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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第六章 覇権争い

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我が子のために母は泣く

 四月、宋の成公せいこうが死に、子の杵臼しょきゅうが立った。これを宋の昭公しょうこうと言う。


 当時の宋では公子・せい(宋の荘公そうこうの子)が右師を、公孫友こうそんゆう目夷もくいの子)が左師を、楽豫がくよ(宋の桓公かんこうの玄孫)が司馬を、鱗矔りんかん)(桓公の孫)が司徒を、公子・とう(桓公の子)が司城を、華御事かぎょじ華父督かほとくの孫)が司寇を務めていた。


 これら右師・左師・司馬・司徒・司城・司寇を六卿と言う。


 即位したばかりの昭公は敵対する群公子を除こうとした。また、これは自らの国君としての権威を高めようとした意図もある。


 楽豫がこれを諫めた。


「いけません。公族は公室の枝葉というもの。もしも除いてしまえば、幹や根を守るものがなくなってしまいます。葛藟でも幹や根を守ることができるため、かつての君子たちは詩を作り、例えに用いりました。(『詩経・王風』に『葛藟』がある)。国君ならなおさらこれを重視しなければなりません。諺に『庇護してくれる物をわざわざ斧で切り落とす』とありますが、これは絶対にやってはならないことなのです。主公は良くお考え下さい。徳によって親しめば、皆、股肱の臣となり、二心を抱く者は出てこなくなります。どうして除こうというのですか」


 されど昭公は諫言を聞き入れることはなかった。


「主公が我らを殺そうとしているそうだ」


「我らが何をしたというのだ」


「こうなっては殺られる前に殺るしかあるまい」


 昭公の考えを知った諸公子、宋の穆公ぼくこう襄公じょうこうの族人たちが国人を率いて昭公のいる公宮に攻め込んだ。


 公宮を守るのは公孫固こうそんこ公孫鄭こうそんていである。


 しかしながら諸公子たちの数は多く、公孫固らは押されていき、公孫鄭は殺された。そんな多勢に無勢の中、公孫固は孤軍奮闘していた。


「主公に刃を向けるとは恥を知れ。きさまら」


「公孫固殿、此度の事は主公自らが招いたことでございます」


 公孫友が進み出て、説得を図る。


「それを聞けば、汝の父は嘆き悲しむであろうな」


 彼の説得を聞き入れず、矛を振るい続ける。


「愚かな……矢を放てぇ」


 兵たちが矢を公孫固に向かって放たれていく。矛で矢をなぎ払っていく公孫固だが、一本、二本と刺さっていき倒れ込む。


「我らは晋とつながりを強固にしているものの、晋においては国難が訪れている。今後、国を守る上で危機が陥るかも知れないにも関わらず、このようなことをして良いと思っているのか」


 ボロボロになりながらも彼は立ち上がる。


「今、心を一心にしてこの先の国難に対処せねばならんのだ」


 そこに楽豫が駆け込んできた。


「双方、矛を収めよ。主公は我らとの和睦をお望みである」


「主公が……和睦を……」


 諸公子らがそれを聞き、矛を収め始める。


「公孫固殿」


 楽豫は彼に駆け寄る。


「皆、早く医者を読んで参れ」


「楽豫よ。主公はご無事なのだな」


「左様でございます」


「ならば、良い」


 公孫固は最後にそう言って、息を引き取った。


 その後、六卿は公室(昭公)と和解した。楽豫は昭公と諸公子の対立を防げなかったとして司馬の職を公子・こう(昭公の弟)に譲った。


 こうして一先ず、宋での混乱は収束したのであった。


 昭公は正式に即位してから(翌年正月)殺された者を埋葬した。













 秦の康公こうこうは晋の公子・ようを晋に送り返すことを認め、康公は


「晋の文公ぶんこう)が国に帰る時には護衛がいなかった。そのために呂氏と郤氏の難を招いた」


 と言って多数の徒衛(歩兵の護衛)を付けた。彼も晋と秦両国の友好を図る上で絶好の機会であると判断したのである。


「そうか、秦君が帰国を認めるのか」


「はい、しかも護衛の兵の付けてくれております」


「秦君は細かい配慮を行える人だ。やはり秦との関係は良いものとすべきであるな」


「ええ」


 士会しかいは彼の言葉に聞きながら、最近の公子・雍に段々と国君としての威が備わりつつあるのを感じた。


 気持ちの持ちようで、人はその地位に相応しいものを得ていくものなのかもしれない。


「士会よ。私は国君となり、汝と共により良い国にしていこう」


「はい」


 士会は輝かんばかりの笑顔で言った。そして、この人であれば国君として素晴らしい方になると改めて思った。


 











 一方、晋では彼らにとって不吉な泣き声が木霊していた。


 穆贏ぼくえいという晋の襄公じょうこうの妻で太子・夷皋いこうの母である彼女が毎日、太子を抱いて朝廷で泣き、訴えた。


「先君に何の罪があったのでしょうか。その後嗣に何の罪があったのでしょうか。嫡嗣を棄て、外から国君を求めようとするとは、一体この子をどうするつもりでしょうか」


 群臣が聞こえぬ振りをして朝廷を出ると穆嬴は太子を抱き抱えたまま趙氏の家に行き、趙盾に叩頭して言った。


「先君はこの子を奉じ、貴方様に託してこう申しておりました。『この子に才があるならば、汝の恩賜を受けたことになる。もしも不才ならば(うまく教え導くことができなければ)、汝を怨むしかない』先君が亡くなられた今でも、そのお言葉は耳に残っておられましょう。それを棄てるのはなぜですか」


 彼女の言葉が真実であるとすれば、趙盾は襄公の遺言を無視したことになる。彼女の怒りも理解できる。


 趙盾と諸大夫らは穆嬴ぼ言動に悩んで相談し始めた。


 郤缺げきけつが主張した。


「公子・雍に継がせることが先の朝廷にて、決まったこと。それを覆すことをすれば、朝廷での決定事項に信用が無くなり、秦側の怒りを買う可能性がある」


「だが、本来、国を継ぐのは太子である。先の先君・献公けんこうの代においても太子を蔑ろにした結果、混乱が起きたのです。太子が即位なさるべきではありませんか」


 そう主張するのは、荀林父じゅんりんぼである。彼は元々、公子・雍を招くことに反対していた。


 諸大夫ら皆も穆嬴ら一党を恐れ、太子が即位した時のことを心配し始め、彼の意見に賛同し始めた。それを見た趙盾は決断を下した。


「太子を即位させる」


「お待ち下さい。それでは秦に送った者たちの苦労が無駄になってしまいます」


「郤缺殿。これは皆の総意です。皆の総意が太子の即位であるのであれば、それに従わなければなりません」


 こうして趙盾と群臣たちは秦に送った先蔑せんべつと士会を放置して太子・夷皋を即位させた。これを晋の霊公れいこうと言う。

 

 これによって趙盾の権力を大きくなった。


 一方、郤缺は拳を震わせる。


(なんということか。一婦人の言動に恐れ、このようなことな決定を下すとは)


 晋の覇権は揺らぎ始めた。




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