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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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故郷

「では、晋に新たな国君が立った。そのため公子・ようの即位を認めるわけにはいかなかった。そして、公子・雍に我が国の軍はついていたため、これを防ぐために戦い我が国の兵を殺した……そういうのであるな」


 秦の康公こうこうは明らかに苛立ちながら、目の前にいる先蔑せんべつ士会しかいに向かって、言った。


「左様でございます。されどその連絡するほど余裕もなかったため、兵馬を交える結果となりました。その点につきましては、お詫びいたします。されど今後も両国の友好が以後も続くことを……」


「両国の友好だと……」


 先蔑に冷や汗が流れる。


「我が国の兵を殺めておきながら、友好が結べると思うのか」


 康公の苛立ちは最高潮に達した。


「何卒、何卒お許し下さいませ」


 先蔑が更に冷や汗をかく中、隣の士会は特に動揺することはなかった。


「汝は何も思わぬのか」


 怒りの矛先は士会へ向けられた。


「我が国は天下の覇権を握り、人心未だ離れず、諸侯は我が国と友好を結んでおります。それでも尚、我が国と戦をなさりたいと申されるのであれば、我が国は臣民一同、貴国と兵馬を交えましょう」


「汝は何を申しておるのか」


 まるで康公を挑発するような言動をする士会に向かって思わず悲鳴に近い叫びを上げる先蔑。


 一方、先ほどの怒気は影を潜め、康公は静かに士会を見つめる。


「下がれ」


 その後、彼は二人を下がらせた。


「士会よ。先ほどの言は何だ。もし我が国と秦が戦となったら汝は如何なる責任を取るのだ」


 先蔑は士会に詰め寄るが、士会は何ら表情を変えることなく。答えた。


「心配いりません。今の秦は他国どころか我が国と戦をすることはありません」


「何故わかるのだ?」


「秦君は即位してからまだ、人心を纏めきれてはおらず、秦は先君が亡くなった際、名臣と呼ばれる人物を殉死させてしまい。人材が不足しております。彼らの代わりの者を用意するだけでも大変なのです」


 士会はだからこそ秦は戦をしようとは思わないと断言した。


「だが、先ほどまでの怒気は尋常ではなかっただぞ」


「自国の兵が死んでいるのです。それ相応の態度は見せねばならないでしょう」


 民の死を嘆くのも国君の仕事である。


「そうであれば良いが……」


 先蔑は不安を隠せないでいたが、一先ずは士会の言葉を信じた。


「では、戻るとしよう」


「先蔑殿、私はここに残ります」


「何だと」


 驚く先蔑に対し、士会は言った。


「私は公子様を守るために晋の兵を傷つけております。その罪は軽くはありません」


「それであれば、処罰されることは無い。我が友人である荀林父じゅんりんぼが申していた」


「何故、そう断言できるのでしょうか?」


「どういう意味だ?」


「荀林父殿が処罰されることは無いと申したのは、恐らく公子様と戦を行う前でございましょう。その時点では、処罰はされなかったかもしれませんが、私は公子様を守るために戦闘を行ったのです。それに良くお考え下さい。晋が後継にこのような混乱を生んだ背景には晋君の母である穆贏ぼくえい様の存在があります。正卿らが許してくだされても果たして穆贏様は私の存在を黙認するでしょうか?」


 確かに穆贏は我が子のために大夫たちの元に出向き、説得を行ったほどの行動力と我が子への愛を持っている。そして、公子・雍は謂わば、我が子の敵だったのである。そんな敵に肩入れしていた自分へ敵意を向けないと言えるのだろうか。


「そんなことは無いはずだ……」


「本当にそう言えますか。穆贏様の言葉に決定を覆したのですよ。果たして、私の首を欲しいと言われたら守ってくださるでしょうか?」


 士会は自分の首を撫でる。それを見て思わず、先蔑も自分の首に手を当てる。


「そう考えますので私はここに残ります。先蔑殿。申し訳ありませんがその旨を晋にお伝えいただきたい」


 彼が拝礼すると先蔑は顔を青ざめながら言った。


「私も残る」


「先蔑殿には荀林父殿が居られます。処罰されることはありません」


「良いのだ」


「そうですか」


 こうして士会と先蔑は秦に奔った。


 しかしながら士会は秦に入ってから三年経っても先蔑に会うことはなかった。


 従者が疑問に思い、聞いた。


「一緒に亡命したのにあの方と会おうとなさらないのはのはなぜですか?」


 士会は答えた。


「私は彼と同罪であるが、彼に義があるとは思っていない。なぜ会う必要があるのだ」


 その後も会うことはなかった。











「先蔑と士会は秦に出奔しただと」


 荀林父が驚いている中、趙盾ちょうとんは表情を変えることなく。


「そうですか」


 その一言であった。


「趙盾殿。もしかしたら彼らは何らかの勘違いをしている可能性があります。使者を出して説得をするべきです」


「勘違いとは?」


 本当にわからないと言う表情を浮かべる趙盾に対して、荀林父は言う。


「もしかしたら、処罰されると思っているのかもしれません」


「それについては伝えていると聞いていますが」


「はい、左様ですが……」


「それであれば、彼らは何らかの疚しいことがあるのかもしれません」


「そんなことは……」


 否定しようとする荀林父に対し、趙盾は言った。


「そんなことよりも諸侯に対し、主公が即位なさったことを伝える準備をおこなわなければなりません」


(そんなことだと)


 士会はともかく先蔑は一卿なのである。そんな彼が出奔したことは問題なはずなのである。それを趙盾は何の問題も無いとした彼の思考を荀林父は理解することができなかった。


 その後、荀林父は先蔑の家族や財産を全て秦に送り、


「同寮のためだ」


 と言ったという。律儀な人である。


 また、士会の家族も送られた。


「誰が、汝らを送ってくれたのだ?」


 妻に問うと、彼女は答えた。


郤缺げきけつ様です」


「郤缺殿が……」


 余り付き合いの無い人である。何故、そんな人物が自分の家族を送ってくれたのだろうか?


「まあ、良い。長旅ご苦労であったな」


 彼は妻を勞った。


「後、義父上様からこれが」


 妻は書簡を彼に手渡した。


「そうか……わかった後で見ておこう」


 その夜、彼は父の書簡を見た。そこには、こう書かれていた。


『汝の義は理解している』


 士会は静かに書簡を閉じた。その後、自分の手を見る。


 あの時、晋軍に追われていた時、公子・雍は倒れ、士会の手を掴んで言った。


『汝と共に国のために働きたかった』


 そう言って、彼は事切れたのであった。


「公子様……」


 彼は泣いた。泣き続けた。公子・雍が死んだ際に泣けなかった分、更に泣き続けた。この数日後、更に彼にとって悲しい知らせが届いた。父が死んだのである。


 彼の大切にしたいものは全て、故郷が奪っていく。彼にとって愛すべき故郷が彼を苦しめていく……










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