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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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楚の庸討伐

 戎族(山夷)が楚の西南を攻撃して阜山に至り、大林に駐軍した。また、楚の東南も攻撃して陽丘に至り、訾枝にまで攻め込んだ。


 更に庸も群蛮を率いて楚に背き、麇も百濮を率いて選(楚地)に集まり、楚攻撃の準備を始めた。


 彼らが侵攻をし始めたのは、楚に大飢饉が起きており、楚に抵抗する力は無いと判断したこと。そして、楚の荘王そうおうが政治を顧みず、酒浸りであるということを知っていたからである。


 楚の申と息は敵の攻撃を恐れて北門を開けなくなった。


 しかしながらこの時、荘王は悪臣を粛清し、良臣を多数用い、自ら政治を担い始めていた。


 そんな荘王であったが、彼は玉座に苛立ちながら座っていた。


 楚の大夫たちは険阻な阪高に遷ることを主張していたからである。その弱腰の意見が出ていることが彼を苛立たせている。


(なんという弱腰か……)


 そんな中、一人の男が進み出た。


「私はそれに反対です」


 周りの者たちは男を睨みつけるが男はどこ吹く風とばかりに気にしていない。男の名は蔿賈いか、かつて子文しぶんの前で彼の寵愛していた子玉しぎょくを堂々と批難した男である。そんな男であるため、肝は座っている。


「良し、理由を述べよ」


「承知しました。我々が行くことができる場所は、寇(敵)も行くことができるものです。我々は逃げるのではなく、庸を攻撃するべきです。麇と百濮は我々が飢えて兵を動かすことができないと考えているために、攻撃の準備を進めているのです」


 人の行動には必ず、理由がある。その理由を詰めていけば、相手の行動を理解することができる。物事は理の中で生きているのだ。


 彼の軍事においての思想は奇想では無い。ただただ、その理を詰めていくだけである。こういった発想は感情的な人が多い楚を始めとした南方の者たちの中では異質である。


「もし我々が出師したら、驚いて退き返すでしょう。百濮は分散して生活しています。それぞれが自分の邑に帰れば、敢えて討って出ることを考える者はいなくなるはずです。直ぐに討って出るべきです」


 彼はそう主張した。大夫らは危険過ぎると反対したが、


「蔿賈の意見を採用する」


 荘王が彼の意見を採用し、反対意見を黙らした。


 楚が兵を出すと、十五日後に百濮が解散した。


 楚都・郢を出た楚軍は、廬までは出征時に準備した食糧を消費し、それ以降は各地で倉庫を開いて将兵が一緒に食事をした。心を合わせて戦を行うためである。


 楚の西境・句澨に駐軍すると、廬戢黎を送って庸を攻めた。彼は以前、荘王誘拐未遂事件で荘王を救った人物である。しかし、廬戢黎は庸の方城で撃退され、子揚窗しようそう(窗が名。子揚は字)が捕えられた。


(敗れたか……やはり恩だけで用いいるべきではなかったか)


 荘王はそう思った。


 三日後、子揚窗が自力で楚営に逃げ帰って報告した。


「庸軍は兵が多く、群蛮も集まっています。大軍を発し、王卒(国王直属の兵)も動員するべきです」


 荘王は同意しようとしたが、潘尩が反対した。


「暫くこのまま交戦を続けて敵を驕らせるべきです。敵が驕ればわが士は憤激し、最後は勝つことができます。先君の蚡冒もこうして陘隰を帰順させました」


 彼の父は潘崇はんすうである。父に似て感情的な人では無い。


「なるほど、わかった。汝の意見を採用する。汝は兵を率いよ」


「御意」


 潘尩率いる楚軍は庸軍に七回戦いを仕掛け、七回とも敗れて撤退したが、潘尩は兵をほとんど仕損じることはなく、撤退していた。


 これを理解できるような将がいない庸は自分たちが率いる群蛮の中で裨・鯈・魚の三部族が楚軍を追撃させ、庸の人々は楚を弱軍と侮り、


「楚とまともに戦う必要はない」


 と言って備えを疎かにした。


 潘尩はそれを間者を通じてそれを知ると荘王に連絡する。


 荘王は馹(伝車。駅車)に乗って臨品で潘尩の軍と合流し、楚軍を二隊に分けた。子越しえつが石溪から、子貝しばいが仞から出発して庸を攻めさせ、更に秦と巴に使者を事前に送っておき、彼らも援軍として楚に協力して兵を出す。


 大した備えをしていない庸は楚の侵攻を押されていき、そのような精強な楚軍を見ると、群蛮は荘王と盟を結ぶことにした。


 そもそも彼らが楚に侵攻したのは、楚が弱くなっていると思ったからである。楚が強いと知れば、戦う気は無い。


 群蛮の強力を得られない庸は最早、逆転の術はなかった。


 楚は庸を滅ぼした。










 庸を滅ぼしたことを祝して、荘王は宴を開き、群臣を招いた。


 日が暮れて酒がまわった頃、突然、風が吹いて灯燭の火が消えた。すると一人の男が闇に乗じて美人(荘王の妻妾)の衣服を引っ張った。


 美人はとっさに男の冠から纓(冠を固定する紐)を取り、荘王に言った。


「灯燭の火が消えた隙に私の衣を引く者がいました。私はとっさに冠纓をつかんで持って来ました。早く火を点けて纓が絶たれた(切れた)者を見つけてください」


 男の行動は決して悪気があったわけでは無いが、主君の妾に勝手に触れることは重罪である


 しかし荘王は首を振って言った。


「人に酒を与えて(酒宴を開いて)酔わせたために礼を失したのだ。婦人の節を顕揚するために士を辱めるようなことはしたくない」


 荘王は左右の近臣に命じてこう宣言させた。


「今日は私と飲め。但し、冠纓を絶たない者は飲んではならない」


 百余人の群臣が冠纓を切ってからやっと火が点けられ、荘王も群臣も心ゆくまで宴を楽しんだ。


 後に晋と楚での戦争の際、一人の男が常に荘王の前におり、五回晋軍とぶつかって五回とも奮戦した。そのおかげもあり、晋軍を撃退し、勝利を得ることができた。


 しかしながら男がそれほどの危険を犯してまで、奮闘したことに不思議に思った荘王は男に問うた。


「私は徳が薄く、汝を特に重用した覚えもない。それなのに汝はなぜそのように死を恐れないのだろうか?」


 男が答えた。


「私は本来は死に値する罪があります。かつて酔って礼を失いましたが、王は隠忍(我慢)して誅を加えませんでした。私は蔭蔽の徳(庇護してもらった恩)があるため王に報いないわけにはいかないと思い、肝脳塗地(肝や脳で地を塗ること。身を犠牲にすること)して頸血を敵にそそぐ機会を久しく待っておりました。私があの夜の絶纓の者でございます」


 男は罰は受けると言ったが荘王は彼に罰を与えることはなかった。


 これは荘王の度量の大きさと隠徳(隠れた徳)がある者には必ず陽報(明らかな報い)があるという話として後世に伝わっている。





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