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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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恨みを晴らす

 周の甘歜(甘氏なため、恐らく王子・たいの子孫。王子・帯は周の恵王けいおうの子)が戎族を邥垂で破った。


 戎族が酒を飲んでいる隙をついた勝利であり、彼の戦における目は中々なものがあったかもしれないが、周は彼をこれ以降、用いることはなかった。


 魯の公子・すい襄仲じょうちゅう)が斉に入り、穀の結盟を拝謝した。


 公子・遂は帰国してから魯の文公ぶんこうにこう言った。


「斉が魯の麦を食べるつもりだ(魯を攻撃する)という噂を聞きましたが、恐らく無理でしょう。斉君の語は偸(適当。厳粛ではない様子のこと)です。かつて臧文仲ぞうぶんちゅう臧孫辰ぞうそんしん。文仲は字)はこう申していました。『民の主が偸であったら必ず死ぬ』と」


「では、斉君は死ぬのか。そうなれば我が国は安泰であるな」


 文公はそう言って笑ったが、まさか自分の方が先に死ぬことになるとは思っていなかった。














 紀元前609年


 春、懿公いこうが魯への出兵の日を発表したが、病に倒れた。医者が診察して見ると首を振り言った、


「秋までもたないでしょう」


 これを聞いた魯の文公は、


「斉君の命が出兵の日までもたなければいい」


 と言って占いをさせた。


 叔彭生しゅくほうせいが令亀(卜者に占いの内容を伝えて亀で占わせること)します。


 卜楚丘ぼくそきゅうが占いを言った。


「斉君は出兵まで持ちません。しかし、それは病が原因ではありません。また、主公はそれを聞くことがなく、令亀をした者も咎を受けることになりましょう」


「何を言っているか」


 叔彭生は怒りを顕にするとこれを文公に報告し、彼を斬るように勧め、卜楚丘は斬られた。


 二月、文公が台下で死んだ。台というのは宮中の高台のようなもので、寝室や病室で死んだのではなく、異常な死を遂げたことを示している。一説では泉台(二年前に蛇が現れた台)を指すとも言われている。


 この頃、秦の康公こうこうも死に、子の秦の共公きょうこうが立った。


 秦の康公という人は父・穆公ぼくこうの影に隠れ、地味な人物であったが、臣下に対する配慮のあり方等、名君としての素質に溢れた人物であった。


 ただ、悲しいことに人材不足に悩み、士会しかいをむざむざ、晋に帰国させてしまったことが残念である。













 斉の懿公がまだ公子だった頃、邴歜へいしょく(または丙戎へいじゅうともいう)の父と田を争って負けたことがあった(または、狩りで獲物を競って負けたとも言われている)。


 懿公は即位すると既に死んだ邴歜の父の死体を掘り出し、刖刑(脚を切断する刑)に処した。しかし邴歜は自分の僕(御者)に任命した。


 更に懿公は閻職えんしょくの妻を奪い、自分のものにしたが閻職を驂乗(馬車に同乗する者)に任命した。


 自分に恨みを持つ者をわざわざ近づけることにはあまりにも不可解である。あえて近づけることで屈辱を与えようというのだろうか。だとすれば下衆である。


 五月、懿公が郊外の申池で遊んだ。


 邴歜と閻職が池で水浴びをしていると邴歜が閻職を鞭で叩いた。


「何をする」


 閻職が怒ると邴歜は、


「他人が妻を奪ったにも関わらず、汝は怒らなかった。汝を鞭で一度打ったくらいで、なぜ怒るのか」


 と言った。これに対し、閻職が言い返した


「父が刖刑にされたにも関わらず、それを怨むこともできない者が何を言うか」


 互いに相手のことを罵り合ってから黙った。やがて二人は懿公への怨みを語り合い始め、暗殺を計画した。


 数日後、邴歜と閻職は懿公を殺して竹林に死体を棄てた。多くの者を苦しめた偽善者の死にしては呆気ないものであった。


 その後、二人は国都に帰り、宗廟に杯を並べて暗君の死を報告してから斉を去った。彼らの行為は私情でしかなく、政権を握ろうなどという考えはないのである。それを証明するためにわざわざこういったことをしたのだろう。


 さて、突然国君が死んでしまったため、斉人たちは困った。新たな国君を選ばなければならない。


「さてどうしますかな」


「衛におられる公子・げん桓公かんこうの子、懿公の兄)にしてはどうですかな」


「賛成いたす」


「右に同じく」


 誰もが公子・元の名は出すが、懿公の子の名は出さない。それだけ懿公には信望が無く、その子供を擁立する気にはなれなかったのである。


 これにより、公子・元を国君に立てた。これを斉の恵公けいこうという。


 六月、斉は魯の文公の埋葬式に参加し、秋に入ると魯から公子・遂と叔孫得臣しゅくそんとくしんが斉に趣き、公子・遂は恵公の即位を祝賀し、叔孫得臣は斉が文公の葬儀に参加したことに拝謝した。


 その後、公子・遂が密かに恵公に謁見を申し込んだため、彼は許可を出して会うと公子・遂はこう言った。


「公子・たいを擁立するのにお力をお借りしたい」


 公子・遂の言葉に恵公は眉をひそめた。


 


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