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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第五章 天命下る

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魯の外交

遅くなりました

 冬、周の襄王じょうおうが周公・えつを魯に送り、聘問させた。


 魯の僖公が昌歜(菖蒲を調理し、浸した物)・白(炒った稲)・黒(炒った黍)・形塩(虎の形をした塩)でもてなそうとしましたが、周公・閲は辞退して言った。


「国君とは、文によって徳を四方を明らかにし、武によって威厳を示すものです。だからこそ、それにふさわしい物を備え、宴を開き、その徳を象徴するのです。五味(昌歜)を薦め、嘉穀(素晴らしい穀物。白・黒)を準備し、虎形の塩を使うのは、その功績を象徴するためです。ですが私には大変荷が重いため、辞退させていただきます」


 僖公が行った礼は国君に向けてを行うべきものである。国君ではない彼はそのため断ったのである。


 紀元前629年


 三年前、晋が曹の共公きょうこうを捕え、曹の領土を占領した。


 その後、曹の共公は釈放されて国に戻されたが、曹の国境が定められていなかった。そこで晋の文公ぶんこうは曹から得た一部の地を分割して諸侯に与えることにした。


 春、僖公は曹の地を得るため、臧孫辰ぞうそんしんを晋に派遣した。


(しかし、晋がこれほど強大になるとは思っていなかったものだ)


 そう思いながら、臧孫辰は魯の重の地にある賓館に宿泊した。


 彼は斉がまだ覇権を握っていた時は斉との交渉を重視していた。だが、斉が覇権を手放すと次に覇権を握るのは楚と考えた。


 それにより、楚との関係を強化したのだが、ここに計算違いをもたらしたのは晋の急成長である。まさか、晋が楚を破るとは思っていなかったのである。


(世の中は、簡単には上手くはいかないものだな)


 感慨深そうにしているとと重館の者(館を守る僕役)が言った。


「晋は覇者になったばかりなので、諸侯の信望を得るため、罪のあった国(曹)の地を諸侯に分けようとしているのです。諸侯は多くの土地を得たいと思い、また晋と親しくしたいと思っているため、先を争って晋に赴くはずです。晋は古くからある諸侯の序列を重視するのではなく、真っ先に駆けつけた恭敬な国と親しくしたいと考えているはずです。あなた様は速く晋に行くべきではありませんか。魯は本来の序列でも高位にあります。その上、晋に入るのも先んじれば、諸侯でかなう者はいないでしょう。あなた様がここでゆっくりしていたら、間に合わなくなりますよ」


 彼の言葉にその通りだと思った臧孫辰は彼に拝礼した。


「感謝する。必ずやこのご恩はお返しします」


 臧孫辰は晋に急行した。晋は魯が真っ先に来たことを喜び、洮水以南で東は済水に至る地が曹から魯に割譲し広大な地を与えた。


(運が良かった)


 もし、重館の者の言がなければ晋との関係はもっと違ったものになったかもしれない。外交という国事とはいえ、国を運営しているのが人なのだ。人と人が話し合うのであれば、人付き合いと何ら変わりないものかもしれない。


(長年、外交に携わってきたが今になってそれに気づくとは……)


 外交の名手である彼はそう自嘲しながら魯に帰国した。


 早速、臧孫辰は謁見し、僖公に言った。


「この度、我が国に多くの地を与えられたのは、重館の者のおかげでございます。『ある人の善行が明らかになったのであれば、たとえ身分が低い者でも賞しなければならない。ある人の悪行が発覚したら、たとえ身分が高い者でも罰しなければならない』と申します。彼の一言で領土を拡大することができました。その功績はとても大きなものなので、厚く賞するべきです」


 僖公はこれに頷くと館の者を僕役から抜擢し、大夫に任命した。


 後日、襄仲じょうちゅう(公子・すい)が晋に行き、正式に曹の地を受領した。


 四月、魯の僖公が郊祭について四回卜いをしたものの、全て不吉と出たため、郊祭を行わず犠牲も殺さなかった。しかし三望は行いました。三望とは泰山・淮水・東海の祭祀のことである。


『春秋左氏伝』ではこれを非礼なこととして非難した。


 まず、郊祭とは天を祭る通常の祭祀であるため、必ず行わなければならない行事であり、これを行うかどうかを卜うのは誤りである。


 卜いの内容は祭祀で用いる犠牲や祭祀の日時を対象にするべきもので、郊祭そのものの実施について卜うべきではないのだ。また、三望は郊祭の一環なため、郊祭をしないのに望祭だけをすることも礼に背くことであった。


 しかしながら、僖公は政治において、魯の祖の時代の礼式を取り戻したとされるほどであり、礼においてはそれほど問題を犯す人ではなかったはずである。


 しかしながら魯の国君は大体は晩年に近づくほどに礼を疎かにしていくため、彼もそれと同じなだけかもしれない。















 


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