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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第一章 周王朝の失墜
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曲沃の荘伯

 紀元前718年


 春、隠公いんこうとうという地で魚を得るための漁を行いに行こうとした。これを隠公の叔父である公子・こと臧僖伯ぞうきはくがこれを諌めた。


「国君は大事(ここでは軍事や祭事のこと)に関係にないもの、礼器や兵器として、用いることのできない物に対して、行動してはいけません。国君とは民を軌と物に導かなければなりません。大事を行う際に法度に則ることを軌といいます。材料を得て礼器などの重要な器物を作ることを物といいます。軌と物が正しくなければ政治が乱れます。それが頻繁になったら国は滅びることになります。そのため春蒐、夏苗、秋獮、冬狩という四つの季節の狩猟(軍事演習)は農閑の時期に行うのです。また、三年ごとに郊外で兵を治め(大演習を行い)、国都に入って軍を整理し、宗廟にその成果を報告してから宴を開くものでございます。その際は車服を鮮明にし、貴賤の差を明らかにし、序列を論じ、親兄弟の長幼に従います。こうして国君の威儀が正されます。鳥獣の肉は宗廟の祭器に乗せてはならず、その皮革や歯牙、骨角、毛羽を礼器に載せてはなりません。だから国君はそれらを射ないのです。これは古来よりの制度です。山や川の産物は普通の器物に用いられるものであり、皁隸(身分が低い物)が扱うものです。それらを管理するのは官司(官吏)の役目であり、国君がこれに干渉するべきではありません」


 しかし、隠公はむっとしながら言った。


「私は辺境を視察しに行くだけである」


 そのまま棠へ出発し、魚を陳列させ漁を見学した。臧僖伯は病と称して従わなかった。


 無言の抗議である。これを察しきれないような愚鈍さはない隠公であるがこれ以後、臧僖伯とは会おうとはしなかった。






 曲沃きょくよく荘伯そうはくえいけいを誘い、共にしん卾候がくこうを攻めた。


 この戦でしゅう桓王かんおうは大夫・尹氏いんし武氏ぶしを派遣し、これを助けさせた。


 周王が派遣してくれたのは、晋を攻めることを認めたのだと荘伯は考えた。父が失敗したのは、周の許しがなかったためである。そのように考えていたため彼は周と密かに交渉していたのだ。


 彼は苛烈に晋都・翼を攻め立てた。卾候はこれに耐え切れず、晋の邑であるずいに逃れた。


 荘伯はそれを知って、引き続き、随に逃れた卾候を攻めたて、今度こそ逃げられないように包囲した。






 四月、ていは前年の『東門の役』の報復として衛の郊外を攻めた。衛が晋に出兵していた隙をついたと言える。


 衛は堪らず、燕に出兵を要請し、燕軍と残っていた兵とで共に鄭へ攻めた。


 鄭の荘公そうこうは息子の子忽しこつ曼伯まんはくとも言う)、子元しげん、卿の祭仲さいちゅう、大夫の原繁げんはん洩駕せつがと共にこれに対峙した。


 子元が父に進言した。


「衛と燕の両軍は我らばかりに気をとられ、後方には気を配っておりません。彼らの後方にあるせい国と協力すれば必ずや勝てます」


 子元は策謀の人であり、戦に長けている人である。だが彼は冷酷な人でもあるため人望がない。それでも彼の戦における才は本物であるため、荘公は子元の言を入れた。


 前方を祭仲、原繁、洩駕に任せ、子忽、子元には別働隊を任せ、制へ行かせ、協力を仰いだ。制はこれに応え、子忽、子元と共に出兵する。


 六月、前方の鄭軍にばかり警戒していた衛と燕の両軍は後方から現れた制と子忽と子元が率いる別働隊に後方を攻められ大混乱に堕いた。


 この隙に荘公は太鼓を打ち鳴らし、全軍に突撃を命ずる。鄭軍は太鼓の音に乗じて、衛と燕の連合軍に襲いかかり、散々に破った。圧勝である。荘公はこの結果に満足し、子元を大いに称えた。






 秋、随にいる卾候は曲沃軍の攻撃に耐えきれなかったためか随で亡くなった。


 荘伯はこれに大変喜び、残りの晋の地域を一気に制圧するため軍を動かす。しかし、この行為を行うに当たって、彼は周から援軍として派遣された尹氏と武氏に伝えずに行った。そのため二人は内心、怒りを覚えた。


 自分たちは周の大夫であり、わざわざやってきたのにも関わらず、勝手な行動をするのは如何なのか、と彼らは口々に不満を口にする。


 これを知ってか知らずか欒成らんせいが尹氏と武氏に賄賂を贈り、こう伝えた。


「曲沃は周の高官であるあなた様方を無視し、軍を動かしております。これは礼に反する行いでございます。曲沃は晋にとっては弟であるのにも兄である晋を攻め、領地を己の物にしようとしています。このように曲沃の欲に限りがございません。一体、晋君に何の罪があったのでしょうか。罪があるのは曲沃のほうでございます。願わくはご両人にこのことを周王に報告してはいただきませんか」


 荘伯に不満を持っていた尹氏と武氏はこの言葉をもっともと思い、周都に戻って桓王に曲沃の非を訴え、卾候がくこうの子である光を立てるべきと進言した。桓王は彼らの進言を入れ、虢公かくこうに兵を率い、曲沃を攻めるよう命じた。


 荘伯はいきなり虢公に攻められ、驚いたせいか虢公の軍に敗れた。そのため彼は曲沃に戻って、守りを固めた。


 翼から荘伯を追い出すことに成功した虢公は光を立てた。これを哀候あいこうと言う。


「なぜだ」


 父の悲願である晋の征服まで後一歩というところまでに行った荘伯の落胆ぶりは想像に安くない。しかも阻んだのはまたしても欒成である。


「これが天命であろと言うのか……」


 すっかり気落ちした荘伯は二年後、世を去る。後を継いだのは息子のしょうこと武公ぶこうである。




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