晋の霊公
夏、秦が晋を攻撃した。昨年の崇の役の報復である。秦軍は焦を包囲した。
これを受けて晋の趙盾が焦の救援に向かったが、秦は戦わずに兵を退いた。
「これでは我が国が兵を出した意味がありません。宋のために鄭を攻めましょう」
趙穿がそう主張した。
だが、これに諸将は反対した。この度の出兵は秦の侵攻を防ぐことが目的なのだ。秦が退却したことでそれはなったのだからこれ以上の戦闘はするべきではないというのが、彼らの意見である。
しかし、趙穿は盟主として威を示さなければならないとし、鄭侵攻を主張、趙盾は悩んだが、これを受け入れた。
晋軍はそのまま陰地を発し、諸侯(宋・衛・陳)の軍と合流、大棘の役の報復のため鄭に侵攻した。
鄭から救援の使者が来たが、楚の荘王は救援を送る気はなかった。
(大した侵攻ではない)
晋の意味の無い侵攻であると彼は考えたのである。
そんな中、闘椒(字は子越)が鄭の救援を主張した。荘王はこれを許可しなかった。しかし子越は、
「諸侯の信を得るためには困難を恐れてはならない」
と言って勝手に軍を動かして鄭に駐軍した。
これに荘王は激怒したが、頭は冷静である。
(ここで子越を処罰するのは難しい)
子越は若敖氏で、その権力は楚の中ではとても大きい一族である。彼らを処罰するには準備が足りない。
(王としての権威を如何なる者も脅かすことは許さん)
彼は若敖氏を始末する準備をこの頃から考え始めた。
一方、楚の救援軍の存在を知った晋の趙盾は
「彼の宗族が楚で権力を争っていると聞いている。間もなく倒れるだろう。今回は我々が退いて彼等をますます驕慢にさせ、その禍を大きくしてやろうではないか」
と言って撤兵を決めた。趙盾が深い洞察力があったというよりは、ここまでの連日の軍事行動で兵は疲弊しており、楚と戦闘を行うことも想定していない。そのためこれ以上は無理であると考えたのである。
だが、彼が言った通り、若敖氏は二年後に内乱で滅ぼされることになる。
この撤退に不満であったのは、趙穿である。彼は戦での功を挙げるのに焦っていた。
(これでは……)
彼は自分たち趙氏が晋の霊公に目の敵にされていることを知っている。彼は趙盾よりも鈍感ではないのだ。
(我らは功臣の一族なのだ。それを除こうとする主公は愚かだ)
趙穿はそう考えており、戦で功績を挙げることで、霊公側で趙盾を害そうとするものたちを黙らそうとしていたのである。
晋の霊公は国君にふさわしいとは言えない人物であることは誰もが思っていた。彼は重税をかけて宮殿の彫刻や壁画を作らせたり、楼台に登ってはじきを打ち、それを避けて逃げる人の姿を見て遊んでいた。そのため周りの者も霊公には不快感を抱いていた。
ある日、宰夫(国君の料理を作る官)に熊蹯(熊掌)を料理させたが、まだ煮足りなかったため霊公は怒ってこれを殺し、蒲草で編んだ箱に入れて、婦人に運び出させた。
婦人がこの大荷物を大変な思いで運びながら朝廷を通った時、たまたま趙盾と士会が一緒に歩いており、箱から出た手を見つけたため、婦人に問い詰めた。
「これは何だ」
「実は……」
二人は霊公の暴虐を知って憂い、
「これはいけない。諫めなければ」
趙盾が諫言しようと霊公の元に行こうとするのを士会が止めて言った。
「あなたが諫言して、もしも主公が聞き入れなければ、今後、これに続く者がいなくなってしまいます。先ずは私が行きましょう。私が駄目であった時、これに続いてください」
趙盾が頷くと士会は霊公の元に行った。
霊公は中庭にいた。士会はこれを追いかけて中庭で二回諫言したが、霊公はこれを無視した。しかし堂の下まで来て三回目の諫言をすると、霊公は振り向いて言った。
「私は過ちを知った。今後改める」
しかしながら霊公の言動はまるで子供が拗ねるような感じであった。そのため反省はしていないと考えた士会は稽首して言った。
「人は誰でも過ちを犯すものです。過ちを犯しても改めることができれば、それは最大の善と言えましょう。『詩経(大雅・蕩)』に『良い始まりは難しくないが、良い終わりは珍しい』とあります。これは過ちを犯した時、それを補える者が極めて少ないことを言っているのです。主公に良い結果が生まれれば、社稷が安定します。群臣だけが主君に頼っているのではありません」
今からでも遅くない。社稷のためにも善を行って欲しいという願いである。
「『詩経(大雅・烝民)』にはこういう句もあります『天子に過失があった時、仲山甫だけが補えた』このように過ちとは補うことができるものです。国君が過ちを改められれば、袞(天子や上公の礼服。ここでは諸侯の地位。または社稷)を失うことはないのです」
ここに出てくる仲山甫とは周の宣王の卿士で宣王中興を実現させた名臣であり、覇者として周王を援けるべき立場にいる霊公を仲山甫としているのだ。
ここまで言って彼は霊公を見た。
(ああ、この方は……)
霊公はまるでいたずらをして親に怒られたような表情を浮かべていた。霊公という人は身体は大きくなったが、心は子供のまま成長してしまったのだ。
そう考えると彼のここまでの行動はいたずらをして、親の気を引きたかっただけではないか。彼の父である襄公はいない。いるのは母と自分を擁立した趙盾だけである。そして、彼は母の愛ではなく父の愛を趙盾に望むようになっていた。
彼は趙盾に構って欲しいだけなのかもしれない。
彼の行動に対し、趙盾は叱りはする。構ってあげているようには見えるが、その実は趙盾は自分の正しさだけを押し付けているだけである。
悪いことをした子供を叱ることは大切だ。されどそこに何が悪かったのかを納得させることが必要なのだ。
(趙盾は叱り方が下手だ)
それが、きっかけであろう。そのためいけないことをしてはやってはならないというのを理解せずに成長してしまった。それでも趙盾は国君としてのあり方を霊公に教えるだけである。それはどこか他人行儀でもあり、霊公が望んでいる反応ではない。それが霊公にとって苛立たせた。
子は親に叱ってほしい時がある。しかし、趙盾は本当に叱るということはしないのだ。叱ってほしい霊公はいたずらを更に続けていき、やがて度を越し始めたのが今の状況であろう。
そこまで考えながら士会は趙盾の元に戻っていた。
「どうでしたか」
「行いを改めるとのことでした」
「そうですか……」
趙盾はため息をつく。
「主公にも困ったものです」
「そうですな」
度を越し始めた行動に対し、趙盾は諦めの感情を抱くようになっていく。それは霊公から心が離れていくということである。
(それが主公を更に苛立たせる)
霊公は趙盾に求めていた父性の愛が憎しみへと転じていき、もはや、修正が効かなくなっている。そのため今では趙盾を貶めるような行為をするようになっている。それでも趙盾は今までどおりのことしかやらない。それは無視されているようなものである。
(無視されることはもっとも辛い)
自分を否定されているように感じるからだ。
そう言った感情を押し殺すことができるのが、国君に求められる資格であろう。その点、霊公はやはり国君には向いてない。彼の不幸はその国君の座についていることであろう。
されど霊公は国君であり、趙盾は正卿である。その二人が対立しているとなっていれば、周りの者が騒ぎたて、関係のない者まで巻き込んでいく。誰も幸せになることができない。士会はそう思った。




