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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第五章 天命下る

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天下という表舞台へ

 周の襄王じょうおうは氾の地に逃れてから鄭の他に、魯や晋、秦にも使者を出している。因みに晋に行ったのは簡師父かんしほ、秦に行ったのは左鄢父さえんほという人である。


 彼はこういった追い詰められた状況において、周りの諸侯に普段の傲慢さは鳴りを潜め、しおらしさを見せた。いつもこうであれば彼はもう少し、諸侯に尊重されたであろう。


 冬、魯は使者を迎えると臧孫辰ぞうそんしんが魯の僖公きこうに進言した。


「天子が外で蒙塵の苦しみを受けています。直ぐ様、人を送り様子をうかがうべきです」


 僖公は彼の意見に同意し、使者を襄王の元に送った。


 襄王の元に来たのは魯だけではない。鄭も来た。しかも、鄭の文公ぶんこう自らである。


 文公は孔将鉏こうしょうそ石甲父せきこうほ侯宣多こうせんたを連れ、氾に入った。襄王は彼らを大いにもてなした。


 そんな襄王に対し、官員と共に文公は労わり、用具を準備させ、鄭の政治について語った。周と鄭の対立をきっかけでこの乱は起こったがこの乱で周と鄭の関係は改善したのであった。













 その頃、衛は邢を攻めていた。かつて、衛を滅亡一歩手前まで追い込んだ怨みを晴らすためである。しかしながら、その想いとは裏腹に中々、攻め落とすことは出来ず、衛の文公ぶんこうは苦悩していた。


 そんな時、大夫・礼至れいしが進言した。


「守(大官のこと。ここでは邢の正卿・国子こくしを指す)と親しくならなければ国を得ることはできません。我々兄弟を邢に仕えさせてください」


 己自ら獅子身中の虫となり、貢献したいと彼は進言したのである。


 攻めあぐねていた文公はこれに同意した。


 こうして礼至兄弟は邢に入り、国子に取り入った。


 紀元前635年


 正月、衛は邢に侵攻し、邢の都を包囲した。


「ふん、衛め懲りもせず来たか」


 国子はそう言いながら、礼至兄弟を従えて城壁を巡視した。その途中、礼至兄弟は突然、国子に襲いかかった。


「なんだ貴様ら、何をする」


「我らは衛のため、あなた様を殺さなければなりません」


 礼至はそう言って、抱き抱えると城壁の上から国子を突き落とした。


 邢が衛の侵攻に対抗できていたのは国子がいたためである。その彼が死んだことで、衛の士気は上がり、遂に衛は邢を滅ぼすことができた。


 礼至はこの功績を誇って、銘文をこう書き記した。


「私は国子を抱き抱え殺し、誰ひとり止めることはできなかった」















 襄王からの使者を受け、どのようにするか晋の文公ぶんこうは重臣を集め会議を行っていた。


 そこにある報告がもたらされた。


「報告します。秦君が黄河沿岸に駐軍しております」


 これを聞き、狐毛こもうが言った。


「恐らく、周王を招こうとしているのでしょう」


「主公、秦君よりも先に周王のために兵を出すべきです」


 狐偃こえんが文公に進言した。


「民は主公に親しんでおりますが、まだ義を知りません。そのため国民は和しておりません。主公は王を周都に入れることで民に義を教えるべきです。主公が王を援けなければ秦が王を帰らせることでしょう。これでは周に仕える機会を失ってしまいます。周に仕えることなく諸侯の支持を求めることができましょうか。諸侯の支持を得る方法は、勤王に勝るものはありません。勤王は諸侯の信を得ることができ、しかも大義を得ることができます。自国の民に義を教えることができず、王を尊奉することもできないようでは、人が帰心することはありません。文侯ぶんこうの業を継ぎ、武公ぶこうの功を定め、国土を開き、国内を安定させるのは、今が好機です。主公は王のために力を尽くすべきです」


 続けて、趙衰ちょうしが進言した。


「覇を求めるのならば、王を京師に入れて周を尊ぶべきです。周と晋は元々同姓です。秦が先に王を京師に帰らせれば、我々が天下に号令する資格を失いましょう。尊王は晋の財産になります」


 しかしながら文公は積極的に覇者になろうとは考えていない。また、自分が覇者に相応しいとも思ってない。


「まだ、臣下の中で賞を与えていないこともある少し考えさせてくれ」


 彼はここで敢えて決断せず、郭偃かくえんの元に出向いた。卜いをしてもらうためである。


 この時代、重大な決断をする際、卜いに頼る。


 郭偃は卜いを行った。


「吉だ。黄帝こうていが阪泉で戦った兆が出ている」


 黄帝は阪泉で炎帝えんていを破って天下を取ったとされている伝説の名君である。


「先生。私などはそのような重責は担えません」


 文公は困ったように言うと郭偃は笑っていった。


「周は衰えたとはいえ、周礼は未だ改められていない。今の王は古の帝にあたる」


 つまり、先の黄帝というのは周の襄王のことを指し、炎帝は叔帯しゅくたいのことを指しているということである。


 文公が重責を担えない言ったのは、黄帝のことが自分のことを指しているのだと勘違いしたためである。


「先生、次は筮で占ってください」


「承知した」


 郭偃が筮を行うと、『大有』の卦が『睽』の卦に変わった。


「吉だ。これは『公は天子のもてなしをうける』という卦ですな。戦いに勝利し天子のもてなしを受ける、これほど大きな吉はない。しかもこの卦は、天が沢になって日の光を受け止め、天子が自ら降って公を迎え入れるという意味だ。『大有(天下を有する天子)』は『睽』になってからまた『大有』に戻る、つまり天子も還ることができる」


 彼は続けて言った。


「これは正しく天命だ」


「天命ですか……」


「天命とは天の声だ。そして、天の声は民の声でもある。つまり主公に覇者になってもらいたいという声だ。また、その声を聞く者こそが国主というものだ」


「声を聞く者ですか……」


「左様、どんな小さな声も拾い、国民に幸せをもたらす者が国主であり、名君と呼ばれる者だ。旅の中でそういった者は居りませんでしたかな」


 文公は旅を思い出した。正直、辛くて苦しい旅であった。だが、そんな中で自分に助けの手を差し伸べる人がいた。


『良くぞ参られた公子殿』


『天下を……天下をお頼み申す』


「ええ、居りました。放浪者である私を快く歓迎してくれた方々が。また、その方々は名君に相応しい方々でした」


 懐かしそうに文公は言った。


「ならば、次は今、苦しんでおります王の声を拾われよ」


「教え感謝致します」


 文公は決断した。この決断により、晋の文公は天下という大舞台に躍り出ることになる。









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