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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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河曲の戦い

 秦軍、接近せり、この報告が晋軍にもたらされた。


 臾駢ゆへん趙盾ちょうとんに進言した。


「秦軍は遠方から来て、長く遠征を続けることができないはずです。営塁を高くし、守りを固めるべきです」


 遠方からやって来た敵軍に対し、守りを敷く際、有利な点は食料の供給が守備側の方が優位であることである。そのため、彼はその優位を大いに活かすことにしたのである。


 趙盾はこれに従った。












 秦の康公こうこうは守備を固める晋軍を見て、士会しかいに策を聞いた。


「晋軍は守備を固めている。どのように崩すのだ」


 彼の言葉には不安などといった感情は無い。それだけ士会の策を信頼しているのである。


「晋軍では、正卿である趙盾が最近抜擢した臾駢が策を練っており、我が軍の疲労を待つように進言したのでしょう」


 士会はこの戦の前から多くの間者を放っており、晋の内部情報を得ていた。


「そんな趙盾には趙穿ちょうせんという傍系の者がいます(趙盾の従兄弟に当たる)。晋君(恐らく襄公じょうこう)の壻であり、趙盾の寵愛を受けています。しかしながらまだ若く、正直、軍事に明るくありません。また、勇猛を好み、狂妄で、しかも臾駢が上軍の佐でいることに不満を持っています。勇敢かつ俊敏な兵を選び、これに襲わせれば、あるいは勝てるかもしれません」


 彼の目には晋は強固な守りを固めたように見えてない。いつでも崩すことができる。


 康公は進言に納得し、璧を黄河に沈めて戦勝を祈った。


 秦軍が晋の上軍を攻撃を行わせた。上軍は郤缺げきけつと臾駢の指揮の元、これを防ぐ。


「主公。退却の太鼓を鳴らしてください」


 康公は頷き、退却の太鼓を鳴らす。これを聞いた秦軍は退いていくが上軍の将である郤缺と佐の臾駢は追撃しない。


 だが、二人から追うなと言われているにも関わらず、趙穿が兵を率いて追撃した。しかしながら先ほどまで上軍を攻めていた秦軍は士会が厳選した足の速い兵である。彼らに追いつくことはなかった。












「くそ」


 陣に帰った趙穿は兜を叩きつけ、怒って言った。


「食糧を用意しながら甲冑を身につけているのは敵を求めるためだ。敵が来たのにも関わらず、なぜ撃たないのだ。いつまで待機しているつもりか」


 臾駢らに対する不満を顕にしながら、暴れる。


 軍吏が「将(趙盾)が待機を命じています」と言って諫めて止めようとするが、趙穿はこれを振り切って叫ぶ。


「俺には策謀など関係ない。一人で撃って出る」


 彼は兜も被らず出撃した。


 趙盾はこれに慌て、


「秦が穿を捕えてしまえば、一卿を捕えたことになる。秦が勝利を得て帰還したら、私は国人に会わせる顔がない」


 趙盾は全軍に出撃を命じた。


「お待ち下さい。ここで出撃してしまってはなりません」


 臾駢は止めようとするが、中軍の佐である荀林父じゅんりんぽ、下軍の将・欒盾らんとん、佐の胥甲しょこうが反対しないため、そのまま出撃する。


「来たか」


 康公は士会を見ると彼は頷く。


「既に準備はできています。戦鼓を鳴らしましょう」


 今度は康公が頷き、秦軍は一斉に晋軍に襲いかかった。


 突出している趙穿を中心に晋軍を囲むように秦軍は動く。









「不味いな」


「ええ」


 上軍の郤缺と臾駢は秦軍を睨みながら話す。


 秦軍が包囲しながら動く中、晋はそれを阻もうと上軍は動く一方、中軍は苦戦し、下軍の動きが鈍い。中軍は臨機応変に軍を動かせる者がいないため、下軍は軍の動かし方に不慣れなためである。


「このままでは、包囲されてしまいます。如何しますか?」


 臾駢が郤缺に意見を求めると彼は下軍を見て、中軍を見た。


「私が下軍の方に向かおう。中軍には韓厥かんけつ殿を向かわせよう。ここは汝に任せる」


「何故、韓厥殿を向かわせるのですか?」


「あの者は趙盾殿に恩義を感じている。その恩のために奮闘するはずだ」


「承知しました」


 彼らは頷き合い、それぞれ兵を率いて動いた。













 秦が包囲を徐々に進めていたが包囲する途中で、止まった。


「包囲しきれてないな」


 康公が呟く。


「左様ですね」


(そろそろか……)


 士会はこの展開を予想はしていた。計算違いがあるとすれば、思ったよりも趙穿が猛将でこちらの兵が削られていること、中軍の援護に回った司馬の韓厥の兵の動かし方が上手く、晋の中軍に思ったよりも被害を与えていないことである。


(思ったよりも早かったが良しとするか)


 晋にもしっかり被害を出してはいるのだ。ここらが良い塩梅というものであろう。


「主公。ここらで退きましょう」


「わかった。退こう」


 士会がそう言うのであれば、退くべきなのだろう。そう考えるほど彼は士会を信頼している。


 互角の戦いを繰り広げた両軍は、双方、兵を陣に還した。


「この後はどうするのだ?」


「このまま退却します」


「私はまだ、負けていないぞ」


 不満そうな康公に対し、士会は言った。


「確実に勝つための一手です」


「そうか……わかった。信じよう」


「感謝します」













 夜、郤缺と臾駢は秦軍が引き上げていく様子を見ていた。


「退くのが、上手いな」


「ええ、秦軍の策は全て士会から出ていると聞いていますが、容易ならぬ相手ですね」


 戦を行うことよりも退くことの方が難しいとされている。それを難なくこなしているのが、士会である。


(令狐の役の際も引き上げるのが上手かった)


 あの時の戦は正直、言えば晋に正義はなかった。ただ、正しかった者がいるとしたら士会ただひとりである。


 そんな士会が晋に牙を向いている。


「さてさて、どうなるものか」


 郤缺がそう呟くと兵がやって来て、秦から使者が来たと報告された。


「どう思いますか?」


「恐らくは……取り敢えず趙盾殿の元へ迎え」


「わかりました」


 臾駢は立ち去った。


「そう来るか士会よ……」


 晋は士会一人にここまで翻弄されている。


「どうにかしなければな」


 彼の目はかつて晋の公宮を焼いた時と同じ目をしながら彼は部下に放っていた間者を集めるように命じた。














 晋陣に使者を送ってこう伝えた。


「両君の士がまだ満足していない(昼の戦いでは引き分けだったため)。明日、再会せん」


 明らかな挑発であると趙盾は思ったが、臾駢が趙盾に進言した。


「秦の使者は目も声も安定していませんでした。我々を恐れているからです。恐らくここから撤退するつもりでしょう。追撃するべきです。追撃すれば、黄河まで追いつめれて敗ることができます」


 趙盾はなるほどと頷き、これに従おうとしましたが、胥甲と趙穿が軍門で叫んで言った。


「死傷者をまだ回収していないにも関わらず、それを棄てて戦うのは不恵である。約束の時になっていないにも関わらず出撃し、しかも険しい地に人を追い込むのは無勇ではないか」


 これを聞いて、臾駢は呆れた。元々私たちは守備を固め、秦の攻撃を防ごうとしていたのである。それにも関わらず、勝手に出陣して被害をもたらしたのは、趙穿ではないか。それにも関わらず、死傷者を回収しなければならないと宣う。


 更に彼を驚かしたのは、趙盾がそうであるなと納得したことである。


「趙盾殿、彼らの言葉に従うべきではありません」


 しかしながら趙盾は出撃を命じなかった。


「こうも安々と撤退を許すとはな」


 康公は笑いながら夜の間に撤退した。


 これにより、秦の余力を残したままになり、暫くして秦軍が再び晋を攻撃し、瑕地に進攻するなど度重なる侵攻を許すことになり、晋は大いに苦しんだ。


 一方、郤缺は間者から細かい報告を聞いていた。


「秦君は士会の言葉を全面的に信頼しており、全て士会から策が出ているのだな」


「はい」


(士会以外に戦略を立てられる者はいない)


 秦は穆公ぼくこうの死で多くの者が殉死させられてしまったことで人材が少ない。そのため士会の才気がここまで輝くことができているのだが、それは同時に秦の人材不足の事実も浮き彫りにしてしまっているのである。


(それならば……)


 郤缺は趙盾の元に出向く。


「趙盾殿、相談したいことがある」


「何でしょうか?」


「六卿が密かに話し合いたい。今後の国の未来のためにも」


 晋を脅かす士会の策を前に郤缺の策が煌めこうとしていた。






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