鈍い人
若く、政治経験が乏しい正卿の趙盾は初めて困難に直面した。
晋の襄公が在位七年という短さで世を去ってしまい。後継者問題が起きたのである。後継者である太子が既に成人であれば、何の問題もなかった。
されど太子・夷皋はまだ乳児だったため、盟主国の主であるには厳しいと考え、年長者を国君に立てることにした。
趙盾は言った。
「公子・雍(晋の文公の子。襄公の庶弟)は善を好み年上で、先君(文公)にも愛されておりました。また、彼は秦に近い存在であり、秦は旧好の国でもございます」
公子・雍は今、秦にいる。公子が他国にいるのか?と疑問に思われるだろう。
晋は献公時代の後継者争いにほとほとに懲りて、こうした国内での後継者争いがもう起きないようにするために太子以外を国外に出すようにしたのである。
趙盾の言葉は続く。
「善なる者を置けば地位が固まり、年長者を選ぶのは順(秩序)であり、先君に愛された者を立てるのは孝であり、旧好と結べば国が安定すると申します。国難にあたっては年長者を立てるべきです。この四徳をもった公子・雍なら難を抑えることができるでしょう」
彼の主張はとてもまともで、正しい判断であると言えよう。彼の後ろで陽処父が彼の後ろで何度も頷く。
陽処父は襄公の師であり、趙家とも関係があって趙盾と彼との間で既に後継者に関して話し会いが行われていた。
それで既に公子・雍が挙げられており、ほぼ彼で決まりであった。
簡単に言えば、出来レースに近いのである。
これに待ったを掛けたのは狐射姑である。彼は元々中軍の将に任命されていたが、陽処父によって趙盾と換えられたことを怨んでいた。
「公子・楽を立てるべきである。辰嬴((しんえい)晋の懐公と文公に嫁いだ懐嬴。公子・楽の母)は二君に愛された方だ。その子を立てれば必ずや民を安定させることができるであろう」
しかしながら彼に賛同するものはいない。 晋には彼を支持しようとする者はいないのだ。
趙盾は彼は何を言っているのだろうという目つきを向け、反論した。
「辰嬴は地位は低く、九位です(文公の後宮での順次のこと)。そのためその息子には国君としての威信に欠けます。また、二君に愛されたというのは淫です。先君の子でありながら、大国ではなく小国に住むのは(公子・楽は陳にいる)辟(陋。劣る)ということ。母が淫で子が辟では威厳がないではありませんか。陳は小さく遠いため、我が国の援けにもなりません。どうして国を安定させることができるのでしょう。杜祁(公子・雍の母。祁姓の国・杜の出身)は主君(襄公)のために偪姞(姞姓の国・偪の出身。襄公の実母)に地位を譲り、狄のために季隗(狄出身)の下に立ちました。だから四位になったのです」
公子・雍の母は本来二位になる人格者であったが、襄公の母・偪姞と狄から嫁いだ季隗に配慮して、それを譲って四位になった。因みに一位は秦から嫁いだ女性で文嬴というが、その詳細は不明。
文嬴は懐嬴と同一人物という説もあるが、懐嬴は九位とされているため序列が合わない。文嬴は謎の人というべきである。
「先君は杜祁の子を愛したため秦に仕えさせ、公子・雍は秦で亜卿となっています。秦は大きくて近いため我が国の援けにもなります。母に義があって子は愛されているのですから民に対しての威信もあることになります。公子・雍を立てるべきです」
それでも尚、狐射姑は考えを変えようとはしなかったが、陽処父の用意した賛同者が賛同していき、朝会において後継者を公子・雍とした。
狐射姑は拳をわらわらと震わせながら、その場を離れた。
ここまでの様子を冷めた目で見ていたのは、郤缺である。
(やれやれ、これは問題が起きそうだ)
趙盾の年長者を後継者に立てるという判断は決して間違ってはいない。だが、そのための話し合いをここで開いたはずであるのに、既に趙盾と陽処父の間で誰を立てるかを決めている。
更に問題なのは、趙盾である。
彼は狐射姑が反対意見を出した時に狐射姑が何故、そのようなことを言うのかわからないという表所を浮かべていた。
(趙盾自身が行ったことではないとはいえ、恨まれていることに気づいていないことには問題がある)
人は感情の大きさはどうあれ、些細なことで他者を憎むものである。それにも関わらず、陽処父は自分の利益のために趙盾と狐射姑の上下を入れ替えてしまった。
確かに狐射姑という人物は決して褒められた人物ではない。だが、そのようなことをすれば、彼ではなくともその者の誇りを傷つけてしまう。そして、陽処父だけが恨まれるのであれば、いいが趙盾まで憎まれる結果を生んでいる。
彼が用いられるようになったのは趙盾の父のおかげなのである。それにも関わらず、このようなことをすれば、恩知らずと罵ってもいいぐらいである。
いずれ、仕返しをされるかもしれないにも関わらず、陽処父は狐射姑は見下して、何の対策を行うこともなく。趙盾はそもそも恨まれていることを理解してない。
(趙盾は人の感情に対して鈍すぎる)
政治家として致命的であると郤缺は考えている。人は感情の生き物なのだ。機械ではない。もし趙盾が狐射姑の感情を考慮して、順序を守っていればこのように恨まれることもなかったはずなのだ。そういった配慮を彼は行えない。
歴史上において鈍さを魅力に変えることができる人物もいるのだが、彼の鈍さは人を苛立てさせるものでしかない。
逆に彼の人の感情を無視できる鈍さが、政権を握った時に改革を断行できた理由かもしれないが……
「郤缺殿、少々相談したいことがあるのですが、宜しいでしょうか?」
そのようなことを考えている郤缺の元に先ほどまで辛い評価を下していた趙盾がやってきた。
「なんでしょう」
驚きつつも郤缺は平然と答える。
「今回、秦にいる公子・雍を招くために先蔑殿ともう一人送ろうと思うのですが、誰かこの者はという方はいませんか?」
趙盾は丁寧に彼に聞いた。郤缺は直ぐには答えず、少し考えた。
「いなければ宜しいのですが……」
「士会はどうですか?」
郤缺は士会の名を挙げると趙盾は首を傾げる。
「士会とはどなたか教えていただけますか?」
「士蔿の孫、司空・士縠の弟で最近、随を食邑としてもらい随会とも申すものです」
「ほう、そのような方がおりましたか。なるほどわかりました。彼も秦への使者に任命しましょう。感謝します。郤缺殿」
にこやかに謝礼して、彼はその場を立ち去った。
彼がいなくなった後、郤缺はため息をついた。先ほどまで趙盾に辛い評価を下していたが、そんな趙盾に彼は信頼されていた。
何故、それほど信頼されたのかと思いながら、彼もその場を後にした。




