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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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帰国

 紀元前614年


 春、晋の霊公れいこうが大夫・詹嘉せんかに食邑・瑕を与え、桃林の塞(険阻な地)を守らせた。秦の東進に備えるためである。


 霊公はまだ幼いため、趙盾ちょうとんの意思によるものであろう。


 因みに詹嘉は食邑を氏としたため、瑕嘉かかともいう。


 このように秦の侵攻への備えをしている中、晋の上層部である晋の六卿は朝廷にいなかった。ではどこにいるかと言えば……


 夏、晋の六卿の中軍の将・趙盾、佐・荀林父じゅんりんぽ、上軍の将・郤缺げきけつ、佐・臾駢ゆへん、下軍の将・欒盾らんとん、佐・胥甲しょこうは郊外にある諸浮で会っていた。


「わざわざ、このような場で話し合うべきだろうか。朝廷で良いではないか」


 欒盾がそう言うと、臾駢が言った。


「朝廷で話し合っては悟られる可能性があるからですよ」


 そう、六卿は朝廷で毎日会うものである。それをわざわざ外で会ったのは密謀があるためだ。


 趙盾が話し始めた。


随会ずいかい士会しかい)が秦におり、賈季かき狐射姑こえきこ)が狄にいるため、日々禍が生まれている。どうするべきだろうか」


 彼らが集まった理由はこれを話し合うためである。晋を苦しめているのは秦だけではない、狄もである。


 中行桓子ちゅうこうかんし(荀林父。かつて中行の将だったため、中行を氏としている)が意見を述べる。


「賈季は国外の事に明るいため(狄人です)、彼を呼び戻すべきです。しかも彼には旧勳があります(彼の父は狐偃こえん)」


 彼自身は狄との交渉役も兼ねているため、彼としては賈季を招いた方が良いと思っているのである。


 これに反論したのは郤缺である。彼がこの会合を用意するよう趙盾に頼んだのである。


「賈季は乱を起こした男だ。その罪は大きい。賈季ではなく随会を呼び戻すべきだ。随会は人に対して身を屈することができるが、それでいて恥辱を受けることはなく、柔軟ではあるものの、人から侵されることもない。このような態度から彼の智謀が良くわかる。しかも彼には罪が無い」


「罪が無いだと。何を言っている。罪はあるだろう」


 これに胥甲が噛みついた。


「やつは秦の兵として我が国を攻め、土地を奪っている。これは罪ではないか」


 その通りと欒盾も頷く。


「それが何か?」


 郤缺は首を傾げる。


「だからそれが罪であると……」


「その理屈であれば、私は先君・文公ぶんこうを殺そうとしましたぞ」


 胥甲を始め、皆その言葉に息をのむ。また、彼の目はいつも会っているはずであるのに、今まで見たことも無い目をしている。


「公宮も大いに焼きました。それでも私はここにおります。なぜでしょうかな?」


 郤缺は胥甲に近づく。


「郤缺殿は晋に尽くしておられる。随会などとは……」


 胥甲は冷や汗を流す。


「同じですよ。私は汝の父に登用され、こうしてここにいます。あの者もまた、秦君に用いられた。何故、用いろうとしたのか。それは能力があると思われたからです」


 郤缺は目を細めながら思い出す。胥臣しょしんの言葉を。


『汝が高貴な心を持っているからだ』


 指を指し、そう言った胥臣の姿を思い出しながら、目の前の恩人の息子を見る。


(父親とは似ても似つかないな)


「さて、趙盾殿。賈季と随会、どちらを招くべきでしょうか。どちらこそが能力があるでしょうか。どちらに正しさがあるでしょうか。お選びください」


「随会を招くとしよう」


 趙盾は郤缺の意見に同意した。


「だが、郤缺殿。どのように彼を招くのでしょうか」


 臾駢が問うと彼はにこやかに答えた。


「攫えば宜しい」


 ここにいる者たちは彼の言葉に驚く。郤缺はその様子を見て言った。


「これは失礼した。言葉の綾というものです。つまり……」


 彼は士会を招くための策を話した。


「そう上手くいくとは思えないが……」


 臾駢を始め、彼らは同じことを考えた。


「大丈夫です。必ず上手くいきます。例え上手くいかなくとも……殺せば宜しい」


 皆、彼の言葉にぞっとした。

















「士会よ。狄が晋へ侵攻も行っているが故に晋も疲弊し始めているようだ」


 秦の康公こうこうは士会を呼んでそう言った。実は裏で秦と狄は手を結んでいた。士会の策である。


「それは喜ばしいことです」


「それにもう一つ、喜ばしいことがあった」


 笑みを浮かべながら士会に彼は言った。


「実はな大夫・魏寿余(または「魏讎余」「魏犫余」「魏州余」)が食邑と共に我らに下りたいと書簡を出してきた」


「それは……」


 ありえない。士会はそう思った。魏寿余は文公に従った魏犨の親族なのだ。そんな彼がそう簡単に下りたいと思うだろうか。


「何でもこの者の家族が無実の罪で、捕えられているそうだ。そのため、晋に激怒し、我らに下るというのだ」


「それは事実ですか?」


「事実だ、裏も取れている」


 事実である趙盾が命じて、魏寿余の家族を逮捕している。


「今、こちらに向かっているらしい。正式に帰順することを請うとのことだ」


「なるほど……」


(兵を用いず、土地を得られるのであれば、上々か……)


「汝の工作による成果だ。誠に汝がいて良かったと思っている」


「ありがたきお言葉でございます」


 士会は拝礼して、共に喜んだ。


 翌日、秦に入った魏寿余は康公に会うと、魏邑を挙げて帰順することを正式に請うた。康公はこれに同意する。


 その後、魏寿余は朝廷で士会に会って拝礼する。


「秦で相当活躍されていると聞いています」


「いえ、私などは……」


 互いににこやかに会話を交わすと、魏寿余が士会の近くによって足を踏んだ。同時に目で合図を送る。


(はっまさか策か……)


 士会はその意図を覚った。


(不味いこのままでは)


 彼は康公の元に向かおうとするが、魏寿余は士会を踏みつけており、動けない。そして、耳元に口を近づける。


「余計なことをするな」


 更に手元に隠し持っていた小さな剣を彼に向ける。


「既に汝の家族の近くに部下を派遣している」


(くそ……)


 彼は家族を人質に取られてしまった。これでは自由に動けない。仕方なく彼は頷いた。


「では、後日な」


 彼は士会から離れた。


 後日、康公が魏邑を占領するため河西に駐軍した。魏邑の人々が河東にいる。魏寿余が康公に言った。


「東人(晋出身の者)で魏邑の官員と対等に話ができる者を選び、私と共に先行させてください」


 康公は頷くと士会を派遣しようとした。しかしそれでは、自分は晋に行くことになると考え、何とかしようと士会は辞退して言った。


「晋は虎狼と同じです。もしも約束を破られれば、私は晋で殺され、私の妻子は秦で殺されるでしょう。主公にとっても益はなく、後悔しても間に合いません」


 康公は心配することはないと笑い飛ばす。


「もし晋が約束を破ったとしても、汝の家族を晋に帰らせることを黄河に誓おう」


 こうして士会は魏寿余と共に東に向うことになった。


 黄河を渡ろうとした時、秦の大夫・繞朝じょうちょうが士会の馬に鞭打って言った。


「汝は秦に人がいないと思うな。私の進言が用いられなかっただけのことだ」


 彼の進言というものがどのようなものであったか不明であるが、もしかしたら士会の帰国へに反対したのかもしれない。


 士会は彼とは付き合いはなかったが、彼の言葉に頷き、黄河を渡った。魏に入ると魏の人々は歓声を上げて迎え入れました。そんな人々の間に郤缺がいた。


「あなたがこのような策を巡らしたのですか?」


「そうだ」


 郤缺は士会に近づき言った。


「お前が必要だと思ったからな」


「これによって家族が殺されるようなことがあれば、私はあなた方を許しません」


 彼は郤缺を睨みつける。


「心配することはない。秦君は臣下の愛し方を知っている。そうだろう?」


 郤缺の言葉に彼は答えようとはせず、ただただ、郤缺を睨みつける。そして、秦の方向を向いて稽首した。それが今の彼が出来る康公への敬意であった。


 その後、康公は士会たちが戻ってこないため、晋に騙されたと知った。そのため周りの臣下たちが士会の家族を殺すべしと騒ぎ出したが、彼は誓いを守って士会の家族を晋に帰らせた。


 また、これに従わず、秦に留まった者達は劉氏を名乗った。


 士会はぎょうの子孫といわれており、堯の唐陶氏が衰えた時、劉累りゅうるいという人物が登場したため、その氏を名乗ったのである。


 この劉氏はやがて東へと流れていき、一人の英雄を生むことになるが、それはまた、別のお話し……





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