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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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宋の昭公

 宋の六卿は公孫友こうそんゆうが左師、華耦かぐうが司馬、鱗鱹りんかんが司徒、蕩意諸とういしょが司城、公子・ちょうが司寇で、何故か右師が空位となっている。


 かつて司城を勤めていた公子・とうが死んだ時、その子である公孫寿こうそんじゅが司城を継ぐはずであった。しかし、公孫寿は自分の子の蕩意諸に継がせた。


 後に公孫寿が知人にこう言ったという。


「主君が無道であるのに、私の官が主君に近ければ、禍が及ぶだろう。しかし官を棄てれば一族を守るものがなくなってしまう。子は私の貳(代表。分身のようなもの)だ。我が子に跡を継がせ、私の死を遅れさせることにしよう。そうすれば、子が亡んだとしても一族が亡ぶことはない」


 これは当時の考え方に子は親のために死ぬべし、家のために死ぬべしという考え方が見える。そして、それを蕩意諸は良くわかっている。


 暫くして襄公夫人が宋の昭公しょうこうを孟諸の狩りに行かせた。


 襄公夫人は昭公に悪感情を持っていることは誰が見ても明らかであり、昭公とて理解していた。それが、狩りに行くことを勧める裏に何かあるのではないかと、疑問に覚えるのは当然であった。


 機を見て自分を殺すつもりではと思った昭公は全ての財宝を持って出発した。


 しかしながら自分を殺すことを知ったのであれば、何かしらの対処をすれば良く、何故、相手の指定した場所に行くのかと疑問に思った蕩意諸は言った。


「なぜ他の諸侯を頼って逃げないのですか?」


 彼とて、もはや自国に昭公を守ってくれる者がいないことは事実である。しかし、それでも他国に行けば、守ってくれう国はあるのではないか。


 しかし、昭公は言った。


「自分の大夫や君祖母および国人の支持を得ることもできないにも関わらず、諸侯の誰が私を許容するというのだ。そもそも私は既に人君となった。改めて人臣になるくらいなら、死んだ方がいいではないか」


 奇妙なほどの潔さである。


 昭公は財宝を全て近臣に与えて去らせた。だが、蕩意諸だけは彼から離れることはなかった。


 襄公夫人は昭公の周りから近臣が去ったことを知ったが、蕩意諸だけは昭公から離れないため使者を送って蕩意諸にも去るように勧めた。


 しかし、蕩意諸は断った。


「人の臣となりながらその難から逃げてしまえば、たとえ生き延びようとも、後の国君に仕えることはできません」


 十一月、昭公が孟諸に到着する前に、襄公夫人は帥甸を送って昭公を殺した。蕩意諸も共に死んだという。


 宋の昭公は決して良い人物ではなかった。しかし、最後の態度を見れば、多少は彼にも救いはあったのではないかと思われる。


 また、蕩意諸は昭公の最後に華を添えて死んだ。血なまぐさいこの出来事に僅かではあるものの、清風をもたらした。












「呆気ないものですわね」


 襄公夫人は華元に言った。


「左様ですなあ」


 彼としても昭公が大した抵抗もせずに死んだことは驚きではあった。


(出来過ぎだな)


「しかしながら蕩意諸だけはあれと共に死にました。離れるよう勧めたのに、愚かなものです」


 彼女は口に手を当て、笑った。それに華元は答えず、


「それでは、私は公子殿の即位の準備を始めなければなりませんので、ここで失礼します」


「わかりましたわ。公子にはこれぐれも宜しくとお伝えくださいね」


「承知しました」


 華元は襄公夫人の部屋から拝礼してから退出した。


 部屋から出ると、彼は襄公夫人の部屋を睨みつける。


(惜しいものだ。襄公じょうこうの妻と言えども、襄公には及ばない)


 華元は襄公夫人が公子・ほうの即位後、政治に介入することを恐れていたが、彼女の言動を聞いて、それほど恐れなくとも良いと思った。


(命を掛けてでも、示すべき信念がある。それを理解できない者など怖くはない)


 彼はどちらかと言えば、感情の人である。そのためそういう思いになる。


(それでも公子殿の代わりに汚名を被って下さったのだ。感謝せねばな)


 心の篭ってない言葉を心内に呟きながら彼は公子・鮑が即位式に出席した。


 こうして即位した公子・鮑を宋の文公ぶんこうという。


 即位して直ぐ、文公は同母弟のを司城に任命し、後に華耦が死ぬと、蕩虺とうき(蕩意諸の弟)を司馬に任命した。


(うむうむ、主公は蕩意諸殿の示した思いを理解できる方であるな)


 華元は文公をそう称えつつ、次のことを考え始めた。


 (ただ、私を右師にしたのは……)


 文公は同時に空位だった右師に華元を据えた。感謝の気持ちがあったのだろう。


(まあ、仕方ない。さて、出てくるかな。お坊ちゃん集団)


 彼の言うその集団とは晋のことである。













 宋昭公弑殺の情報が晋に入ると、趙盾ちょうとんは晋の霊公れいこうに宋討伐を請うた。


 霊公は、


「これは我が国にとって急を要する事態ではない」


 と言って反対したが、趙盾はこう言った。


「人が生きるに上で、最も大きなものは天地の関係であり、それに次ぐのが君臣の関係でございます。それは尊卑の差は明らかにしなければならない教えなのです。今、宋人がその君を弑殺したのは、天地に背き、民(人)の法則に逆らうことであり、天は必ず誅を降し必要があります。もしも天罰を実行しなければ、盟主である我々に禍が及ぶでしょう」


 霊公は出兵に同意した。しかし、それでも内心では、趙盾の言ったことに従っているようで苦々しい気持ちでいっぱいであったはずである。


 その様子を横目で眺めているのは荀林父じゅんりんぼである。


 趙盾は太廟で令を発し、軍吏を召集した。併せて楽正(楽官。鍾鼓を掌る官)に命じ、三軍の鍾鼓を準備させる。


 趙同ちょうどう(趙盾の異母弟)が趙盾に言った。


「国に大役があるというのにも関わらず、民を鎮撫するのではなく鍾鼓を準備するのはなぜでしょうか?」


 趙盾は答えた。


「大罪は討伐するべきであり、小罪は畏れさせるべきである。襲侵(鍾鼓を鳴らさず急襲すること)は陵(大国が小国を虐げること)である。故に征伐とは鍾鼓を準備し、相手の罪を宣言してから行うものなのだ。錞于(楽器の一種)や丁寧(鉦)を使って戦うのは、民に警告するためだ。襲侵が音を立てないのは相手に防備の機会を与えないためだ。今、宋人はその君を弑殺した。これ以上の罪はない。その罪を明らかに宣言しても、まだ天下に聞こえないのではないかと心配している。だから鍾鼓を準備して、君道を明らかにするのだ」


 趙盾は諸侯に使者を送って宋討伐を伝え、軍容を整えると鍾鼓を響かせながら荀林父に宋へ向かわせた。


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