城濮の戦い
四月、衛の城濮の地で楚軍は険阻な地を背にして陣を構え、晋軍はこれに対峙する。
晋軍の元には宋の成公、斉の大夫・国帰父と崔夭、秦の小子・憖(秦の穆公の子)が集った。
晋の文公は楚に勝てるかどうかは未だ不安を持っていた。そこに兵たちの歌が聞こえた。
「原田(休耕中の田畑のこと)は緑が茂る。さあ古きを棄て、新しきを考えようではないか」
という内容である。意味としては休耕中の田に茂る緑の草とは晋の徳が盛んなことを表し、旧恩にとらわれることなく、新しい功績を立てようというものである。
狐偃は進言した。
「戦いましょう。戦って勝てば諸侯を得ることができます。もし勝てなくとも、我が国には山河があるので恐れることは必要はありません」
「だが、楚には恩義があるぞ」
文公は恩のある相手に石を投げるような真似はしたくない。
これに対し、欒枝が言った。
「漢陽(漢水より北)の姫姓諸国(周・晋と同姓の国)は全て楚に併吞されております。小さな恩恵を想って大きな恥辱を忘れてはなりません」
この戦は楚との天下の覇権を賭けた戦なのである。小さなことに構うべきではないのである。
この頃、文公は楚の成王と争う夢を見た。
夢の内容は成王が文公を押し倒して脳に噛みつくというものである。文公が夢のことを話すと狐偃が答えた。
「吉夢です。それは我々は天を得て、楚はその罪に服すということです。つまり我々が楚を懐柔したのです」
これだけだとよくわからない。
つまり、押し倒された文公は天を仰ぎ見ることになる。これが「天を得た」姿で、逆に上に乗った成王は下を向いて頭を下げることになります。「罪に服す」姿ということである。脳は髄・骨・脈等と同じく体内に隠れているものであるため、陰の物とされ、陰は「柔」、陽は「剛」を意味する。
また、脳は柔らかく、それを噛む歯は固い物。柔軟な物で固い物を受け止めるというのは、「懐柔」を意味する。
このことから彼は文公の夢を吉夢としたのである。
楚の子玉は大夫・闘勃(字は子上)を晋陣に送って決戦を請い、こう伝えた
「貴君の勇士と力比べをしようではありませんか。貴君が車上で見物するのであれば、私も伴をしますぞ」
こういう相手を小馬鹿にしたやり取りを行うことは当時の戦における礼の一つである。
文公が欒枝を送って応えた
「我が君は天命に従うだけだ。我々は楚君の恩恵を忘れたことがなく、ここまで撤退した。一国の主が兵を退いた。故にそちらもそれにならって既に退いたと思っていたが、汝らは国君に逆らうつもりか。国君の命に従う気がないのであれば、大夫よ、汝は戻って将兵にこう伝えよ『汝等は戦車を準備して国事に忠を尽くせ。明朝、再会せん』と」
「おのれ、晋如きが」
これを聞いた子玉は軍を動かす準備を大急ぎでさせる。
晋軍は車七百乗を整列させた。武装させた兵馬は威風を放っている。
文公は莘の墟(古莘国の廃墟)に登って軍容を確認すると頷き言った。
「我が将兵は若い者も年長の者も礼がある。きっと力になるだろう」
彼は木を伐って戟や矛の柄とし、武器を増強させることを命じ、明日に備えた。
翌日、晋軍が城濮の莘北に駐軍した。
晋の中軍(文公・先軫)は子玉率いる楚の中軍に当たり、上軍(狐毛狐偃)は子西率いる楚の左軍に当たり、下軍は将・欒枝と佐・胥臣がそれぞれ兵を率い、胥臣が子上率いる陳・蔡の軍(楚の右軍)と対峙する。欒枝は楚軍を誘い出すための別動隊である。
「欒枝殿、下軍を私に任せてもよろしいのですか。わざわざあなたが別働隊を率いずともよろしいかと思いますが?」
胥臣がそういうと彼は笑いながら言った。
「よい、よい、軍を率いることは汝の方が上手かろう。それに私は人を騙すのは得意でな」
(この人は良く分からない)
笑っている欒枝を見ながら彼はそう思った。
大地に戦の時を告げる太鼓が打ち鳴らされ、遂に楚と晋は激突した。
先ず、先手を打ったのは下軍の佐・胥臣である。彼は馬に虎皮を被せ、陳と蔡の陣に突撃を仕掛けたのだ。
元々、それほど士気も無い陳・蔡、両軍はこれに動揺し奔走し始めた。このことにより、楚の右軍は混乱し始めた。混乱を鎮めようとする子上だが、それを見た狐毛は上軍から二隊を派遣し、右軍に攻撃を仕掛けさせた。子上はこれ以上は戦闘の継続は不可能と判断し、右軍を退却させる。
別働隊を率いる欒枝はそれぞれの車に柴を牽かせて撤退する姿を楚軍に見せた。
「真っ直ぐ走らず、多少、曲がったりしながら、車を動かせ」
欒枝がそう支持する。柴を牽かせたのは砂塵を舞いあがらせるためであり、これによって軍が撤退しているように見せたのである。
この欒枝の撤退を信じた楚の左軍の子西が追撃を始めた。
「流石は欒枝殿だ」
その時、先軫と郤溱は中軍の公族大夫たちを率いて側面から楚軍を急襲し、それに合わせるように上軍の狐毛と狐偃もそれぞれ兵を率いて子西を挟撃した。こうして楚の左軍も壊滅しました。
右軍と左軍が壊滅する中、流石は子文に見込まれただけあり、楚の中軍を率いる子玉は晋軍の攻撃に耐え続け、兵をまとめ体制を整えた。そのため全滅を免れた。そして、そのまま撤退した。
「子玉はどうなった」
「兵をまとめ撤退したようです」
「そうか……」
「主公、楚の陣には食料が豊富にあるようですが、如何いたしますか?」
狐偃がそう聞くと文公は答えた。
「兵に振舞ってやれ」
「承知しました」
晋軍は三日間駐留して楚軍の食糧を消費しました。翌日、晋軍が兵を還した。
文公は兵を退いてから憂色を浮かべた。先軫がそれを聞いた。
「主公は楚に大勝したのに、何を憂いているのでしょうか?」
文公が答えた
「戦に勝利しても心を安んじることができるのは聖人だけだという。だから私は畏れるのだ。それに、子玉がまだいる。喜ぶことはできない」
そう子玉はまだ生きているのである。確かに彼は大きな失敗をしたかもしれない。しかし、生きていればその失敗を糧にすることもできるはずなのだ。
また、このように警戒することで己を心を引き締めた。
城濮の戦いは晋の勝利に終わった。




