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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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迷惑な人

 周王朝では政権を巡り、周公・閲と王孫蘇おうそんそが争っていた。この争いに決着をつけるために晋に訴えることにした。


 かつて天下を支配していた王朝の権威は失墜したものである。


 元々、周の匡王きょうおうは王孫蘇を支持していたが、突然態度を変え、周公・閲を指示することにした。匡王は卿士・尹氏と大夫・聃啓を晋に送り、周公・閲を助けさせる。


 晋の趙盾ちょうとんはこの面倒な王室の争いを調停し、それぞれの職位を元に戻させた。
















 その頃、楚では事件が起きた。


 前年、楚で楚の荘王そうおうが即位したが彼は喪に服しているため、実際の政治は令尹・子孔しこうを始めとした臣下たちによって運営されていた。


 八月、令尹・子孔と潘崇はんすうが群舒を討伐するために軍を発し、王子・しょう子儀しぎ子儀父しぎほ闘克とうこく)に留守を命じた。


 その時、事件が起きた。王子・燮と子儀が叛して楚都・郢を占拠したのである。


 以前、子儀は秦に捕えられたことがあった(紀元前635年のこと)。しかし殽で晋に大敗した秦(紀元前627年のこと)は、楚との関係を改善するために子儀を帰国させて楚と講和しようとした。


 子儀は晋の急成長に対して楚が秦と協力して晋と戦うべきという考えを持ち、そう主張してきたが、そのような動きが生まれることはなかった。それに不満を抱いていたのである。


 また、王子・燮は以前より、令尹の職を求めていたが、実現できなかった。そのため不満を持っている子儀と謀反を起こした。


 王子・燮と子儀は人を送って子孔を殺そうとしたが、失敗した。これでは、子孔が軍を還して来ると考えた二人はこれを恐れ、暴挙に出た。


 喪に服している荘王を誘拐し、彼を人質にして郢を離れて商密に立て篭ろうとしたのである。


 しかし、この暴挙は失敗に終わった。


 廬邑を通った時、廬戢黎(または「黎」の下半分が「木」)と叔麇(戢黎は廬大夫で叔麇は佐)が二人が荘王を連れていることを知り、これを救うために彼らに強力すると言い、誘い出して殺したのである。


「王、ご無事ですか?」


「うむ」


 涼しい顔で頷く荘王に皆、安堵する。だが、彼の腸は煮えくり返っていた。


(王である我がこのような目に合わせるとは……この無能共め)


 彼は己が王であり、尊重されるべき存在であると自負している。こういった自尊心は父譲りである。


 しかしながら彼が父と違うところは、ここでその感情を顕にせず、冷静に今の立場と状況把握を行う冷静さである。


(簡単にこのような事態を招く無能共ばかりだ。この国は……)


 同時にこの誘拐事件が引き起こされるということは王への侮りもあるということでも無いかと彼は考えていた。


(この国は変えねばならぬ。されど……)


 人は改革というものを嫌う。自分の生活が一変する可能性があるからだ。人は変化を望む時というのは、多くの場合、少数派なのである。


 そんな少数派、彼にとって信頼できる人物たちが誰であるのか。それも媚びるだけの無能では無く、正しい政治能力を有しているのは誰なのか。それを見極める必要があった。


 彼は都に戻ると突然、宴ばかりを開き、女を集めこれと遊び政治を行わなくなった。群臣たちは最初、そんな彼を諌めようとしたが、彼は諌めた者を処罰するとしたため、次第に諌める者もいなくなり、日夜宴ばかり、開く彼に呆れるようになった。


 このような態度はずっと続き、諸国にも伝わり、諸国も彼を侮るようになっていった。


 臣下に呆れられ、諸国には侮られる。楚は危機的な状況になっていたと言っていいだろう。しかしながら、彼はこのような生活を変えることなく、時は経っていった……













 かつて魯の公孫敖こうそんごう己氏きしと一緒になるために魯から出奔した時、魯は子の孟孫穀もうそんこくに跡を継がせた。


 公孫敖は莒で二人の子に恵まれていたのだが、暫くして彼は魯にいる息子へ帰国を求める書状を届けた。


「父上の頼みだ。断るわけにはいかない」


 孟孫穀は魯に父の入国を請う。しかしながら公子・すいはそれを拒否していた。彼と公孫敖には因縁があり、勝手に魯を出て行った公孫敖を許す気にはなかった。


 だが、あまりにも孟孫穀が父の帰国を望んだため、これを哀れんで、政治に関与しないことを条件に帰国を許可した。


 こうして公孫敖は魯に戻ることができたが、外出することなく三年(または二年)過ごし、再び家財を全てもって莒に移った。とんでもない男である。


 その後、父のため、頭を下げて帰国を請うた孟孫穀は父がまた、勝手に出国し、財産まで全て持って行ってしまったことに心痛めたのか病に倒れた。


 孟孫穀は魯の文公ぶんこうに、


「私の子はまだ幼弱です。弟のなんに跡を継がせることをお許しください」


 と頼み、文公は同意した。


 孟孫穀が死に、孟孫難もうそんなんが継いだ。


 この年、公孫敖が再び莒から魯への帰国するため、公孫敖は孟孫難に自身の帰国を求めさせた。図々しい人である。


 しかしながら兄と同じように父親思いの孟孫難は多額の礼物を使い、魯に渋々公孫敖の帰国を許可させた。


 だが、九月、その公孫敖が莒から魯に向かう途中、斉で死んでしまった。彼の家族は魯に訃報を送り、魯に埋葬することを求めた。しかし、魯はこれを拒否した。


 自分の職務を勝手に放棄し、出国して、帰国したいと請うたから許せば、金を持ってまた出国する。そして、また帰国すると言ったと思えば勝手に死んだのである。


 生きている間も、死んでも迷惑をかける。それが公孫敖という人である。そんな男をわざわざ埋葬してやる必要性は無いのである。









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