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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第五章 天命下る

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車右に選ばれたのは

 城濮の戦いにおいて、晋の中軍が沢で大風に遭い、祁瞞きまんという者が前軍の左旃(左の軍旗)を失うということがあった。


 軍旗を失ってしまうというのは晋の軍律では、軍命に反したことになる。


 晋の文公ぶんこうは司馬(軍法を掌る官)に命じて、祁瞞を軍命に反した罪(軍旗を失った罪)で処刑し、諸侯への見せしめとした。そして、茅筏ほうぼうを彼の代わりとした。


 文公は結構、軍令など決まりごとに煩い面がある。


 戦が終わり、晋軍が帰還することになり、黄河を渡ろうとした時、文公を不快にさせる出来事が起きた。文公の車右・舟之僑しゅうしきょうが命を無視して先に帰国してしまったのである。


 彼が何故、そのようなことをしたのかはわからない。だが、彼は以前、虢にいた時も出奔したように、国君に問題があると思ったら、直ぐに行動を持って抗議する面がある。


 彼の抗議した出来事と言うと、さきの祁瞞の処刑のことではないのか。彼は祁瞞には同情の余地があり、処刑にして晒す必要などないと思ったかもしれない。


 しかしながら、それならば彼が処刑される時に口出しするなどすれば良く、勝手に己の職務を放棄し、帰国するというのは少々筋が通らないように思う。


 兎も角、文公は彼の行動に非常に不快になった。


「代わりの車右は誰に為さりますか?」


 周りの者は恐る恐る文公に聞いた。車右がいないというのは、良くないからだ。


 暫し、無言だった文公だったが、口を開いた。


「車右は士会しかいとする」


 彼の言葉に周りの者たちは暫し、無言になった。


(士会とは誰だ)


 という疑問があったからである。


 士という氏があるため、恐らく士蔿しいの子孫か血縁であろうが士家の当主である士会の父・士缺しけつと士会の兄・士縠しこく(士缺の兄弟で士会の伯父という説もある)しか知らない。


「し、士会でございますか」


 そんな中で、反応したのは御者である荀林父じゅんりんぽである。彼は士会のことを知っていた。そして、少し苦手な相手であった。


「汝が知っているならば、汝が連れて来い」


「承知しました」


 何故、主公は士会を知っているのか、士会が車右になるのかと思いながらも彼は車から降り、駆け出した。













「兄上、急に進軍が止まったのは何かあったのでしょうか?」


 士会は兄・士縠にそう問いかけた。


「知らぬ。会よ、それよりも車の修理を手伝え」


「分かっておりまする」


 彼らは家に唯一ある古くなっている車が壊れかかったため、直していた。


 彼の家は祖父である士蔿が財産をあまり残らず、父は目立たないように生きていたためか、それほど裕福ではなかった。


(もし父が主公に従っていれば今頃、主公のお側にいただろうか?)


 ふとそのように思う時がある。


 祖父は元々、申生しんせいが国君になるべきとして献公けんこうに諫言していたが聞き入れられず、申生が死ぬと他のどの公子にも肩入れしようともしなかった。その判断に父も従った。そして、文公が即位すると文公に従った。


 だが、それは日和見をしたという一面を周りの者たちに見せてしまった。欒枝らんしのような素早く、旗色を変えるということはできなかったのである。


(父も不器用であるからなあ)


 そんな父を攻める気持ちにはならない。仕方ないことなのだ。人は評価されるためには先ず、知ってもらうということが必要であり、自身の功績を示せる技量も必要なのである。


(それができない人もこの世には大勢いる)


 だが、皆が皆、評価されるわけではない。素晴らしいの才能は人となりがあっても、知られずに消えていくものなのだ。


 そう思っていると彼らの元に駆け込んでくる者たちがいた。


「あれは、荀林父ではないか」


「確か、主公の御者を勤めているはずですが……」


 何故、そんな男がこちらに来るのか疑問に思っていると荀林父が彼らに近づき、言った。


「士会よ、主公が汝をお呼びだ」


「弟が何か主公を怒らせることをしましたか?」


 士縠は心配そうに言うと荀林父は首を振る。


「違う。それよりもすごいことだ。士会を主公は車右に為さるそうだ」


「車右にですか?」


 士縠と士会は驚いた。車右という職は名誉職に近いが、国一番の武勇を持つとされる者が任じられる職である。


 そのためこれに選ばれるということは名誉なことなのだ。


「誠ですか?」


「嘘を言う必要がなかろう」


 突然のことに士会は緊張していくのを覚える。


(まさか自分が主公の車右に選ばれるとは……)


「会よ」


 そんな弟に士縠は言った。


「正直、お前がこの職に着くことは身分不相応この上ないことだ」


 彼は弟には少し厳しく、


「だがな、選ばれた以上は卑屈にならず、堂々と胸を張って職務を果たせ、良いな」


 優しい。


「はい」


 そんな兄の言葉に頷くと荀林父と共に文公に向かい、車右の職に就くことを引き受けると胸を張って車右の職を務めた。こうして彼は少しだけ名を知られるようになる。後に、天下にその名を轟かすことになる名将・士会の始まりは文公の車右からであった。


 そう思うと文公の目には神意があったとしか思えない。












 

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