ただ一人を感動させて
秦が大軍を率い、令狐の役の報復のため、晋を攻撃しました。秦が遂に動き出したのである。
冬、秦の康公と傍に控える士会の指揮の元、羈馬を占領する。
「これ以上、秦の好き勝手は許すわけにはいかない」
趙盾の号令の元、晋は兵を出してこれに迎え討った。
正卿の趙盾が中軍の将に、荀林父が佐に、郤缺が上軍の将に、臾駢が佐に、欒盾(欒枝の子)が下軍の将に、胥甲(胥臣の子)が佐になり、范無恤が趙盾の戎車を御す。
晋軍は河曲(晋地)に布陣して秦軍を待った。
これより以前、趙盾は韓厥を晋の霊公に推挙し、司馬(軍司馬。軍中の法を掌る官)に任命した。韓厥は韓万の玄孫で、韓簡の孫にあたる人物である。
韓家は晋の名家という家で、名将を輩出している家柄である。だが、晋の文公に同じ名門である欒氏は重用されたが、彼らはそうでは無い。
韓簡は晋の恵公からは遠い立場であったが、韓家は積極的に文公に従ったわけではなかった。その点は士氏とも共通している。
つまり稀代の名君・文公の目から溢れた存在と言っていいだろう。
話を戻す。晋軍が河曲で駐軍した時、趙盾の部下が車に乗って隊列を乱すということがあった。これは立派な軍法違反であった。しかしながら周りの者はそれを処罰しようとしなかった。相手は正卿の部下なのである。そんな相手の部下を処罰してしまえば、何を言われるかわからないからだ。
裏を返せば、そんな印象を趙盾は与えているのである。
そんな中、韓厥はそれを捕え、なんと処刑してしまった。
人々はこう噂した
「韓厥は善い終わり方をしないだろう。朝、車僕の主(趙盾)が彼を抜擢してもらったにも関わらず、暮れには車僕を殺した。このような仕打ちに誰が我慢できるだろうか」
噂をしていると趙盾がやって来た。
「韓厥が私の部下を殺したと聞いた。ここに呼べ」
「言うに及びません。私はここにいます」
韓厥は趙盾の前に出て、彼の前で膝をついた。
「どのような処罰もお受けします」
韓厥には正しきことをやったという思いがある。それを裁くというのであれば、趙盾には正義を求める気持ちが無いということになる。
(我らは文公にさえ、見捨てられたのだ。ここで処罰されようとも良い)
晋の名君と名高い文公は彼にとっては名君では無いのだ。
そう思っていると趙盾はにこやかな顔を向け、彼を招く。
「そう畏まることは無い。こちらに参れ」
怪訝そうにしながら韓厥は趙盾に近づいた。彼が趙盾に近づくと彼は礼をもって遇して言った。
「国君に仕える者は義によって結ばれ、党を組むことはないという。忠信によって正義の者を推挙することを比(義によって結ばれること)という。人材を推挙しながらも私情によって交わることを党(私党を組むこと)という。軍法は犯してはならず、犯す者がいたら隠してはならないという。これは義(正義)である」
彼は体が震えていくことを感じる。
「私はあなたを国君に推挙したが、あなたが本当は相応しくないのではないかと恐れていた。相応しくない者を推挙することほど、大きな党(結党)はないからだ。国君に仕えながら私党を組むようでは、今後どのように政治を行うべきだろうか。私はあなたを試すためにわざと部下を使ったのです。あなたはこれからも職務に励むことです。将来、晋国を掌管できる者がいるとしたらあなたでしょう」
かつてこれほどのことを言ってくれた人がいただろうか。
趙盾が諸大夫に宣言した。
「皆、私を祝賀せよ。私が韓厥を推挙したのは正しいことであった。私は私党を結ぶという過ちを犯していないと確信できた」
韓厥は大いに感動した。それは周りの諸大夫もである。彼らは歓声を上げる。
そんな熱狂から少し、離れたところで見ていたのは郤缺と臾駢である。
「趙盾殿は魅せるのが上手いな」
郤缺の言葉には皮肉がある。趙盾は恐らく自分の部下が不始末を行ったことで外聞が悪いと思った。自分の部下への律し方が足りないということだからだ。
そこで部下を斬った韓厥を称えることでそれを覆い隠したのだと郤缺は考えたのである。
「そうですね。そういう見方もできます」
臾駢は苦笑する。
「でも、趙盾殿はそこまで深く考えていないと思いますよ」
彼は目を細める。彼は趙盾に取り立ててもらったため趙盾には同情的である。また、趙盾の欠点も理解している。
「あの方はあまり自分の考えを表に出さず、人とも会話を積極的にする方でもありません。そのためあの方の考え方はわかりづらい。しかしながら……あの方のあり方を見ていると感動させられる時があるのですよ」
彼もまた、趙盾に感動した人物である。
「あの方は綺麗な水なのですよ」
「なるほど……」
郤缺は彼の言葉を聞きながら趙盾を見る。
(綺麗な水というよりは綺麗すぎる水か……)
そのように思ってしまうのは年をとったのかそれとも……そこまで考えて、彼は臾駢と共に持ち場に戻った。
趙盾への見方はどうあれ、このことによって韓厥は大いに感動したことは事実である。
人一人、感動させることも難しいものである。人をどれほど感動させることができるのか。それもまた歴史に名を残す条件かもしれない。
たかが一人、されど一人、趙盾は感動させた。この韓厥一人を感動させたことで、自分の子孫さえも救うことになるとは流石に趙盾とて思わなかっただろう。




