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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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莒僕

 莒の紀公きこうには太子・ぼく季佗きたという二人の子がいた。紀公は季佗をとても愛したため、太子・僕を廃した。


 元々、紀公は礼から外れた行いが多かったため、莒僕きょぼくは国人の援けを得て紀公を殺した。しかしながら彼は即位はせず、国の宝玉をもって魯に亡命した。


 魯の宣公せんこうは僕人(官名)を送って季孫行父きそんこうほに書を送った。そこにはこう書かれていた。


「莒の太子は私のためにその君を殺し、宝玉を持って帰順した。私を非常に慕っているからだ。本日中に一邑を与えよ。命に逆らってはならない」


 僕人が書を届ける途中、たまたま里革りかく)(太史・こく)に遭遇した。


「どこに行くのか」


「主公よりの命により、季孫行父殿の元にこれを届けに行くのです」


 彼は書を見せた。すると里革はそれを取り、中身を読んだ。


(これは……)


 里革は筆を取り出し、その場で内容を書き換え始めた。僕人はあっと思い、取り返そうとしたが、里革は書くのが速い。あっという間に内容をこう変えた。


「莒の太子はその君を殺し、宝玉を盗んで出奔してきた。彼の者の凶悪を知ることなく、我々に近づこうとしている。私のために夷(東夷)に放逐せよ。今日中に行え。命に逆らってはならない」


 里革はこれを僕人に渡すとその場を離れた。僕人は仕方なく、このまま季孫行父に渡した。書を受け取った季孫行父は司寇に命じて莒僕を追放させた。


 翌日、司寇がこのことを宣公に報告すると、宣公は僕人を譴責した。僕人は里革が命令書を書き換えたことを話し、許しを請うた。


 それを聞いた宣公は激怒して里革を捕えた。


「君命に逆らった者に対する刑を汝は聞いたことがあるか?」


 怒りのまま宣公が言うと里革が答えた


「私は死を持って筆をとったのです。それが何の罪に当たるか、知らないはずがありません。しかし、『法を破壊する者は賊、賊を匿う者は臧、宝を盗む者は宄(内に潜む奸人)、宄がもたらす財を使う者は姦(大悪)である』と申します。臣下として主公を藏姦の者としてはならないと考え、命令を書き換えました。されど私が君命に逆らったことは事実です。処刑されて当然でございます」


 宣公は、


「私が貪婪であった。汝の罪ではない」


 と言って彼を釈放した。















 二年前、宋で昭公しょうこうが殺され文公ぶんこうが即位した。


 文公は国をより良い国にしようと政治を行っていた。しかし、彼の政治に不満を持っていた者たちがいた。武氏(武公ぶこうの子孫)と穆氏(穆公ぼくこうの子孫)である。


 彼らは文公の人事に不公平があると考えていた。特に華元かげんが右師になったことは大きな不満であった。


 そのため昭公の子を擁し、司城・(文公の同母弟)を主にして謀反を計画し始めた。しかしながら彼らの動きは直ぐに知られた。


 華元は自分が右師になったことに不満を持つ者はいるだろうと思っていた。そのため不満を持っているであろう一派には間者を派遣していたのである。


(しかしながら弟殿がこれに加わっているとはな)


 須は元々文公に信頼され、司城の職に就いたのである。本来であれば、文公側にいるはずの人物なのだ。


(それほどに私が右師になったことが気に入らなかったのか)


 もしくは彼は兄が国君になれたのを見て、在らぬ野心が生まれたのか。武氏、穆氏らに唆されたのか。


(どれかにしろ、主公を死なす訳にも、乱を大きくするわけにはいかない)


 華元は陰謀を文公に報告した。


 陰謀を知った文公の態様は早かった。


 十二月、弟の須と昭公の子を直ぐ様、殺して戴公たいこう荘公そうこう桓公かんこうの族人(戴族は皇・楽・華の三氏、荘族は仲氏、桓族は向・魚・蕩・鱗の四氏)に命じて、司馬・子伯(華耦かぐうの字。この時は既に死んでいる)の館で弟と偽って誘い出し、武氏と穆氏らを攻撃させた。


 たまらず武氏と穆氏の族人は国を逐われ、去っていった。彼らが向かった先は曹である。


 文公は公族らへの警戒を強めたが、華元がこれを諌めて彼らへの積極的な登用を勧めた。文公はこれを受け入れ、公孫師こうそんし(荘公の孫)を司城に任命し、暫くして司寇の公子・ちょうが死ぬと、楽呂がくりょ(戴公の曾孫)を司寇に任命した。


 このように積極的に諸公子を用いることで公族間の争いを収束させ、国内の人心を安定させることに成功したのであった。














 宋での反乱が大きくなるどころか事前に鎮圧されたことを遠くの地で知った男がいた。男は報告を聞いて舌打ちをする。


(全く、使えん連中だ)


 宋の武氏と穆氏が不満を持っていることを知り、宋君の弟に男は近づき、これに近づいて事がなったら以後、武氏と穆氏を煽ってくれれば、良い関係を築こうと誘った。相手はそれに上手く乗ったが結局、彼らは失敗してしまった。


(まあ、良い。こちらには何ら被害は無いのだ)


 兵を用いず、国を得る良い機会と思ったが、自国は何も失ってはいない。また、須が死んだことで、自分との関係は気づかれていない。


(気付かれようが気づかれまいがどちらでも構わないがな。しかし、宋君は相当のやり手のようだ。それを知れたのは良かった)


 敵の情報はなんであれ、欲しいのだ。それも敵の実力がわかればなお良い。そういう考え方を彼はできる。


(今度は力で手に入れれば良い。今はその力を溜める時だ)


 男は宋の方角に手を突き出し、掴み取る動作を行った。



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