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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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公子・遂

 十二月、斉が子叔姫を魯に還した。


 しかしながらこれは魯への謝罪の気持ちといったものではない。斉の懿公いこうは万が一を考え、晋を始めとした諸侯の動向を探っていたのである。そして、諸侯が魯を援けないと知ると再び魯の西境を攻撃した。


 斉軍は曹にも侵攻し、郛(外城)に入った。曹を攻撃したのは夏に曹が魯を朝見したためである。


 この状況に最も苛立っていたのは、魯の季孫行父きそんこうほである。彼は晋に助けを求めるように最初に意見を出した。だが、晋は斉からの賄賂によって、魯を助けなかった。


(くそ、晋め)


 彼が晋を信じたのは、郤缺の蔡侵攻を見たためであった。晋のこの行動は盟主としての立場を忘れていないという意思表示であり、これにより、魯を必ずや助けてくれると思ったのである。


「さて、汝が晋は必ず助けてくれると申したために、我らは期待したのだがな」


 公子・すいが見下したように言った。


 魯には季孫家、叔孫家、孟孫家の三桓派と公子・遂ら反三桓派がいた。この二つの派閥は、魯の荘公そうこうの頃からあったが、臧孫辰ぞうそんしんが彼らの轡を握っていたため、その対立は表面化していなかった。しかしながら、彼がいなくなるとそれが表面化したのである。


 そんな中で、季孫行父の失敗というほどでも無い、今回のことを公子・遂は責めているのである。季孫行父悔しそうに言った。


「斉君は禍から逃れられないでしょう。自分自身が礼から外れているのに、礼がある者を討伐した。斉君は曹が礼を行ったこと(魯に朝見したこと)を譴責したが、礼とは天に順じるためにあり、天の道である。自ら天に反して人を討つとは、禍から逃れられるはずがない。『詩(小雅・雨無正)』にはこうある『なぜ上下が尊畏しないだろう。それは天を恐れないからだ』と、君子が幼小や卑賤を虐げないのは天を恐れるためだ。『周頌(詩経・周頌・我将)』もこう言っている『天の威を恐れれば、福禄を保つことができる』天を恐れることなくして、どうして自分の身を保つことができるのか。乱によって国を取った者は、たとえ礼を奉じてその地位を守ろうとしても、終わりを全うできないことを恐れるものだ。逆に無礼を多く行うようでは、良い終わりを迎えることはできない。そんな斉とは、手を取り合うべきではなく。これと離れることができたのです。良いと思うべきでしょう」


「ふん、若造が知ったようなことを言う」


 公子・遂らは季孫行父を嘲笑う。そんな中、季孫行父は悔しそうに拳を握り締める。


(いつか見返してやる)


 彼は一時の屈辱であると我慢した。


 この年、蔡の荘公が死に、子のしんが立った。これを蔡の文公ぶんこうという。


 紀元前611年


 年が明けてから魯の文公ぶんこうは病に倒れた。斉からの度重なる侵攻もあり、魯は斉との和睦を何とかして、結びたいと考えていた時に文公が倒れてしまったため魯の群臣たちは困った。


 諸国同士での和睦は諸侯同士の会盟が必要だからである。


「国君が病では、どうしようも無い。暫し耐えねばならん」


 公子・遂がそう言う一方、季孫行父がそれに反対した。


「国は斉からの侵攻により、疲弊しています。ここは本来のあり方とは違いますが、斉君を説得し、和議を結ぶべきです」


「ならば、汝が行くのだな」


「私ですか……」


 季孫行父は意見を述べつつも、自分が行かされるとは思っていなかった。


「左様、汝が言ったのだ。汝がやるべきであろう。違うか?」


「それは……」


 彼は周りを見回す。皆、にやにやとした笑みを浮かべている。


(しまった)


 季孫行父は唇を噛み締める。彼は国を思うばかりに言った意見に対し、公子・遂らは成功するとは思っていない。


(先の失敗に続いて、私を貶めようというのか)


 わなわなと拳を震わすものの、


「承知しました」


 彼は同意するしかなかった。


 季孫行父は陽穀で斉の懿公に会い、和を結ぶために結盟を請うたが、懿公は鼻で笑い、


「結盟を結ぶのであれば、魯君が回復なされてからで良く。何故、大夫である汝と結盟しなかればならんのだ」


 懿公はそう言って、彼との結盟を断った。


 案の定、失敗し帰国した季孫行父を公子・遂らは笑う。


「おやおや、和議は結べなかったようですな」


「不甲斐なき限りです」


「真に左様ですなあ。己の功績欲しさに逸るが故にこのような失敗をするのだ」


 口を噛み締めながら彼は屈辱に耐え続けるしなかなった。


 文公の容態は直ぐには改善せず、五月まで寝込んだ。そのため四回(二月、三月、四月、五月)にわたって「視朔(毎月朔日、廟に朔の報告をした後、一月の政事について群臣から報告を聴く儀式)」もできなかった。


 六月、やっと回復し始めた文公ではあったものの、当然自国から出れるほどの状態ではなかった。


「しかしながらこれ以上の斉との和睦を長引かせるわけにはいかぬ。公子・遂よ。行ってもらえないか」


「承知しました」


 公子・遂はあっさり同意すると斉に向かった。それを季孫行父は冷めた目で見送った。


(あの斉君とそう簡単に盟など結べるものか……)


 しかしながら彼の予想に反して、公子・遂は郪丘(または「犀丘」「師丘」。斉地)で懿公と盟を結ぶことに成功し、凱旋した。


(何故、私の時は無理であったのに、公子・遂は上手くいくのだ)


 彼が悔しそうにしているとそこに叔孫得臣しゅくそんとくしんが近づいてきた。彼はどちらかというと武の人で、あまり政治に関わらない。


「公子・遂は斉君に賄賂を渡したそうだ」


「賄賂……」


(そのようなものを使ったのか。卑怯な)


「汝は頭が良さそうなわりに頭が固いな」


「何?」


 思わず、季孫行父は彼を睨みつける。


「ああいうのが駆け引きというものなのだろ?」


「だが……」


「そう言う手を使えと言っているのでは無い。そういうやり方もあるというのを知れば良いのではないのか」


 今の季孫行父に足りないのはそういった経験と物事を多方面から考える能力である。


(そうか……私は形に拘り過ぎたか……)


 文公より功績を認められている様子を眺める。


(今は、仕方ない。今は学ばなければならない。だが、いつかはあの者よりも上に行ってやる)


 彼はそう誓った。










 魯都・曲阜の南郊に位置する郎邑の泉宮から蛇が現れ、国都に入った。蛇の数は魯の先君の数(伯禽から僖公きこう)まで十七代)と同じ、十七匹であったという。


八月、魯の僖公夫人・姜氏(声姜せいきょう。文公の母)が死んだ。


魯の人々は蛇の出現と声姜の死が関係あると思い、泉台を破壊した。


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