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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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公孫敖

 紀元前619年


 春、晋が解揚かいようを使者にして匡と戚の地を衛に返した。前年、郤缺げきけつに言われたために趙盾ちょうとんは動いたのである。


 また、公壻池が定めた国境を恢復し、申から虎牢にわたる地を鄭に返した。


 夏、趙盾と郤缺の元に兵が駆け込んできた。


「報告します。秦が武城に侵攻、これを占領しました」


 郤缺が進言する。


「趙盾殿。令狐の役の報復でしょう。しかしながら、秦を攻めてはいけません」


「何故でしょう。あなたは去年、服さぬ者を打たねばならないと申しておりました」


「趙盾殿、物事には順序がございます。秦は元々、我らに服してはおりません。服していない者を討つより先に我らに背くものを討たねばなりません」


 今は晋と諸国の関係を締め付けを行う時なのである。


「背こうとしている者とは?」


「魯です」


 魯は前年の扈の会盟で遅れてやって来た。それは晋への反感を抱いているためと彼は判断しているのである。


「わかりました。あなたに従おう」


 こうして一先ず、秦への報復は行わなかった。


 秦の康公こうこうは武城にいたが、晋が仕掛けてこないため帰国した。そして、部下に言った。


「あの者にこう伝えよ。汝の言う通り、晋は報復して来なかった。次の戦には来てもらうぞと」


 部下は頷き、向かった。


「晋よ。今は安寧の時を享受している良い。本当の意味の報復はこれからだ」


 彼はそう呟いた。














 八月、周の襄王じょうおうが死に、子の壬臣が即位した。これを頃王けいおうという。


 襄王という人は王としての性質はそれほどではなかったが、王らしからぬ逃げ足の速さとしぶとさで長寿を得て、晋の文公ぶんこうとしての後ろ盾を得ると王らしくなった人である。


 前年の扈の会盟で魯の文公ぶんこうが遅れたため、晋は魯に侵攻した。


「おのれ晋め、あの程度のことで……」


 苛立つ文公だが、真面に晋と戦う気は更々無いため、十月、魯の公子・すいを趙盾の元に送り、衡雍で盟を結んだ。


 更に公子・遂は雒戎(伊雒の戎)にも会いに行き、暴(暴隧。鄭地)で盟を結んだ。


 襄王が亡くなったため、魯は弔問のため公孫敖こうそんごうを京師に向かわせた。彼と入れ違いで公子・遂は帰国すると最近、体調を崩している臧孫辰ぞうそんしんの元に出向き、言った。


「公孫敖はまるで心ここにあらずと言う様で、任務に支障を来たすかもしれません」


「そうであったか。ならば、汝は主公の元に出向き、使者の任を変えてもらえるよう、進言せよ」


 しかしながらこの動きは遅かったと言うべきだろう。公孫敖は京師に入らず、幣(弔問の財物)をもって莒に奔り、己氏きし(前年、魯に迎え入れられるはずだった莒女)と一緒になってしまったのである。


 好きになった女のために、全てを投げ捨てて一緒になる。どこぞの浪漫溢れる話に聞こえるが、


「公孫敖め、なんという男か」


 珍しく臧孫辰は激怒した。彼は公孫敖のような男が一番嫌いである。更に公孫敖は幣を自分のものにして、任務を放棄したのである。


 また、これにより、周から財物を送れと催促を受けることになる。


 この怒りが公孫敖の息子である孟孫穀もうそんこくに向けられると思われたが、そういうことはなく。魯は彼に孟孫氏を継がせた。


 身内を処罰できない魯という国風もあるが、何より孟孫穀という人物自体、良くできた人物であったという部分もある。


 ある日、文公が孟孫穀の宅(屋敷)を取り毀して宮殿を拡大しようとしたことがあった。そこで使者を送って孟孫穀に言った。


「汝のためにもっと広い場所に家を建てて与えようと思う」


 自分のためであるのに、相手のためであると可笑しいこと、この上ない。孟孫穀は文公の元に出向き言った。


「爵位とは政事の基礎になるもの。署(官職)とは爵位の表すもの。車服(車や衣服のきまり)とは貴賎を明らかにするもの。宅とは車服を擁する者が住む場所、禄とは宅に住む者が食すもの。国君足る者はこの五者(爵位・官職・車服・宅・禄)に基づいて政事を行うべきであり、簡単に変えてはなりません。今、有司(官員)が臣の官職と車服を変えるように命じ、こう申しました。『広く便利な場所に宅を改める』官職があるために朝夜、恭しく君命を聴くことができるのです。私は先臣(祖父や父)の官職と車服を受け継ぎましたが、これらを受け継ぎながら、利のために住む場所を変えてしまえば、君命を辱めることになります。よって命を聞くわけにはいきません。命に背くことが罪になる申されるのであれば、私の禄(田邑)と車服を取り上げ、官職を解くべきです。その後、里宰(里の長。二十五家で一里)に命じ、私の住居を定めさせてください」


 これを聞いた文公は他の方法を考えることにした。彼の官職を解くなどを行う度胸が彼には無いのである。


 この話を聞いた臧孫辰は称えた。


「孟孫穀は自分の職を全うすることができる人物だ。彼自身は父を越えその子孫は魯で高位を保つことができるだろう」


 因みにこの言葉は公孫敖が官職を棄てて出奔したことを謗っています。いつまでも彼の行動を許せなかったのである。

 

 一方、宮殿拡張をあきらめきれない文公は郈敬子の宅を取り壊そうとしました。郈敬子は文公にこう言いました


「先臣の恵伯(郈敬子の先祖)は司里(里宰)に命じられ、ここに住むようになりました。そして、嘗(秋祭)・禘(夏祭)・蒸(冬祭)・享(春祭)の胙(祭祀で使う肉)をこの家で国君から下賜されてきました。また、礼物を持って使者として諸国を往来し、君命を伝える時にもこの家が起点となりました。これらは何代も続けてきたことです。今、私の住む場所を移そうと為さっていますが、今後、有司(官員)が私の官爵に応じた任務を与えようとしても、家が遠いため不便になるでしょう。それでも私の居を移そうというのなら、司徒(里宰を管理する官)に命じて私の職責にあった場所に居を改めさせてください」


 結局、文公はあきらめることになった。




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