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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第五章 天命下る

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鄭の文公

 狄から后を招くことになり、周の襄王じょうおうはこの娘を王后として立てた。これを狄后てきごうと言う。


 そんな彼女を見ていたのは甘の昭公しょうこうこと叔帯しゅくたいである。


 彼は以前、母の寵愛を一心に受けたことで王位を望み反乱を起こして失敗し斉に亡命していた人物であったが、王族の調和を望んだ富辰ふしんの尽力もあり、許されて帰国していた。


(いい女だ)


 叔帯は彼女を見て、そう思った。彼は甘やかして育てられたためか自分の欲しい物はなんとしても得たいという男である。早速、彼は彼女に近づいた。


 狄后は最初こそ、兄の嫁に近づく彼に警戒心を持ったが……


(夫よりもなんて男らしいのかしら)


 彼女からすると襄王には男らしさというものを感じなかった。一方の叔帯は野心家でぎらついた目をしており、男らしさがあった。


(男であるならばこうであるべきだわ)


 次第に彼女は彼に惹かれていき、関係を持った。しかしながら一人の女としてならば兎も角、彼女は王后という立場である。許される立場ではない。


 このことを知った襄王は彼女を廃した。これに困ったのは頽叔たいしゅく桃子とうしの二人である。


 二人は狄との関係を取り持つことに尽力したからである。


「我々は王室と狄との間を取り持った。狄は我々を恨むだろう」


 彼らは狄に恨まれるぐらいならばと叔帯を利用することにした。


「叔帯様、今こそ王を殺しあなた様が即位なさるべきです」


 狄后との関係を知られたこともあり、叔帯はこれに同意すると襄王を攻めた。


 襄王の御士たちはこれに対抗しようとすると突然、襄王が言った。


「もしも弟と戦えば、先后(恵后)は何と言うだろう。諸侯と図るべきだ」


 そう言うや否や周都を脱出し、坎欿の地へと逃れた。彼の逃げ足の早さは見事としか言うしかない。


 襄王に逃げられた叔帯たちは襄王を慕う人々によって周都から追い出されてしまった。ある意味、襄王の狙いはこれで自分が安全圏に行き、自身の安全を保証すると外部から敵を崩したのである。


 この男は追い詰められると意外な対抗策を出してくる男である。


 叔帯たちはこれで挫けるような連中ではなかった。


 秋、狄の軍勢を率いて、周都を強襲したのである。


 これにより、周公・忌父きほ原伯げんはく毛伯もうはくが捕らえれる。


 富辰は、


「私は王に何回も諫言申し上げたが、王は聞き入れることは無く、今回の難を招いた。私が討って出なければ王は私が怨んでいると思うだろう」


 こう言って最後まで抵抗し、戦死した。


 周都を制圧した叔帯たちだが、彼らに余裕は無い。


「王はどこだ」


 そこには肝心の襄王の姿はなかったからである。


 襄王は鄭の氾という地に逃れた。最近まで対立していた鄭の元に逃れるというのは凄まじい度胸である。しかしながらこの度胸の良さが叔帯たちの追手を撒くことができたと言っていい。


 まさか鄭に逃れているとは思っていなかった叔帯たちは襄王が鄭に逃れていることを知って、襄王を襲おうとしたが、またしても、周の人々の抵抗により周都から追い出されてしまった。


 その結果、叔帯らは温に逃れることになった。そこには狄后も傍にいたという。
















 襄王が自分の国内にいるのだが、鄭の文公ぶんこうは襄王に対し何も支援しなかった。彼は襄王に反感を持っているのもあるが正直、この内乱に彼は興味無いのである。


 彼の興味は息子に向けられていた。


 以前、文公は長男の子華しかを殺した際、彼の弟の子臧しぞうはこれに驚き、宋に出奔した。文公という人は自身の息子に異常な殺意を見せる人である。国内に彼がいないのであれば良いと思っていたが、あることを知って子臧に殺意を持った。


 子臧は鷸冠を好んでいた。しぎは鳥の名前で、この冠を冠るのは天文に優れた者が冠るものとされていた。


 そのことを知った文公は彼を身の程知らずと罵り、態々、盗賊を雇って八月に宋と陳の間で子臧を殺した。


 彼のこの自分の子への殺意は異常と言っていいだろう。


 この頃、宋と楚の間で、講和が結ばれた。この講和に尽力したのは目夷もくいである。


 楚に直接、宋の成公せいこう自身が出向いてこの講和を行われたのだが、楚から帰国する際、鄭を通った。


 文公は彼をもてなすことにした。そこで彼は礼について鄭の卿・皇戌こうじゅつに聞くと彼は答えた。


「宋は先代(商王朝)の後裔であり、周の客です。天子が祭祀を行えば、宋に祭肉を贈り、王室で喪事があれば、宋が弔問して天子(新王)が拝礼するものです(他の諸侯が弔問しても周王が拝礼する必要はなかった)。厚くもてなすべきです」


 彼の意見に文公は同意して、成公を大いにもてなした。この男は身内には冷徹さを見せるわりには、他者に対しては礼を示すことができる人である。


 これが鄭の文公という人の解りにくさである。


 それからしばらくして、文公の元に使者がやって来た。


「どこの国の使者だ?」


 文公が聞く皇戌が答えた。


「周王からの使者でございます」


「ほう」


 彼は嫌な顔をした。周都に戻るために兵を出せと強要してくるのだろうと思ったからである。


「書簡を携えているようです。どうなさいますか?」


「会おう」


 彼は仕方なさそうに言うと使者を招き、書簡を読んだ。すると文公は少し眉を上げた。書簡の内容には鄭への無礼への謝罪と助けを乞う内容であったからである。


(あの王が謝罪をしているとはな……)


 そう思うと悪い気はしなかった。


「周王を少し助けてやろう」


 彼はそう言った。彼はほんの少しの優しさをこうして見せる時もある。よくわからない人である。












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