高貴な心
大変遅くなりました
晋軍が箕から還ると、晋の襄公は三命(諸侯の命には一命、再命、三命があり、数が大きいほど重要な内容になる)によって上軍の将・先且居を戦死した先軫の代わりに中軍の将に任命した。
これは襄公の先軫への哀れみの気持ちもあるかもしれない。
また、襄公は胥臣に今回の戦いで功績を上げた郤缺を推挙したことを褒め讃えた。
彼に再命によって大夫・先茅の県を与えた。先茅は後継者がいなかったため、その地が胥臣に譲られたのである。
最後に一命によって、最も戦功があった郤缺を卿に任命し、冀の地を与えた。但し軍職は与えなかった。
彼は郤缺の父・郤丙らの乱で苦しめられたため、郤缺を信用することができないのである。
(まだ、私は天の許しを得ていないのだな)
己の主君に刃を向けた身でありながら、こうして生き残って卿の位と食邑地を得られたのだ。これで満足すべきであろう。
彼はそう思いながら、襄公の命に従った。
因みに、士縠と士会も功績を立てたとして賞が与えられ、士穀は司空に任じられている。
命を受けた後、郤缺は胥臣に会った。
「郤缺殿、卿の位を頂いたようで良かったな」
「胥臣殿と主公の恩徳故でございます」
郤缺は拝礼を行う。
「しかしながら先軫が死ぬとはな。あやつはいい男だった。ただ、真面目過ぎた」
胥臣は目を細め、悲しそうに言った。
「先君に付き従ってきた者も大分減ってしまった。もう、お前たちの時代ということかな」
「我らなどまだまだですよ」
郤缺は謙遜した。
「ところで胥臣殿に以前から一つ聞きたいことがございました」
「なんだ?」
「何故、あなたは私を推挙したのですか?」
自分は反乱を起こした男の息子であり、その実行者でもある。そんな自分を何故推挙する気になったのか。それを彼は以前から知りたかった。
「能力があるからだ」
「それは建前でございましょう」
郤缺はきっぱり言うと、胥臣はしばらく黙った。そして、指先を彼の胸に向け、言った。
「汝が高貴な心を持っているからだ」
「高貴な心……ですか?」
高貴な心、自分にそのようなものがあるとは思えなかった。
「そうだ。汝は確かに我らが主を手にかけようとした男の息子だ。決して許されるべきことではない。されど、汝には高貴な心が宿っていた」
更に彼は続ける。
「汝は反乱が失敗に終わり、父も死ぬと下野し、己で農墾を行い、世間から隠れた。普通の者特に貴族にはそのような暮らしはできん。人の奉仕を受けるのが、当たり前だと思っているからな」
彼は自分も同じだがなと自嘲しながら続ける。
「だが、汝はそれをやり抜いた。他国に亡命するという手もありながらも汝はこの国に隠れ続けることを選んだ。その生活は決して楽なものではなかったはずだ」
郤缺は目を細める。確かにあの頃の生活は苦しかった。
「その劣悪な環境の中、汝は礼を失うこともなく、耐え続けた。人はおのずと楽な方を選ぶものだ。しかし、それでは獣とて同じだ。獣も満足を求めるからだ。ならば、獣と人の違いとはなんであるか。それは己を苦しめることができ、耐えることができるからだ」
胥臣は郤缺の目をじっと見る。
「苦しみに耐えながらも礼を失わない。人と人の間にできる差には色々があるが、その一つは心だ。汝は誰よりも高貴な心を持っていた。故に耐えることができた。そう思ったのだ。だから私は汝を推挙した」
「私にはそのようなものは……」
「お前も知っているはずだ。そのような高貴な心を持っていた方を」
胥臣は背を向け、去っていった。郤缺は静かに彼に向かって拝礼した。
十月、魯の僖公は、斉に入朝し、十二月、帰国した。
それから体調が急転し、小寝(寝室)で死んだ。
僖公は母・成風の身分が低いこともあり、本来国君になるはずではなかった。しかし、父・魯の昭公の死から始まった国内の政争によって、その運命は大きく代わり、政争を勝ち抜いた季友に擁立される形で、即位することになった。
彼もそれを自覚しているのか、季友には腰が低く接し、他の臣下にもその態度は変わることはなく。皆の協力を得て、国を保った。国君としては最上の評価を与えてもいいぐらいである。
されど、国君としては劣る部分も多く、礼に外れた行いも多かった。平均点以上は取れても、それ以上にはいかない人であった。
彼の後を継いだには息子の魯の文公である。
晋・陳・鄭が許を攻めた。許が楚に近づいたためである。
陳が許を攻めたため、楚の令尹・子上が陳と蔡に攻め込んだ。陳と蔡は楚と講和を行った。
二カ国と講和した子上は次に鄭を攻めた。楚に出奔した公子・瑕を鄭に入れるためである。
楚軍が桔柣の門(鄭の遠郊の門)を攻めました。公子・瑕は戦車に乗り、勇戦していたが、戦車が周氏の汪(池)で横転してしまった。その隙に鄭の外僕・髡屯は彼に襲い掛かり、殺した。その後、その亡骸を鄭の穆公に献じた。
(兄弟のほとんどが死んでしまった)
彼は公子・瑕の亡骸を見ながら嘆いた。
(せめて、母に埋葬させてやろう)
穆公は彼の亡骸を文公夫人(恐らく公子・瑕の母)に渡すと彼女は亡骸を鄶城の下に埋葬した。
一方、晋の陽処父が楚と講和した蔡に攻め込んだ。
子上は蔡を援けるため進軍し、晋軍と泜水を挟んで駐軍した。
陽処父は楚軍との衝突を憂慮した。彼は政治ならば、得意であるものの正直、戦は得意ではなかった。そのためここで敗れでもすれば、自分の権威を失うと考えたのである。
そこで彼は子上にこう伝えた。
「文は順(秩序)を犯さず、武は敵を避けないという。汝が戦いを欲するというのであれば、我が軍は一舍(三十里)を退こうではないか。汝が川を渡って陣を構えた後、いつ戦うかは汝次第だ。そうしないのなら兵を還してはどうだ。軍を疲労させて財を費やすのは無益ではないか」
陽処父は車に乗って楚軍の前進を待った。川の途中で襲う気である。
子上が川を渡ろうとすると大孫伯こと成大心(子玉の子)が止めた。
「いけません。晋は信用できません。もしも川を途中まで渡った時に攻撃されれば、敗れて後悔することになります。兵を退くべきです」
子上は彼の進言に同意し、晋軍を誘うために一舍撤退した。
すると陽処父が言った。
「楚軍が逃げたぞ」
陽処父は晋軍の勝利を宣言して兵を引き上げた。それを見た楚軍も撤兵した。騙し合いでは、彼の軍配が上がったというべきだろうか。しかし、天下の覇権を争っている両国の戦としては実に滑稽である。
この楚軍の撤退を見て、にやりと笑った男がいる。
その男の名は太子・商臣という。
かつて楚の成王が商臣を太子に立てようとした時、子上に反対されたことがあった。そのため、彼は子上にその恨みを晴らすいい機会だと考えたのである。
彼は子上を讒言した。
「子上は晋の賄賂を得て戦いを避けました。これは楚の恥であり、これ以上の罪はありません」
楚の成王は彼の言葉に激怒して子上を殺した。それを商臣はにやにやしながら見ていた。目にどす黒い感情を宿しながら……




