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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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小国の立場

 四月、魯が小君・声姜せいきょう(魯の文公ぶんこうの母。前年八月に死亡)をやっと埋葬した。


 斉による侵攻が度々行われていたためで、儀式が遅くなった。


 このような事態の中、斉の懿公いこうが魯の北境(または「西境」。もしくは両方)を侵した。魯の公子・すい襄仲じょうちゅう)が斉に趣き、盟を請うた。


 六月、文公が懿公と穀で盟を結んだ。


 


 一方、晋の霊公れいこうが黄父(一名「黒壌」)で蒐(狩猟。閲兵)を行い、諸侯を扈に集めた。これは宋との和平が目的であったが、成果はなかった。


 魯が斉と戦っていたため会に参加することはなく、晋の内部では、荀林父じゅんりんぼが賄賂を貰って、帰国したことにより、霊公と正卿・趙盾ちょうとんとの間での対立が表面化しつつあった。


 そのため他の諸侯も様子を見ており、積極性に欠けていたのである。


 だが、鄭はその中でも晋へのつながりを作ろうと積極的に霊公との会見を望んでいた。しかし、霊公は鄭が二心を抱いて楚に従っていると思っていた。そのため鄭の穆公ぼくこうとの会見を拒否した。


 そこで鄭の子家しか(公子・帰生きせい)が執訊(通信使)を派遣して趙盾に書を届けた。


 以下、内容である。


「我が君は即位三年後に蔡君を招き、共に貴君に朝見することにしました。九月、蔡君が我が国を経由して貴国に行きましたが、我が国は侯宣多こうせんた)の難があったため、我が君は貴国を訪問することはできませんでした」


 紀元前630年に侯宣多らにより、公子・らんが太子に立てられ、太子・蘭が即位して穆公になると、侯宣多が専横して政治を乱れさせたようである。


「十一月になって侯宣多を滅ぼしたので、やっと蔡君と朝見しました。十二年六月には私が我が君の嫡子・(鄭の太子)を補佐し、楚に服従している陳君と共に貴君を朝することを相談しました。十四年七月には我が君がまた貴国に朝見し、陳の事(陳と晋の講和)を調停しました。こうして十五年五月、陳君が我が国を経由して貴君と朝見することになったのです。昨年、正月には燭之武しゅくしぶが貴国に行きました。これは嫡子・夷を貴国に朝見させるためです。八月には我が君がまた貴国を朝しました。陳と蔡は楚と密接していているにも関わらず、貴国に対して二心を抱こうとしないのは、我が国の働きがあるからです。我が国は貴君に従順であるのに、なぜ疑いから免れることができないのでしょうか?」


 鄭は蔡と陳を晋に近づけた功があり、鄭が貴方方に従っているために両国は晋から離れないとだとしている。


「我が君が位に即いてから、貴国の襄公じょうこうに一度朝見し、貴君に二度朝見しました。嫡子・夷も我が君の複数の臣と共に頻繁に絳(晋都)を訪れました。我が君は小国ではあるものの、その誠意は他に並ぶ国がありません。今、大国であられる貴国は『汝等は我々を満足させていない』と言っていますが、我が国が滅ぼされたとしても、これ以上できることはありません」


 鄭は晋に誠意を示しているではないか。それでも満足していない晋側に問題があるのである。


「古人はこう申しています。『首を恐れ尾を恐れる。身体はいくつ残るのか』と、(これは始めと終わりだけを恐れて途中を恐れなければ、中を失ってしまう。だから常に恐れを抱かなければならない、という意味)また、こういう言葉もあります『鹿は死ぬ時、自分を守る場所を選ばない』(追いつめられた鹿は何でもするという意味)』小国が大国に仕える時、大国に徳があれば小国は人(相手を恐れる存在)になります。されど大国が不徳ならば、小国は鹿になります。危険な場所を奔走している時、何を選ぶことができるでしょうか。貴国の要求に限度がないようならば、我々は自分の滅亡を知ることになります。そうなったら我が国は全ての兵を準備して鯈(晋と鄭の国境の地)で貴君の命を待ちましょう」


 小国とはいえ、自国に対しそのような態度で来るのであれば、自分たちはそれ相応の対応をすると脅している。


「先君の文公ぶんこう)は二年六月、斉に朝見し、四年二月、斉のために蔡を攻めました。また、楚とも講和をしています。されど大国の間に生存して強令に屈するのは、果たして我々の罪でしょうか。大国がこのような事情を考慮しないようならば、我々は命から逃げるところがありません」


 鄭が斉と楚の双方と和を結んだ時、斉は鄭を譴責しなかった。それにも関わらず、斉より大国である晋が鄭の態度を譴責するのなら、鄭は滅ぶしかないではないか。小国の立場を尊重できない国が盟主とは笑わせてくれる。彼の思いにはそのような思いがある。


 趙盾はこれを読んで、晋の大夫・鞏朔きょうさくを鄭に送って講和させ趙穿ちょうせん公壻池こうせいちが人質とさせた。


 鄭は十月、鄭の太子・夷と石楚せきそが人質として晋に入れた。これにより晋と鄭の講話はなったのである。


 しかし、この判断を下したのは趙盾であり、晋の霊公ではない。そのため霊公は苦々しく思った。彼としては趙盾は自分を無視しているように見える。


(私は国君なのだ。貴様は周公旦しゅうこうたんでも気取っているつもりか)


 彼と趙盾の溝は大きくなり始めていた。




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