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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第五章 天命下る

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甯兪

 秋、楚が息公・子朱ししゅを大将とし、江を包囲した。どうやら晋に通じていたようである。


 晋の先僕せんぼくが江を援けるため、楚を攻撃した。


 冬、晋が江の危機を周王室に報告した。


 王叔桓公おうしゅくかんこう(王子・の子)と晋の陽処父ようしょほが江を援けるために楚を攻め、方城(方城山)の関門を攻撃した。


 この時、周・晋連合軍が子朱の軍に偶然、遭遇した。


 連合軍と遭遇した子朱は、連合軍が楚に迫るという報告を聞き、江から兵を退いて楚に還るところであったが、連合軍が既にここまで来ていることを知らなかった。


 楚の諜報能力の低さ故にこのような事態が起きたのだが、それ以上に連合軍側も動揺した。彼らも楚軍の存在を知らなかったのである。


 周・晋連合軍と楚軍とは睨み合いながら、少しずつ離れていき、互いに兵を還した。とんだ茶番である。












 晋の襄公じょうこうは前年、魯の文公ぶんこうに無礼を働いたことを恐れ、改めて盟を結ぶことにした。襄公は元来、優しい性格なのだろう。


 十二月、文公が晋に入り、襄公と盟を結んだ。


 襄公が宴を開くと文公に『菁菁者莪(詩経・小雅)』を賦した。


「こうして君子に会うことができた。楽しさの中に儀礼もある」


 という内容である。


 文公に同行していた叔孫得臣しゅくそんとくしんはこれを聞くと文公を席から降ろさせ、襄公に拝礼させて言った。


「小国が大国で命を受けました。そのため儀礼を慎重に行わなければなりません。貴君が大礼(宴によるもてなし)を施したのです。これ以上の楽(喜び)はございません。小国の楽は大国の恩恵によるものでございます」


 襄公は席から下り、文公の拝礼を止めさせた。二人は席に戻って拝礼した。


 その後、文公が『嘉楽(詩経・大雅・仮楽)』を賦した。


「君子を賛美しようではないか。その徳は四方に輝く。それは民のため人のため、天から福禄を受けるのだから」


 という内容で、本来は周の成王せいおうを称える詩である。文公は襄公を成王に喩えて称賛したのだ。














 紀元前623年


 春、襄公は衛から捕えた孔達こうたつを優秀な人材だと認め、帰国させた。


 夏、衛の成公せいこうが晋に入って謝礼した。元々、孔達は成公が晋に喧嘩を売ったことで晋の怒りを買った。


 しかし買わせたにも関わらず、成公は晋を恐れ陳を通じて彼を晋に売った結果、囚われていたのである。


 恨みの一つや二つ、成公に述べても言いようなものだが、彼は何も言わず、乱を起こすこともなく。己の職務に戻った。どこまでも国に忠義を尽くす人である。衛は不思議と彼のような臣下が多くいる。


 前年、公子・すいが斉に入り幣(玉帛)を納めた。幣を納めるというのは婚姻による友好関係を強化する意味があり、この年、魯は使者を出して斉から婦人(出姜しゅきょうを迎えたのだが、卿が行かなかったことが非礼とされた。


 秋、襄公が秦を攻め、刓と新城(新里)を包囲して、王官の役の報復を行った。


 前年、周と晋が楚を攻撃したため、楚は江から撤退していたが、再び出兵して江を滅ぼした。


 これを知った秦の穆公ぼくこうは江のために降服(素服。喪服)を着た。


 寝室に住まず、宴会や音楽を禁止した。その行いが礼を越えていたため大夫たちが諫めると、穆公が言った。


「同盟した国が滅んだのだ(秦と江は同じ嬴姓の国で、同盟もしていた)。救うことはできなかったが、憐れまないわけにはいかない。また、自分を戒めるためでもある」


 彼の態度は殷鑑遠からず、夏后の世に在り。ということを自覚していると言えよう。










 成公が甯兪ねいゆを魯に送って聘問した。


 文公は宴を開き『湛露』と『彤弓』(どちらも『詩経・小雅』)を賦した。しかし甯兪は謝辞も述べず、賦に応えることもなかった。


 文公が行人(賓客の対応をする官。または外交官)を送り、その理由を尋ねると、甯兪はこう答えた。


「臣は魯君が練習のために賦したのだと思ったのです。昔、諸侯が周王に正月の朝賀をする際、王は宴楽を設け、『湛露』を賦しましたと言います。天子を陽(太陽)に喩えて諸侯が王命を聞くことを歌っているのがそれです。諸侯は王に敵対する者を自らの敵とみなし、功績を立てて王室に貢献したといいます。そこで王は彤弓一・彤矢百(彤は赤)と玈弓矢千(玈は黒。黒い弓十張りと黒い矢千本)を下賜し、宴を開いて報いたのです。今、陪臣(甯兪)足る私は貴国との旧好を継続させるために参りました。貴君は陪臣のために宴を設けましたが、陪臣は大礼(天子が諸侯をもてなす礼。『湛露』と『彤弓』の詩)を受け入れるわけにはいかないのです」


 甯兪はこういう人である。







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