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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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食指が動く

 紀元前605年


 正月、魯の宣公せんこうと斉の恵公けいこうが莒と郯を講和させようとした。何で揉めてたかは不明である。しかし莒はこれに従おうとしなかった。


 これに怒った宣公は莒を討伐して向邑を占領した。


 君子たちは乱(動乱・戦争)によって乱を収めるのは非礼であるとこれを非難した。


 この時期、秦の共公きょうこうが死に、子の秦の桓公かんこうが立った。(翌年という説もある)


 この頃、楚が鄭の霊公れいこう黿すっぽん(大亀)を贈った。


 鄭の公子・そう(字は子公しこう)と公子・帰生きせい(字は子家しか)が霊公に会い行く時、子公の食指(薬指)が動いた。(これが食指が動くの語源になる)


 子公が子家にそれを見せて言った。


「以前もこのようなことがあった。異味(美味)にありつけるはずだ」


 二人が入朝すると、宰夫が楚からもらった黿を調理していた。


「ほら見たことか」


「ああそうだな」


 二人は互いの顔を見て笑った。


 そこに霊公が来て何を笑っているのか尋ねた。


「何故、笑っているのだ?」


 笑いながら子家が理由を話した。


「ほほう」


 霊公はにやりと笑いながら、戻っていった。


 暫くすると、霊公が黿の料理で諸大夫をもてなした。ところがここで奇妙な光景があった子公だけ料理がないのである。


 これは宰夫の間違いというわけではなく、霊公の悪戯であった。


 彼と子公は立場の違いはあるが兄弟である。兄弟気分での悪戯を仕掛けたのであろう。


 されどこれに子公は怒った。確かに兄弟ではあるものの、彼にも立場というものがある。それを愚弄した真似をしたことに怒りを覚えるのは当然である。


 子公は指を鼎に入れると、それを舐めて出ていった。


 この子公の無礼に霊公が激怒した。悪戯をした彼の方が悪いがこういう感情的な状況だとそういったことは通用しない。子供の喧嘩と同じである。しかしながら彼らは子供ではなく大人であり、権力をもっており、霊公は国君なのだ。彼は子公を殺そうとした。


 危険を察した子公は子家に謀反を相談した。しかし子家が言った。


「老いた家畜が相手でも殺す時にはためらうものだ。相手が国君ならなおさらではないか」


 すると子公は家臣を使って逆に霊公に対して子家を讒言を行った。


 子家は恐れて子公に従うことにした。


 六月、霊公が殺された。最初は「幽公」という諡号が贈られたが、後に「霊公」に改められた。


 これに巻き込まれた形となった子家だが、この件でもっとも非難されているのは彼である。何故かと言えば、つまり彼は子公の逸脱した行為を止められなかったことに彼の責任があるとしたのである。これは趙盾ちょうとんの件にも似ている。人の上に立つ者は下にいる者の行為に対し、責任を持たねばならないのだ。


 さて、国君がいなくなったため鄭人は子良しりょうを国君に立てようとした。


 子良は公子・去疾きょしつといい、穆公の庶子で、霊公の弟にあたる。しかし子良は


「賢においては、私は不足し、順(序列)において、公子・けんが長じております」


 と言って断った。公子・堅は子良の兄である。


 こうして公子・堅が即位した。これを鄭の襄公じょうこうという。


 襄公は穆氏(穆公の庶子。襄公の兄弟)を駆逐し、子良だけを国内に残そうとした。これは子良への感謝と此度の霊公弑した件に対し、穆氏らへの警戒の現れである。


 しかし子良はこれに反対した。


「穆氏が存続することは私の願いです。もしも穆氏が亡ぶのであれば、私だけ残っても意味がありません」


 襄公はこれを聞いて、放逐することをやめて穆氏を全て大夫にした。後に罕・駟・豊・游・印・国・良の七氏が「七穆」という名家として、その家系を継承していくことになる。











 鄭が少し、荒れた中、楚でも動きがあった。


 かつて楚の司馬・子良しりょう子越しえつを産んだ時、子良の兄で令尹の子文しぶんが子越を見て言った。


「殺すべきだ。この子はの容姿は熊や虎に似ており、声はまるで狼のようだ。殺さなければ若敖氏を滅ぼすことになるだろう。『狼の子には野心がある』という諺もある。この子は狼だ。養ってはならない」


 しかし子良は同意しなかった。


 そのため子文は子越のことを憂い続け、死ぬ前に家族を集めてこう言った。


「子越が政治をするようになったら、さっさと国から立ち去れ、そうすれば難が及ぶことはないだろう」


 その後、涙を流し、


「鬼(霊。祖先)が食を求めたようにも、若敖氏の鬼は飢えてしまうだろう」


 若敖氏が亡ぶため、祭祀を行う者がいなくなってしまうという意味である。彼は名宰相と言われた人物だが、その最後は将来を憂いながら死んだ。


 子文は令尹の職を子玉しぎょくに譲り、蔿呂臣いりょしん子上しじょう成大心せいたいしん成嘉せいかと継ぎ、子揚しよう闘般とうはん)が令尹になり、子越は司馬に任命された。


 暫くして、工正になった蔿賈いか)が子揚を讒言して殺した。子越が令尹に、蔿賈が司馬に昇格した。この彼の動きに子越はやがて自分を殺し、己が令尹になろうとしているのではないかと疑った。


 その後、若敖氏の族人を使って蔿賈を轑陽で捕え、これを殺した。しかしながら蔿賈は楚の荘王そうおうのお気に入りである。彼を殺してしまった以上、処罰されることは確実である。そこで子越は烝野(地名)で荘王攻撃の準備を進めた。


 蔿賈の死と子越が戦を起こそうとしていることは荘王に知らされた。


(さあ、遂に来たか)


 荘王はその報告ににやりと笑った。



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