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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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謀者の片鱗

 士会しかいは秦に亡命してから時が経ち、彼の家臣たちの中には秦の者と結婚する者も現れ始めた。どこか複雑な感情もありつつもそれを彼は祝福する日々を送っていた。


「ここの天は広く、伸び伸びしている」


 秦で生活していく内、士会はそう思うようにもなった。秦は中原に比べると文化としては低いが、ここに住む国民には人としての純粋さが現れている。


「良い国だ」


 彼の心の傷は少しずつではあるものの、癒されていった。しかし、彼を現実に戻す使者がやって来た。


「士会殿ですね。主公がお待ちです」


 士会は何も言わず、使者に従って、秦の宮中へ向かった。


「士会が秦君に拝謁致します」


「良く来た」


 秦の康公こうこうはゆったりと玉座に腰掛けながら、士会に言った。


「晋が我が国を攻めて少梁を取った。私は報復を行おうと思う。汝も付いてまいれ」


 彼は士会に才覚があると思っており、彼を誘った。


「不才の身であります。私を評価していただき、感謝します。されど私は元々、晋の者でございます。そのような者を連れていくべきではありません。ですので、お断り致します」


 士会は立ち去ろうとした。それを見て、康公はやれやれと思いながら彼に言った。


「復讐したくはないのか?」


 康公の言葉を受けて、思わず士会は足を止めてしまう。


「聞いているぞ、汝の兄も晋に殺されていよう。言わば、汝の仇は故郷である晋だ。その晋に復讐をしたくはないか」


 しばらく黙っていた士会だが、答えた。


「少し、考える時間を戴けませんか?」


「良いだろう。私は期待して待っていよう」


 士会は拝礼してから朝廷から出た。それを見て、近臣たちが集まってくる。


「誠に士会を持ちいるのですか。あの者は晋の者です。もしかしたら我々の晋への侵攻を知らせるかもしれませんぞ」


「汝の目は節穴か。士会はそのようなことはしない。やつは義を重んじる男だ。そのようなことをするものか」


 康公は大いに士会という男を気に入っていた。













 士会は帰宅した。


「何かございましたか?」


 妻が彼を心配する。


「何故、そう思うのだ」


「あなた様が怖い顔をなさっているからです」


「そうか……」


 思わず、顔に出ていたかと彼は自身の顔を手で覆う。


「しばらく考え事をしたい。一人にさせてくれ」


「わかりました」


 妻は何も言及することなく。士会から離れた。そんな妻に感謝しながら、士会は一人、考え始めた。


(秦君の言葉に思わず、心揺らいでしまった)


 晋への怒りは憎しみがあることを今更、否定しようとは思わない。しかしながらそれでも晋は故郷なのだ。故郷を攻めようという考えをしたくはなかった。


(しかし、心の中でそれを望んでいる自分もいる)


 足を止めた時、彼は動揺もあったが、それと同時にどのように晋を攻めれば良いのか頭の中で考え始めていた自分もいたのである。


(私は……)


 ふと、外からうっすら光がこぼれているのが見えた。そして、気づけば、部屋の中は暗くなっている。


(夜か……)


 晋に裏切られたあの時も夜であった。多くの兵の叫び、主であった方の死。全て、あの夜からであった、


「私は、あの時、何もできなかった。主を助けることもできず、多くの兵も犠牲にしてしまった……」


多くの者が傷つき、死んでいった。そして、彼らの正義は踏み潰されたのであった。その中で自分が生き残ってしまっている。


 暗闇の中、彼の両目が不気味に輝く。その目はかつて晋の献公けんこうに仕えていた。祖父の目と何処か似ていた。
















 夏、秦の康公が晋を攻めて北徴を取った。彼のそばに控えているのは、士会である。


「見事だ。士会。汝の策で北徴を取れた」


「ありがとうございます」


 士会は拝礼を持って答える。


「しかしながら、まだ秦の勝利とは言えません」


「何故だ」


「晋にはまだ余力があります。真の勝利とは徹底的に勝つということです。相手に余力を残さぬほどに徹底的に勝つことこそが真の勝利なのです」


 戦は民にとって苦痛なのだ。一回の戦で徹底的に勝ち、その国の息の根を止める戦をしなくてはならない。


「次こそがその戦か」


「はい、しかしその前に後顧の憂いを絶たねばなりません」


「後顧の憂いとは?」


「楚です。主公、どうか任望じんぼうの策を用いてください」


 康公は三年前から楼台を築いていた。


 この頃、楚が斉討伐を宣言して兵を動かそうとしていた。


 それを知った任望が康公に進言した。


「飢饉は敵兵を招き、疾病は敵兵を招き、労苦(民を労役で疲弊させること)は敵兵を招き、内乱は敵兵を招くと申します。主公は楼台を築くために三年を費やしましたそれにより、国財を費やし民を疲弊させました。今、楚が斉を攻めるために兵を起こしましたが、斉討伐は恐らく仮の名目です。秦を急襲することが実際の計略ではないでしょうか。備えを置くべきです」


 しかしながら康公はこの進言を信じず、大した備えをしていなかった。


「楚が来ると申すのか?」


「来ます」


 士会は断言する。


「そうであったか。士会よ。汝の言が無ければ、私は愚君になってしまうところであった」


 康公はこれに従って東境の守備を固めた。


 これを知った楚は出兵を中止した。


「汝のおかげで、楚の侵攻を受けずにすんだ」


 康公は士会を賞を与えようとしたが、士会は断った。


「主公。任望の進言があってこそです。彼こそ賞を与えるべきです」


 康公は頷き、任望に賞を与えた。






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