彼が軍を出したのは蔿賈を殺したためである。
殺した理由は蔿賈が子揚を貶めて殺したようにやがて自分を始末するだろうと考えたためだ。
ところで蔿賈は何故そのようなことをしたのだろうか?
その理由は荘王が直ぐ様、軍を編成し、子越のいる臯滸へと素早く動いていることにあるのではないか。つまり荘王はこうなることを予見していた。いや、そうなるよう望んでいたのではないか。
つまり蔿賈が子揚を貶めたのは荘王の意向に沿ったものではなかったのか。だとすれば荘王は蔿賈が子越にと怒りを買う行動に仕組んだことになる。
そうであるとすれば疑問が残る。蔿賈は軍事的な才能を持っている貴重な存在であったはずなのだ。そんな彼を見捨てるような真似をしたのは何故であろうか。
もしかすれば、荘王にとって彼はいらない才能だったのかもしれない。荘王自身が軍事における才覚を持っている。その才覚を持っているために蔿賈を必要とはしなかった。また、荘王と彼との才覚においては荘王の方が戦略的才覚において彼に優っていることも理由の一つであろう。
しかしながらただ切り捨てるだけでは、恨みだけを買う。そこで子越ら若敖氏討伐への大義名分のために死なせたのではないのか?
話しは今に戻す。
荘王は直ぐ様、矛を合わせたわけではない。荘王は三王(文王・成王・穆王)の子孫を人質に送って講和を求めている。
だが、子越がこれを拒否することは予想している。
彼は過激に見えて、実に慎重である。一つ一つ丁寧に丁寧に事を進めている。
漳澨(漳水の岸)に駐軍した後、七月、遂に子越と決戦を行った。
子越は猛将である。彼が荘王に向かって矢を射ると、その強矢は車轅(馬牛や人が車を牽く部分)を越えて鼓架を通りぬけた。丁寧(銅鉦)に中った。驚くべきことであるが荘王に対しては低すぎる。
更に二発目の矢も車轅を越えて車蓋を貫いた。今度は高すぎた。
それでも荘王の将兵はこの子越の矢の勢いを見て恐れ、退却しようとした。
しかし荘王は平然とした。どんなに剛力であろうとも中らねば怖くはないのだ。
彼は陣中の各所に部下を分派してこう伝えた
「我が先君・文王が息を破った時際、三本の矢を得た。子越はその内の二矢を盗んだが、既に使い果たしてしまった。故に恐れる必要はない。進めぇ」
荘王が戦鼓を叩いて前進を命じると、将兵は一気に前進した。子越ら若敖氏は将兵に猛攻に耐えきれず、敗れて滅亡した。
滅亡したとは言ったが完全に滅亡はしていない。子文の孫にあたる箴尹(官名)・克黄(恐らく子揚の子)が使者として斉を訪問していた。彼が若敖氏の乱を知ったのは帰国途中の宋でのことである。
従者は
「国に入るべきではない」
と言ったが克黄は首を振り言った。
「君命を棄てるような者を、誰が受け入れるというのだろう。君とは天だ。天から逃げられると思うか」
彼は楚に帰国し復命すると自ら縛って司敗(法官)に出頭した。
荘王は彼の態度は王に対する態度であると感じた。また、子文の治国による功績を認めていたため、
「子文の子孫がいなくなってしまえば、人々に善を勧めることができなくなる」
克黄の官を元に戻し、「生」に改名させた。
彼は軍事的な才能に溢れている。自分が自由に軍を動かしたいために若敖氏を滅ぼしたのである。彼が子文のことを認めていたのは、自分の軍事行動を支えてくれる内政家がいないという思いの表れではないか?
子越の後、令尹に任命したのは、虞丘子という老人である。
「おやおや、王様や。この老骨を死ぬまで働かそうとは、やれやれ人使いの荒い方じゃ」
飄々としたご老人である。
「良く言うはこの爺は」
荘王は彼のことは尊重していた。
「爺以外にその職務を担える者がいないのだ。働いてくれ」
虞丘子は笑う。
「ほっほっほっ、嬉しいことを言って下さる方じゃ。しかしながら王様やわしよりも良き者がおる」
「ほう、それは誰だ?」
荘王はこれでも虞丘子の才能を高く買っている。そのため彼が勧める者に興味を覚えた。
「じゃが、今は招かぬ方が宜しいでしょうな。暫し時がいるでしょうからな」
「何故だ。まさか若敖氏の者か?」
「いやいや、違いまする。蔿賈の子でございまする」
「なるほど蔿賈の子か……して、その者の名は?」
荘王は目を細めて問うた。
「名は孫叔敖でございまする」
「孫叔敖……」
荘王は目を閉じ、その名を頭に刻んだ。その後、冬に入ると鄭に侵攻した。
その頃、柩がある家に運ばれていた。入っているのは蔿賈の遺体である。
彼の家族は涙を流しながらその柩を受け取った。
「謀反人に囚われ、殺されるとはなんと無念であったことでしょう」
蔿賈の妻が泣き、それに釣られて周りの者も泣き出す。
「しかしながら我が王はその仇を取ってくれました。ありがたいことでございます」
また、家族には品物も届けられていた。王に配慮されていることは彼らにとって、嬉しいことであった。
(仇を取ってくれたか……)
ここに一人の青年がいた。青年は王宮の方へ目を向ける。
(子は親の仇を討たねばならない。ならば、私の仇とは……」
「どうしたの?」
母が彼に聞いた。
「何でもございません。母上」
青年……孫叔敖は母の元へ歩き出した。彼こそが後に名宰相と讃えられる青年である。




