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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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斉の懿公

 十月、斉で事件が起きた。斉の昭公しょうこうの跡を継いだ斉君・しゃが殺されたのである。殺したのは昭公の弟である公子・商人しょうじんである。


 しかしながらそのような事件が起きたにも関わらず、公子・商人への批難は無く。それほど国に混乱は起きなかった。


 その理由は公子・舍の母が昭公の寵愛を受けていなかったため、国人に対して威信がなかったことと、公子・商人が民の信望があったためである。


 斉の桓公かんこうの死後、国君の位を争って失敗した公子・商人はその経験を活かし、秘かに賢士と交わり、民を大切にした。そのため民は喜んで商人に帰心するようになっていたのである。


 こうして民の信望を得ていた彼の本当の目的は己が国君になることである。そのために民を利用しているのだ。評判とは裏腹にとんでもない偽善者というべき男である。そんな彼は民の信望を得られたと判断すると斉の公子・商人は同士と共に斉君・舍を殺すという強行に及んだのだ。


 この男はそのまま、国君になったわけではないことが更にこの男の偽善者ぷりを際立たしている。彼の兄に公子・げん(母は少衛姫)がいる。彼は自分ではなく彼こそが国君になるべきと主張し、位を譲ろうとしたのである。


 しかし公子・元は弟の偽善を見抜いており、彼の強欲さを嫌っていた。そのためこう言った。


「汝は国君の地位を求めて久しく。私は汝に仕えることができるものの、もし私が即位すれば、汝は私に仕えることはできず、憎むようになるだろう。そうなれば私を禍から逃れさせることは無い。汝が即位すれ良い」


 公子・商人は兄がそう言うだろうと思っていた。彼としては、自分の即位を邪魔するような真似をするのかしないのかを知りたいだけなのだ。こうして彼が即位した。これを斉の懿公いこうという。


 即位をすることを断った公子・元は懿公の政治になじむことがなかった。そのためか懿公を「公」とよばず、終始「夫己氏(あの人)」と呼んだという。


 彼は弟の偽善を深く憎んだのである。











 宋の高哀こうあい(字は子哀しあい)䔥(宋の邑)の封人(守将。䔥大夫)であったが、宋の昭公しょうこうに気に入られて卿に抜擢された。


 しかしながら高哀は宋の昭公は義を知らないと判断し、魯に出奔してしまった。


 彼の出奔先の魯では、公子・すいが周の匡王きょうおうに使者を送り、斉の昭姫しょうき(昭公の妃・子叔姫。殺された斉君・舎の母)を斉から呼び戻させるように請うた。


 魯の使者が匡王にこう言った。


「斉は昭姫の子を殺しました。されどその母に用はないはずです。昭姫を斉から呼び戻させて下さい。斉人に国君を殺させた罪を問います」


 これに同意した周は冬、卿士・単伯ぜんはくが斉に送った。


 これを知った懿公は周王の威を借りたと魯に対し、激怒。単伯と子叔姫を捕えてしまった。


 紀元前612年


 春、子叔姫が捕らえられ、困った魯は晋に子叔姫を釈放してもらうための口添えをしてもらうため、季孫行父きそんこうほを使者として晋に送った。


「斉は周や我が国の訴えを無視し、挙句には子叔姫を捕らえるような真似をしました。どうか晋にこれを咎めていただきたく、参上致しました」


 彼は晋の霊公れいこうや晋の重臣の並ぶ前で、稽首した。


「わかりました。その件につきまして、斉へ忠告致しましょう」


 趙盾ちょうとんはにこやかな笑みを浮かべながら、そう言った。その後ろで座っている霊公は興味無いとばかりに欠伸をしていた。


「感謝致します」


 彼は礼を述べて、その場を後にした。


「大国の重責を担う主従にしては、軽いものだ」


 やれやれと首を振りながら、晋はそれほど宛にはなれない国だと思いながら帰国した。














 三月、宋の司馬・華耦かぐうが魯に来て盟を結んだ。随行の官員を多数率いている


 魯の文公ぶんこうは宴を開いて彼をもてなそうとすると、華耦は辞退してこう言った。


「先臣のとく華父督かほとくのこと華父督は華耦の曽祖父にあたる)は宋の殤公しょうこうの罪を得て(紀元前710年のこと)、その名が諸侯の簡策に記されています。私はその祀を受け継いでいる者です(私は罪人の子孫です)。そのような者が宴に同席して、国君を辱めるわけにはいきません。亜旅(上大夫の官)として命をお与えください」


 魯の人々は華耦の聡明であると称賛した。ただでさえ、斉の傲慢さに触れてしただけに、彼と出会って久しぶりに清々しい思いをしたのである。そのため魯は彼を絶賛したのである。


 一方、斉には晋から子叔姫を捕らえたことを咎める書簡が送られてきた。


「おのれ、魯め」


 懿公は怒りを顕にするが、流石に晋に逆らうわけにはいかない。釈放するかと苛立ちながら考えていると更に、彼を苛立たせたのは夏、曹の文公ぶんこうが魯に来朝したことである。


 諸侯は五年ごとに互いに朝見して天子の命を確認しあうことが古の礼とされていたため、そこまで苛立つことでも無いにも関わらず、彼は苛立った。


「我が国を舐めおって」


 彼は手に持っていた杯を壁に投げつけた。


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