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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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宋の襄公夫人

 宋の昭公しょうこうの庶弟に公子・ほうという容姿に優れた者がいた。


 彼は国人に礼を用いて接し、国に飢饉が襲った時は、自身の食糧を施して民を救済して七十歳以上の老人には必ず飲食を提供し、四季に応じて珍味も加えた。


 また、頻繁に六卿を訪問し、国の優秀な人材を漏れることなく用いるように心を配り、桓公以降の公族にも施しを与え、民や公子達の人望を得ていた。


 そんな彼の元に使者がやって来た。


「君祖母が私にお会いしたいというのか」


 君祖母とは襄公夫人のことである。


「左様でございます」


(何故、私を招くのか……)


「これはこれは、もしかしますと……」


 肉をほうばりながら言葉を発した太った男の名は華元かげんがいう。彼と公子・鮑は仲が良い。


「もしかすると……何だ?」


 華元は恥ずかしそうにしながら、言う。


「それは公子殿、男と女が会うと申せば、やることは一つでございましょう」


 公子・鮑は彼の言葉を聞き、顔を真っ赤になり、


「華元、冗談を申すな。そもそも君祖母とはあまりにも年が離れておるわ」


「年月を超えた愛と言うものも……」


「華元」


「ご冗談でございます」


 彼を公子・鮑が睨みつけると彼は手を振って、冗談であるとする。そんな彼の態度にこめかみを押さえながら公子・鮑は話を続ける。


「ならば、さっさと話せ」


「考えられるのは、公子殿。貴方様を国君に据える上で協力するということでは無いでしょうか」


(私を国君に……)


「夫人は主公と対立しております。あの方は礼儀に五月蝿い方ですから、公子殿の礼儀の良さを気に入っているのでしょう」


 自分を国君の座に据えようとしている。これは絶好の機会である。彼はそう思った。彼は今の宋という国を変えたいと望んでいる。そのためには昭公を排除しなかればならない。それに襄公夫人の協力を得ることができるのであれば、


(良し、会おう)


 彼は使者にそう伝えようとした瞬間、シャク、シャクという音が聞こえた。


 音の主は華元である。彼は木の実を食べている。


「この実は大変美味ですなあ。しかしながら……これは実に危険だ」


 木の実を飲み込みつつ言った。


「公子殿、これは断った方が宜しい」


「何故だ」


 これほどの機会は中々無い。もし、ここで断れば、別の者を立てるかもしれない。


「先ほど申した通り、夫人は大変、礼儀に五月蝿い方です。そのような方が此度のようなことに安々と手を出すような者を国君に据えたいと思うでしょうか?」


「だが……」


 だとうすれば何故、襄公夫人は自分を招くような真似をするのか……


「夫人は慎重な方でもございます。夫人は公子殿が斉君のような人では無いかと疑ってもいるのでしょう」


 斉君、つまり斉の懿公いこうのことである。


(なるほど)


 斉の懿公は国君に着く前は、民を慈しみ、賢者を優遇していた。しかし、国君に着くと酷い政治を行っていると言われている。


「私は斉君のような偽善者ではない」


「しかしながら前例があるのです。それを危惧するのは当たり前でしょう」


「そうか……」


 自分に国君になりたいという野心が無いわけではない。そのため、今まで昭公とは逆のことをやり、信望を集めてきた。


「私も所詮は斉君と同じか」


 彼は思わず呟くと、


「皆、同じようなものですよ。人というものは」


 華元はあっけらかんと言う。


「違いがあるとすれば、それを理解することができているかどうか。公子殿、貴方様は十分それを理解しておられる」


 彼は頭を垂れる。


「貴方様は頭を垂れるに足るお方です」


「嬉しいことを言ってくれるものだ」


 公子・鮑は嬉しそうに笑った。


「良し、断ろう。華元よ、行ってもらえるか」


「承知しました」


 使者と共に華元は襄公夫人の元に出向いた。













「華元でございます」


 華元が拝礼すると襄公夫人は楽にするように彼に言い、侍女に席を用意するように伝え、彼に言った。


「返事を申すためにわざわざ、あなたが来るということは、断るのね」


「左様でございます」


「理由は?」


「既にお分かりかと思いますが」


 やや、芝居掛かった会話を行う彼らは少しして、笑みがこぼれ始める。


「おほほほ、私の目は確かだったようです」


「真にそうですな」


「まあ、ここで簡単に乗るような方では困りますがね」


 襄公夫人は笑みこそ浮かべてているものの、その目は鋭い。


「乗るようでしたら別の者をお立てになさったのですかな?」


「それが他に良き候補がおりませんの、困ったものよね」


「では、公子殿一本に絞るということで宜しいでしょうか」


「ええ、経済的にも援助しますわ」


「ここは変に公子殿とのつながりを強調されるのは些か迷惑かと思いますが」


 襄公夫人とのつながりがあるとなれば、主公に目をつけられる可能性がある。


「私はこれでも民からの信望はあるの。つながりを強調すれば、公子・鮑にとってもいいはずよ」


「承知しました。では、始末はできるだけ早くしてもらいますことを望みます」


「ええ、わかっているわ」


 華元は襄公夫人の部屋から出て行った。その後、しばらく歩いてため息をついた。


(食えないお人だ)


 襄公夫人が公子・鮑との関係を強調する狙いは自分のおかげであることを強調し、即位した後の優遇を望んでいるためである。


(これで変に政治にまで口を出されると公子殿のいい迷惑になる)


 それを彼は危惧している。


(まあ、何とかなるか。夫人ももう年であるし、そのうちいなくなるだろう)


 再び、ため息をつく。


(女との腹の探り合いはやなもんだ。面倒この上ない)


 彼はそう思いながら、彼は公子・鮑の元に戻っていった。


 その後、襄公夫人は公子・鮑を経済的に援けるようになり、当時、昭公が無道だったこともあって、宋の人々は襄公夫人に気に入られている公子・鮑を支持するようになっていった。


 因みに史書には襄公夫人が公子・鮑に私通を求めたと書かれているが、もしかすると襄公夫人への嫌がらせとして、華元がばら撒いた嘘かもしれない。



 



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