帰国
紀元前614年
春、晋の霊公が大夫・詹嘉に食邑・瑕を与え、桃林の塞(険阻な地)を守らせた。秦の東進に備えるためである。
霊公はまだ幼いため、趙盾の意思によるものであろう。
因みに詹嘉は食邑を氏としたため、瑕嘉ともいう。
このように秦の侵攻への備えをしている中、晋の上層部である晋の六卿は朝廷にいなかった。ではどこにいるかと言えば……
夏、晋の六卿の中軍の将・趙盾、佐・荀林父、上軍の将・郤缺、佐・臾駢、下軍の将・欒盾、佐・胥甲は郊外にある諸浮で会っていた。
「わざわざ、このような場で話し合うべきだろうか。朝廷で良いではないか」
欒盾がそう言うと、臾駢が言った。
「朝廷で話し合っては悟られる可能性があるからですよ」
そう、六卿は朝廷で毎日会うものである。それをわざわざ外で会ったのは密謀があるためだ。
趙盾が話し始めた。
「随会(士会)が秦におり、賈季(狐射姑)が狄にいるため、日々禍が生まれている。どうするべきだろうか」
彼らが集まった理由はこれを話し合うためである。晋を苦しめているのは秦だけではない、狄もである。
中行桓子(荀林父。かつて中行の将だったため、中行を氏としている)が意見を述べる。
「賈季は国外の事に明るいため(狄人です)、彼を呼び戻すべきです。しかも彼には旧勳があります(彼の父は狐偃)」
彼自身は狄との交渉役も兼ねているため、彼としては賈季を招いた方が良いと思っているのである。
これに反論したのは郤缺である。彼がこの会合を用意するよう趙盾に頼んだのである。
「賈季は乱を起こした男だ。その罪は大きい。賈季ではなく随会を呼び戻すべきだ。随会は人に対して身を屈することができるが、それでいて恥辱を受けることはなく、柔軟ではあるものの、人から侵されることもない。このような態度から彼の智謀が良くわかる。しかも彼には罪が無い」
「罪が無いだと。何を言っている。罪はあるだろう」
これに胥甲が噛みついた。
「やつは秦の兵として我が国を攻め、土地を奪っている。これは罪ではないか」
その通りと欒盾も頷く。
「それが何か?」
郤缺は首を傾げる。
「だからそれが罪であると……」
「その理屈であれば、私は先君・文公を殺そうとしましたぞ」
胥甲を始め、皆その言葉に息をのむ。また、彼の目はいつも会っているはずであるのに、今まで見たことも無い目をしている。
「公宮も大いに焼きました。それでも私はここにおります。なぜでしょうかな?」
郤缺は胥甲に近づく。
「郤缺殿は晋に尽くしておられる。随会などとは……」
胥甲は冷や汗を流す。
「同じですよ。私は汝の父に登用され、こうしてここにいます。あの者もまた、秦君に用いられた。何故、用いろうとしたのか。それは能力があると思われたからです」
郤缺は目を細めながら思い出す。胥臣の言葉を。
『汝が高貴な心を持っているからだ』
指を指し、そう言った胥臣の姿を思い出しながら、目の前の恩人の息子を見る。
(父親とは似ても似つかないな)
「さて、趙盾殿。賈季と随会、どちらを招くべきでしょうか。どちらこそが能力があるでしょうか。どちらに正しさがあるでしょうか。お選びください」
「随会を招くとしよう」
趙盾は郤缺の意見に同意した。
「だが、郤缺殿。どのように彼を招くのでしょうか」
臾駢が問うと彼はにこやかに答えた。
「攫えば宜しい」
ここにいる者たちは彼の言葉に驚く。郤缺はその様子を見て言った。
「これは失礼した。言葉の綾というものです。つまり……」
彼は士会を招くための策を話した。
「そう上手くいくとは思えないが……」
臾駢を始め、彼らは同じことを考えた。
「大丈夫です。必ず上手くいきます。例え上手くいかなくとも……殺せば宜しい」
皆、彼の言葉にぞっとした。
「士会よ。狄が晋へ侵攻も行っているが故に晋も疲弊し始めているようだ」
秦の康公は士会を呼んでそう言った。実は裏で秦と狄は手を結んでいた。士会の策である。
「それは喜ばしいことです」
「それにもう一つ、喜ばしいことがあった」
笑みを浮かべながら士会に彼は言った。
「実はな大夫・魏寿余(または「魏讎余」「魏犫余」「魏州余」)が食邑と共に我らに下りたいと書簡を出してきた」
「それは……」
ありえない。士会はそう思った。魏寿余は文公に従った魏犨の親族なのだ。そんな彼がそう簡単に下りたいと思うだろうか。
「何でもこの者の家族が無実の罪で、捕えられているそうだ。そのため、晋に激怒し、我らに下るというのだ」
「それは事実ですか?」
「事実だ、裏も取れている」
事実である趙盾が命じて、魏寿余の家族を逮捕している。
「今、こちらに向かっているらしい。正式に帰順することを請うとのことだ」
「なるほど……」
(兵を用いず、土地を得られるのであれば、上々か……)
「汝の工作による成果だ。誠に汝がいて良かったと思っている」
「ありがたきお言葉でございます」
士会は拝礼して、共に喜んだ。
翌日、秦に入った魏寿余は康公に会うと、魏邑を挙げて帰順することを正式に請うた。康公はこれに同意する。
その後、魏寿余は朝廷で士会に会って拝礼する。
「秦で相当活躍されていると聞いています」
「いえ、私などは……」
互いににこやかに会話を交わすと、魏寿余が士会の近くによって足を踏んだ。同時に目で合図を送る。
(はっまさか策か……)
士会はその意図を覚った。
(不味いこのままでは)
彼は康公の元に向かおうとするが、魏寿余は士会を踏みつけており、動けない。そして、耳元に口を近づける。
「余計なことをするな」
更に手元に隠し持っていた小さな剣を彼に向ける。
「既に汝の家族の近くに部下を派遣している」
(くそ……)
彼は家族を人質に取られてしまった。これでは自由に動けない。仕方なく彼は頷いた。
「では、後日な」
彼は士会から離れた。
後日、康公が魏邑を占領するため河西に駐軍した。魏邑の人々が河東にいる。魏寿余が康公に言った。
「東人(晋出身の者)で魏邑の官員と対等に話ができる者を選び、私と共に先行させてください」
康公は頷くと士会を派遣しようとした。しかしそれでは、自分は晋に行くことになると考え、何とかしようと士会は辞退して言った。
「晋は虎狼と同じです。もしも約束を破られれば、私は晋で殺され、私の妻子は秦で殺されるでしょう。主公にとっても益はなく、後悔しても間に合いません」
康公は心配することはないと笑い飛ばす。
「もし晋が約束を破ったとしても、汝の家族を晋に帰らせることを黄河に誓おう」
こうして士会は魏寿余と共に東に向うことになった。
黄河を渡ろうとした時、秦の大夫・繞朝が士会の馬に鞭打って言った。
「汝は秦に人がいないと思うな。私の進言が用いられなかっただけのことだ」
彼の進言というものがどのようなものであったか不明であるが、もしかしたら士会の帰国へに反対したのかもしれない。
士会は彼とは付き合いはなかったが、彼の言葉に頷き、黄河を渡った。魏に入ると魏の人々は歓声を上げて迎え入れました。そんな人々の間に郤缺がいた。
「あなたがこのような策を巡らしたのですか?」
「そうだ」
郤缺は士会に近づき言った。
「お前が必要だと思ったからな」
「これによって家族が殺されるようなことがあれば、私はあなた方を許しません」
彼は郤缺を睨みつける。
「心配することはない。秦君は臣下の愛し方を知っている。そうだろう?」
郤缺の言葉に彼は答えようとはせず、ただただ、郤缺を睨みつける。そして、秦の方向を向いて稽首した。それが今の彼が出来る康公への敬意であった。
その後、康公は士会たちが戻ってこないため、晋に騙されたと知った。そのため周りの臣下たちが士会の家族を殺すべしと騒ぎ出したが、彼は誓いを守って士会の家族を晋に帰らせた。
また、これに従わず、秦に留まった者達は劉氏を名乗った。
士会は堯の子孫といわれており、堯の唐陶氏が衰えた時、劉累という人物が登場したため、その氏を名乗ったのである。
この劉氏はやがて東へと流れていき、一人の英雄を生むことになるが、それはまた、別のお話し……




