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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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晋君の自我

 昨年に行われた新城の盟に蔡が参加しなかった。


 そこで晋の郤缺げきけつが蔡を攻めることを主張した。


「国君(晋の霊公れいこう)はまだ幼いのだから、我々が怠けるわけにはいかない」


 しかしながら趙盾ちょうとんはこれに消極的だった。彼は以前の邾への侵攻での失敗を気にしている。


 だが、郤缺は強引にこれを進め、上軍と下軍を率いて、蔡を攻めた。これに消極的だった趙盾が動かなかったため、中軍は出征しなかった。


 晋軍が蔡に入り、城下で盟を結んで兵を還した。


「父上は何故、正卿様の反対を押し切ってまで、軍を動かしたのでしょうか?」


 青年というよりも少年という方が近く、風貌は怪異の子が士会しかいに訪ねた。彼の名は郤克げきこく。郤缺の息子である。


「晋の威徳を示すためだ。汝の父上は、臣下の身として先君・文公ぶんこう襄公じょうこうの覇業を衰えさせてはならないと主張しているのだよ」


「我が国の覇業は衰えているのでしょうか?」


 郤克が首を傾げて問うと、彼は答える。


「少しずつだが、衰えている。晋が諸国に対し、盟主としての責務を果たせきれていないからだ。汝の父上はそれを何とかするために軍を動かしている」


「なるほど、流石は名将・士会殿です」


 目を煌めかせながら、彼は士会を称えた。


「称えるのであれば、父上を称えなされよ。克殿」


「父上は……士会殿に比べたらすごくありません」


「克殿、父上をそのように言うものでは無い。克殿の父上は私よりもずっと立派な方だ」


 士会がそう嗜めると、郤克は不貞腐れる。こういう所は子供である。


(郤缺殿の子はあまり父上に似ていないものだ。まあ、私も似たようなものだが……)


「士会殿、士会殿、私は将来、国のために軍を率いて貢献したいのです。名将足りうるにはどうすれば良いのでしょう」


 郤克は人懐っこく、士会に訪ねた。


「私は名将では無い。そのため名将足りうる上のことは知らんぞ」


「ご謙遜を」


 はあ、とため息をついて士会は答えた。


「わかった。私が軍を率いる上で気をつけていたことを話そう」


「はい」


 きらきらした目で見てくる郤克を見ながら


(この親子は苦手だ)


 と、思いながら、彼は言った。


「軍を率いる上で大切なことはただ一つ、兵を愛し過ぎないことだ」


 しかしながら彼の言葉に郤克は呆気にとられた。兵を大切にせよという話しは聞いたことはあるが、愛しすぎるなと言うのは初めてだからである。


「どういう意味でしょうか?」


「それは自分で考えることだ。それもまた、軍を率いる上で大切なことだ」


「わかりました」


 郤克はぶつぶつと言いながら士会の元から離れようとして、振り返っていった。


「士会殿、実はもうすぐ初陣を飾ります。その時はどうぞご教授を」


 彼は今度こそ、帰っていった。


「さて、郤缺殿の息子はあんな感じだが、私の息子はどういう子に育つのか……」


 ふと、そんなことを彼は考え始めた。















 秋、斉が魯の西境を侵した。


「晋に急を告げるべし」


 季孫行父きそんこうほはそう言い、晋に行って急を告げた。


 これを受けて、十一月、晋の霊公、宋の昭公しょうこう、衛の成公せいこう、蔡の荘公そうこう、鄭の穆公ぼくこう、許の昭公しょうこう、曹の文公ぶんこうが扈(鄭地)で盟した。新城の盟約を確認し、斉討伐が相談される。


 魯は斉の攻撃を受けていたため、会に参加してない。


 これに士会、郤缺、初陣である郤克が従軍していた。


「おお、此度の戦いが初陣となるのか克殿」


「はい」


 元気よく返事する郤克の頭をぽんぽん叩きながら郤缺は言った。


「此度の戦いは多くの諸侯がいますから激しい戦いとはならないと思いましてな」


「そうですな。初陣としては宜しいかもしれませぬな」


「この戦いで功績を立てます」


 郤克は二人の言葉にムッとしながら言った。


 それにからからと郤缺と士会は笑う。そこに郤缺の兵がやって来た。


「どうかしたのか?」


「実は……撤退の命令が出ました」


「なんだと」


 二人は驚き、郤克は事態が飲み込めない。


「それは本当のことなのか?」


「真にございます」


「ちっ趙盾め」


 士会がそう呟くと部下が首を振った。


「違います。これは主公のご意志です」


「主公だと……」


 晋の霊公はまだ若い。そのため趙盾が代わりに政治を担い、晋における政治的判断は趙盾が行ってきたのだ。しかしながらここで晋の霊公自ら判断を下した。つまり霊公は己の自我を出したということになる。そうなるとここで問題になるのは何故、晋の霊公がそのような下したのかということになるが……


「実は斉が主公に賄賂を贈ったためという噂です」


「賄賂……」


「これが事実だとすれば、不味い事になるぞ」


「そのため、趙盾殿も反対なさったのですが、主公が撤退の命令を出したのです」


 大きな問題が浮き彫りになりだしたと言っていいだろう。賄賂が渡ったのは、霊公にではなく側近の可能性があるが、その側近は霊公に近く、霊公と同じ感情を持っているに違いない。そして、霊公の感情は……


(趙盾への反感)


 今まで、政治を牛耳ってきた趙盾に霊公は反感を持っている。そのことが今回のことから察することができる。


(霊公は趙盾が政治を行っていることに不満を持っている。そして、その感情を斉に利用された)


「郤缺殿。我が国は思っていた以上に不味いことになっているようだ」


「そうだな……」


 郤缺は頭を抱えた。魯が晋を頼ってきたのは郤缺が先に蔡討伐に見せた姿勢を示してくれると判断してくれたためであろう。しかしながら今回のことで、彼の努力は水の泡となった。


「父上……」


 そんな父を郤克は心配そうに見つめる。


「克よ。初陣は少し先になりそうだ。士会殿、私は趙盾殿の元へ出向き、何とか主公のご意志を変えてみようと思う」


「わかった。ここは任せよ」


 彼らは互いに頷き、郤缺は趙盾の元へ向かった。


「士会殿、私は細かいことはわかりません。ただ……父上の努力を無駄にされたということはわかりました」


 郤克は拳を強く握り、悔しさを滲ませる。


「そうだな……」


 士会は郤克の頭を静かに撫でた。


 郤缺の説得の甲斐無く、晋は諸侯を斉への侵攻前に解散させた。


 この一件により、霊公の自我が出たのだが、それは決して好ましいものではない。下手をすれば国が乱れることになる自我の出し方である。


 晋にとって、そして晋に仕える者にとって辛い時代が続く……




 



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