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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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大鳥

(我が国はどうなるのか……)


 楚の宮中を伍挙ごきょは国を憂いながら歩いていた。


(王は昼夜問わず、酒浸りで政治に顧みないと聞く。そして、それを諌めようとするものは、罰を与えると言って皆、それを恐れ誰も諌めようとしない)


 拳を強く握り、彼は楚の荘王そうおうがいるという鍾鼓の間の前に立った。


(しかし、かれこれ三年もこのような状態だ。この状況の楚を侮り、諸国の心も離れつつある。誰かが諫めねばならん)


 彼は愛国心に溢れている。


「失礼します」


 彼が扉を開け、入るとそこからは酒の匂いが漂ってくる。


(国が滅ぶ時に匂いがあるというのであれば、このような匂いだろうか)


「何の用だ」


 荘王は左に鄭姫を、右に越女を抱き、座っていた。


(また、女か……)


 なんとだらしないのかと思い、声を張り上げ、荘王を諌めようとかっと目開く。だが、そこでふと荘王の目を見た。


(目が曇っていない)


 このような酒と女に溺れている者という者は目が曇っているものである。しかしながら荘王は酒を飲み、女を抱きながらも目には力強さと理性を感じる。


(まさか……芝居をしているというのか……だが、何のために、そのようなことをしてどうなる。己の評判を落とすだけではないか)


 常識的に考えれば、そうなる。しかし、もしこれを荘王が意図的にやっているとしたら、話しは変わる。


「どうしたのだ。何も用が無ければ、下がれ」


(試してみるか)


「一つ、隠(隠語。なぞかけ)を献上したく参上しました」


 彼は拝礼しながら言った。











(なぞかけか……)


 荘王は冷めた目で、目の前にいる伍挙を見る。


(久しぶりに骨のあるやつが来たと思ったが)


 正直、三年も酒浸りの生活を送る気は無く。自分の行動を諌めた者を処罰するとし、その間にどのような臣下がいるのか観察するつもりだった。


(しかし、考えていた以上に碌でもないやつが多い)


 媚を売るだけの者、私服を肥やす者、楚の臣下はそういった者たちが予想以上に多く、王の権威を脅かすほどの力を持ちすぎた一族も多い。


(目をかけるに足る者もいたが)


 しかしながらそう言った者たちは少なく、高い地位にもいなかった。目の前の伍挙もその一人である。


(まあ、良い)


「なぞかけを許そう。言ってみよ」


「では……丘の上にある鳥がいます。その鳥は、三年飛ばず、三年鳴こうとしません。これは何という鳥でしょうか?」


 伍挙のなぞかけを聞き、荘王は口角を上げる、


(我を試すか)


 元々、自尊心の強い彼である。本来、このような自分を試すような真似をした者がいれば切り捨てるが、それ以上に彼は伍挙の評価を上げた。


(彼の言う鳥とは自分のことであろう)


「三年も飛ばない鳥は、一度、飛べば天を衝くであろう。三年も鳴かぬ鳥は、一度鳴けば、人を驚かすであろう。伍挙よ、退がれ。我は分かっている」


「はっ」


 伍挙は拝礼をしたまま、下がった。


(さて、次は誰が来るか……あやつかな。そろそろ我も動く時が来たか)


 彼は酒を飲んだ。その酒は今まで飲んだ中で、一番美味かった。










 荘王の元から離れた伍挙は感動に包まれていた。


(楚は偉大な名君を頂いたかもしれない)


 楚という国を変えるのはあの人であろうという思いが彼にはある。


 彼はある部屋に出向き、入った。


蘇従そじゅう、王は名君である」


「何を言っている」


 蘇従と伍挙は同僚で友人であり、共に国を憂い、国のために働こうと誓った仲である。


「酒と女に溺れている者が名君であるものか」


「私もそう思っていた。だが、実際にお会いして、王は芝居をしていることを知った」


「芝居だと?」


「そうだ。王は言われた。『三年も飛ばない鳥は、一度、飛べば天を衝くであろう。三年も鳴かぬ鳥は、一度鳴けば、人を驚かすであろう』と、王は決して暗君では無いのだ」


 伍挙はそういうものの、蘇従としてはそう簡単に信じることはできない。


「ならば、王はもうすぐ生活を改めるというのだな」


「恐らくそうだ」


「取り敢えず、期待しておくとしよう」


 だが、数ヶ月経っても、荘王は生活を改めず、それどころか益々、酷くなった。


「飢饉も起きているにも関わらず、王はこのような生活を送っている。どこが名君だというのだ」


「だが、王にはきっと何か考えがあるのだ」


 伍挙はそう言って、荘王を庇う。それを見たがら蘇従は、


(こやつがそれほどに入れ込むとは……王は……)


「良し、ならば私が諌めに行ってみるとしよう」


 彼は荘王の元に向かった。












 蘇従が荘王の元に入ると以前と変わらず、左右に女が侍っている。


「諫言したら死刑にするという命令を聞いたことがないのか?」


 荘王はそう言うと、蘇従は堂々としながら言った。


「己の身を殺すことで国君を明(賢明)にすることができるのであれば、それは臣が望むこと」


 その態度を見て、左右の女を下がらせ、手元に置いてある書簡を蘇従に投げ渡す。


「これは……」


「開けてみよ」


 言われるがまま、開けるとそこには、多くの者の名が書かれており、その中には自分や伍挙の名もある。


「これは私がこれまで観察してきた中で良いと思った者たちが書かれている。どうだ、その中で問題のあるものはいないか?」


「何故、私に問うのでしょうか?」


 自分よりも先に会っている伍挙に先に見せるのが普通ではないのか。


「伍挙は感情的過ぎる。お前のように人から一歩下がって人を見る慎重さに欠けている。だから汝が来るのを待っていた」


(このお方は……)


 荘王は人をよく見て、その者がどんな者か瞬時に把握している。


(良き目をお持ちだ)


 だが、自分の目を信頼しきってないところがもっと良い。どんな目を持っていても見落とすものは見落とすものである。それを自分のような者にも問い、見落とししやすいものを拾うとしている。


「では、ここに書かれている者以外で二人ほど推挙したい者がおります」


「ほう、その二人とは?」


蔿賈いか潘尩はんおう(字は師叔ししゅく)の二人です。二人は戦の才を有しております」


「良し、その者らも用いろう」


(決断が速い)


 人の上に立つ者に最も求められるものは決断力である。その決断力だけでも栄光を掴めることもある。


 荘王は立ち上がると朝廷に出向き、淫行悦楽を棄てて自ら政治を行うことを宣言。三年の間に見極めた奸臣・佞臣数百人を処刑して、優秀な者数百人を抜擢した。


 ここまでに至るまでに凄まじい速さである。


 伍挙と蘇従に政治を担わせた。それを知った国人は大喜びした。


 楚に偉大なる大鳥が現れ、天下を震わす始めるのである。


「さて、先ずは庸を滅ぼそうか」


 それが大鳥の最初の一声であった。












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