少年たちの考察
本日二話目。ご注意ください
紀元前608年
魯の公子・遂(東門襄仲)が宣公の命を受け、斉に赴き夫人(姜氏)を迎えに行った。宣公の婚姻のためである。
夏、今度は季孫行父が斉に行き、財物を納めて会盟を求めた。斉の恵公はこれに同意し、宣公と平州で会見を行い、宣公の魯君としての地位を確認した。
その後、公子・遂が斉に入り、謝意を伝えた。
六月、宣公が恵公の支持を得て即位できたことを感謝し、済水以西の田(地)を斉に譲った。魯は斉に対し、大いに配慮して関係を良くしていった。
この頃、晋が河曲の戦いで趙盾に従わなかった者への懲罰をし始めていた。特にこの処罰で大きなかったのは下軍の佐であった胥甲が衛に追放されたことである。胥甲の後は胥克が胥氏を継いだ。
胥甲に仕えていた大夫・先辛は斉に奔ったという。
「何故、正卿殿は今更、このようなことを蒸し返したのでしょうか?」
郤克が士会に訪ねた。
「何故、私に聞くのだ。父上がいらっしゃるだろう」
郤克の父、郤缺の方が、自分よりも正卿・趙盾に近いはずなのだ。
「父上は勿体つけて答えてくれぬのです」
彼は口を尖らせる。
「答えてくれぬということは自分に考えよとのことだ」
士会は笑いながら言った。
「士会殿も父上もそればかりでございます」
不貞腐れながら彼は士会に部屋から出た。そして、そのまま帰ろうとした時、同い年か少し下の少年が横切った。
「燮殿」
郤克が名を呼ぶと少年は振り向いた。彼の名は士燮という。士会の息子である。
「克殿」
士燮は拝礼をする。
「君との中じゃないか。固苦しいのは無しにしようよ」
「でも、父上はどのような者にも礼を持って接すべきだと言っていました」
郤克からすると士燮は良い人ではあるものの、真面目すぎるという印象を受ける。
「では、私は勉学の時間なので、これで……」
「ちょっと待っておくれ、もっと君の部屋で一緒に話そう」
彼が去ろうとするのを郤克は止めた。
「しかし、父上が……」
「いいじゃないか」
「でも……」
「士会殿は優しい方だ。少しぐらい許してくれる」
そう言って郤克は強引に彼についていった。
士燮の部屋で二人は話す。
「実は士会殿と父上に正卿殿が胥甲殿を追放したことを聞いたんだ。でも答えてくれないんだ」
「それでは自分で考えろということではないのでしょうか」
「そう言われたけど、どうしてもわからないんだ」
郤克は首を振って言った。
「それでは、私にはどうしろというのでしょうか」
「だから、二人でそのことを考えようということさ」
「私もですか?」
「ここにいるのは君と僕しかいないじゃないか」
「わかりました。考えてみます」
士燮はしばらく考えてみて、口を開いた。
「単純に考えれば、これは正卿が自分の権力を拡大するために行ったものかもしれません」
「でも、それならば、今ではなくとももっと前でも良かったはずなんだ」
郤克も同じ答えは持っていた。
「そうです。何故、この時になって蒸し返したのかということを考えなければなりません」
士燮は指を二本立てる。
「私は二つの理由のどちらかではないかと考えました」
「二つ」
「そうです。先ず、一つ。胥甲様が正卿様に対し不快なことを行い、正卿は恨んで処罰を行う上での理由にした」
つまり人の粗探しをした結果の行為であったということである。
「もう一つ、これが正卿様の意思ではなく別の者の意思であるというということ」
「別の者」
趙盾は正卿であり、位人臣を極めている。そのような者の他に意思を通せる者がいるとすれば、限られている。
「そうです。その者とは……」
その時、部屋の扉が突然、開いた。二人は驚き扉の方を向くとそこには士会が立っていた。
「あ、士会殿。実は先ほどのことを話していまして」
「知っている」
郤克はそう言うと士会は短く答え、目を吊り上げながら息子を見る。いつもとは違う様子の士会に驚きながらもそれ以上に隣でガタガタと震えている士燮の様子にも驚いていた。
「克殿、父上がいらっしゃっている。父上の元へ戻りなさい」
目は士燮の方に向けながら士会は言う。
「はい、わかりました。されど、士会殿。私たちは何もやましいことはしておりません。だから……」
「父上」
郤克の隣で震えている士燮は士会に対し、頭を下げる。
「勉学の時間にも関わらず、勉学を行っておらず申し訳ありません」
すると士会はかっと目を怒らせて怒鳴った。
「それがわかっていながら何故、勉学を行っておらんのだ」
彼は杖を取り出し、それで士燮の頭を叩きつけた。これに郤克は大いに驚く。
「孺子めが、先ほどまでの会話も聞いていたぞ。孺子風情が何を知ったようなことを言っているのだ」
もう一回、士会が叩こうとすると、
「叔父上、お止めください」
それをたまたま、郤缺と共に来ていた士渥濁が止めに入った。
「放してくれ、これは親子の問題なのだ」
「いいえ、放しませぬ。お客人の前ですぞ」
彼がそう言うと、士会は流石に大人しくなるが、目は息子をじっと見ていた。
「燮、大丈夫か」
士渥濁が士燮の傍に駆け寄ろうとするが、
「近づくな。自分で立てる」
士会が止める。すると士燮は涙目になりながらも立ち上がり、誇りを払って容儀を正して再び座って頭を下げた。
「父上、申し訳ありませんでした」
「わかれば良し」
息子が反省していると判断し、士会は頷いた。
その様子を唖然として見ていた郤克の元に郤缺が近づいてきた。
「父上……」
郤克が父に声をかけるが郤缺は答えず、士会の方を向き、頭を下げる。
「申し訳ない」
「いえ、こちらこそ、見苦しい真似を見せました」
士会もまた頭を下げ、後ろでは士燮も頭を下げていた。郤缺は頭を上げると郤克を連れ、士会の屋敷から出た。
「父上、士会殿があれほど怒りを顕にするとは思っていませんでした」
郤克からすると士会は優しい人であった。そんな人があのような怒り方をするとは思っていなかったのである。
「真に息子を愛しているが故にあそこまで怒るのだ。克よ、士会殿はお前が思っているよりも多くのことを考えながら生きている。士会殿の傍にいるのであれば、そういったことも学べ良いな」
「どういう意味でしょうか?」
「己の頭で考えよ」
息子の疑問に郤缺はそう答えるだけであった。
後日、士会と郤缺は朝廷で顔を合わせた。
「先日は申し訳なかった」
「こちらこそお見苦しいものをお見せした」
郤缺と士会は互いに頭を下げる。
「しかしながら息子の言葉には驚いた。なるほど才気が人を振り回すということはあるかもしれないですな」
士会はそう言った。
「昔の自分を見ているようですかな?」
「お恥ずかしい限りです」
そんな彼の様子に郤缺は笑みを浮かべる。
「あの子は才気がありすぎる。そのためあのようなことを簡単に口に出してしまう」
「だが、燮殿の言葉を聞き関心するところもありました。確かに可能性はある」
今回のことは趙盾以外の意思が関係しているという見方はなるほどと頷ける部分があった。
「だからこそ、恐ろしくもある。息子に才気があることは本来、嬉しがるべきであるのにも関わらず……」
郤缺は目を細めながらいった。
「子を思いやるが故ですよ」
士会は恥ずかしそうにしながら話しを変えた。
「しかし、あの子の言葉を信用するのならば、溝が更に大きくなっているようだ」
「そうですね。とても危険な傾向にあると言っていいでしょう」
「困ったものだ。このようなことをしている場合ではなかろうに」
「人と人の争いというものはそういうものですよ。そして、それに熱中していると本来見えるはずのものが見えない」
特にこのような感情的な対立は尚更である。
「趙盾殿は身を引かれた方が良いのではないか?」
士会としてはそれが解決の早道に思える。
「いえ、ここで変に権力を手放す方が危険だと思いますがね」
郤缺は首を振って答えた。
「まあ、あの方はそのようなことを考えてもいないでしょうが」
「待て、まさかここまで来て、気づいてないのか。あの方は」
唖然とした表情を浮かべる士会に対し、彼は笑って答えた。
「あの方の鈍感さは舐めない方が宜しいと思いますよ」
(だからこそ主公は苛立つのでしょうね)
彼は心の中でそう呟いた。




