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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第五章 天命下る

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国帰父

 秦軍が鄭を攻めるのやめ、軍を還している頃、斉の上卿・国帰父こくきほが魯に来聘した。


 臧孫辰ぞうそんしんが彼を歓迎役を勤める。


「いやはや、やっと斉も落ち着き始めました」


 にこやかな顔をしながら彼は臧孫辰に言った。


「左様ですか。斉の桓公かんこうが亡くなれ、貴国は大層大変でありましたからな」


「誠に大変でした」


 国帰父はそう言うものの、その苦労を感じさせない。だが、実際に斉は桓公の死から混乱が続いていた。


「されどそのような中で、国を良くまとめられたものです」


「いやいや、前任者であった管仲かんちゅう殿の凄さに圧倒される日々です」


 斉には管仲という稀代の名宰相がいた。彼は政治、軍事、外交、人事、全てにおいて一級品の人物であった。その彼と斉の桓公という名君がいた斉は天下の覇権を握っていた。


 そんな管仲が魯にいた頃もあったというのが歴史の恐ろしさであるが、正直、魯では管仲という人物は輝くことはできないだろう。


 後を継ぐことの難しさは臧孫達ぞうそんたつという偉大な祖父を持つ彼も理解している。


「して、秦の東進のことはご存じですか?」


 話題は秦の東進に変わった。


「知っております。秦君は些か、謀の好みすぎております。そして、己の謀に酔っている。故に謀に慎重さが欠けております」


「そのとおりですな」


 秦の穆公ぼくこうは焦りすぎた。そのため、せっかく鄭に植え付けていた毒を吐き出させる結果になってしまった。


(さて、ここで国の関係はどうなるだろうか)


 臧孫辰は頭の中で秦の失敗によって、変わるだろう諸国の関係と今の魯の立ち位置を踏まえて、魯はどうするべきかと、考えていく。そんな彼を見て、国帰父は言った。


「臧孫辰殿は聡すぎます。それでは周りの者はついて行けないでしょう」


 臧孫辰という人は誰よりも物事を考えるのが早い人である。


 例えるのであれば、何かの計算式を解く時に、皆が方程式を駆使しながら苦労して解く中、それらを吹っ飛ばして、答えだけを出してしまう人が中にはいる。


 そういう人は決して、適当に答えを言って当たっているというのではなく、頭の中で方程式を理解し、当て嵌めている。しかし、その思考が早すぎて、苦労して解いている人はついて行けないのだ。


 そういう最適解を直ぐに出してしまう人が臧孫辰という人なのだ。


 だが、一方そのように最適解を直ぐに出してしまうため、先ほどの例えで言えば、計算式の問題に何らかの間違い、綻びがあった場合、それに気づかずに間違った答えを出してしまうこともある。


 実際、臧孫辰は斉が当てにならないと思って、楚と関係を結んだが晋の成長を予見できなかった。


「教え感謝致します」


「いやはや、出過ぎた真似をしました」


 拝礼する臧孫辰に国帰父はにこやかに言った。


 国帰父は魯の郊外に着いた時から帰国するまで礼に則って行動して過ちがなかった。


 そのため臧孫辰は魯の僖公に言った。


「国子が政治を行っている間、斉には礼があります。主君は斉に朝見すべきです。礼がある国に服すのは社稷の衛(守り)になると聞いています」













 一方、晋では、秦の東進について、先軫せんしんが晋の襄公じょうこうに進言した。


「秦は蹇叔けんしゅくに逆らい、強欲によって民を動かしました。天が我が国に好機を与えたのです。天が与えたものを失ってはならず、敵を放つこともなりません。敵を放っておけば、禍を生じ、天に逆らったら不祥を招きます。秦軍を討つべきです」


 それに欒枝らんしが言った。


「秦の恩に報いていないのにその軍を討つことが、先君(晋の文公ぶんこう)のためになるでしょうか?」


 楚との戦いで小さな恩は無視しろと言っていた男である。彼は心の底から思ってはいない。彼としては自国にそれほどの被害が出てない以上、秦と事を構えることにあまり利益にならないと考えている。


 先軫は反論した。


「秦は我が国の喪を憐れず、我が国と同姓の国(滑)を討った。秦は無礼であり、恩恵などありません。敵を一日放ったら数世の患憂となる。子孫のことを謀るのは先君のためといえるでしょう」


 襄公は若く血気盛んな部分もあり、彼の意見に頷くと、


「秦は私を孤(孤児。父が死んだばかりであること)とみなして侮り、喪中につけこんで我が滑を滅ぼした」


 という理由で出征の命を発し、姜戎(晋の北に住む姜氏の戎)の兵を動員した。


 また、襄公も衰絰(喪服)を黒くし、自ら兵を指揮することにした。喪服は本来、白衣(素服)だが、戎服(軍服)は黒いため、黒に染められた。


 梁弘りょうこうが襄公の戎車を御し、萊駒らいくが車右になった。


 四月、晋軍が帰国する秦軍を殽(崤)で破った。秦軍は全滅し、孟明視もうめいし西乞術せいきつじゅつ白乙丙はくいつへいは捕虜となった。


 帰還した襄公は黒い喪服を着て文公を埋葬した。晋はこの時から黒が喪服の色になる。


 秦と晋が戦ったことに心を痛めた者がいる。文嬴ぶんえい(晋文公の夫人。襄公の嫡母。襄公の実母は偪姞という)という。彼女は捕虜になった三将の命を助けるため、襄公に言った。


「彼等は晋秦二君の関係を悪化させました。父(秦の穆公)は三人を骨髓まで憎んでおりましょう。彼等を得れば、必ずや殺すでしょう。なぜあなたが彼等を処罰しなければならないのですか。秦に帰して殺させ、父の志を満足させた方がいいでしょう」


 これにあっさりと同意したところに襄公の甘さと若さがわかる。


 暫くして先軫が襄公に囚人の様子を聞くと、襄公は答えた。


「夫人が請うので釈放した」


 これに先軫は激怒した。彼は中軍の元帥という重責を担って、冷静さを身につけていたが元々、荒々しさを持っている。


「武人が努力して戦場で敵を捕えたというのに、婦人に騙され、しかも国内でそれを逃がしてしまうとは、戦果を台無しにし、仇敵を助長する行い。晋が滅ぶ日は近い」


 襄公は彼の剣幕に真っ青になる中、彼は襄公に向かって唾を吐き捨てた。


 後悔した襄公は急ぎ、陽処父ようしょほに追撃を命じたものの、彼が孟明視らに落ち着く頃には、彼ら

 は既に黄河を渡る舟中にいた。


 陽処父は左驂(馬車の左の馬)を解き、襄公の命と称して孟明視に贈ろうとした。船を返させるためである。


 孟明視は舟を返さず、稽首して言った。


「晋君の恩恵により、我ら囚われの臣が祭祀に使われることはなく(犠牲として殺されることなく)、秦に帰って殺されることに相成りました。我が君が臣等を殺したら、臣等は死んでも名を朽ちさせることはなく、またもしも晋君の恩恵によって死から逃れることができるならば、三年後、晋君の恩賜を感謝しに参りましょう(報復に行く)」


 そのまま、彼らは秦に帰国した。


 穆公は素服(凶服。喪服)を着て郊外で孟明視らを出迎え、帰還した将兵に向かって泣きながら、謝罪した。


「孤(私)は蹇叔に従わなかったために汝等を辱めてしまった。全て私の罪である。三子に罪はない。三子は此度の恥を雪ぐために尽力してくれ」


 また、孟明の更迭せず、言った。


「敗戦は私の罪だ。汝に罪はない。一回の敗戦が大徳(能力。功績)を覆うことはないのだ」


 戦を起こす前までの態度を一変させた穆公は以後、彼らを信頼し、政治を行っていくことになる。


 例え、大敗を喫しようともそれを努力の糧にすることが彼にはできた。やがて、晋は秦に苦しむことになる。




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