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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第五章 天命下る

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寺人・披

少し余裕があったので今日二話目の投稿

 かつん、かつん、かつん、靴の音が響く。


 この音の主である男の目は鋭く、多くの修羅場を潜り抜けた顔をしている。


 やがて、男は扉の前に兵が立っている部屋にやって来た。


「何者だ。ここに居られる方がどのような方か知っているのか」


「もちろんでございます。私は寺人の職に就いております。と申します。主公にお伝えしたいことがあり参りました。どうかお取次ぎを」


 彼は静かに拝礼した。


 これを聞いた兵は部屋に入り、彼が来ていることを晋の文公ぶんこうに話した。これを聞き、文公は顔を顰めた。文公にとって彼は散々、自分を殺そうと襲いかかった憎き存在であった。


 そんな彼を生かしているのは郤芮げきぜいらを許している手前故である。それほどの配慮をしているが、彼に関わろうとする気は更々なかった。


「あの者にこう伝えて、追い返せ」


 兵に言葉を伝えると行かせた。


「主公よりの言葉を伝える」


 兵は静かに息を吸うと言った。


「蒲城の役の際、国君は汝に一晩で私を襲うように命じたが、汝はすぐに私を襲った。その後、私が狄君に従っていた時、汝は先君のために私を殺そうとした。恵公は三宿(三泊して四日後)で私を殺すように汝に命じていたにも関わらず、汝は中宿(二泊して三日後)で私を襲った。君命があったとはいえ、なぜそれほど速かったのか。あの時に斬られた袖はまだ持っている。汝は去れ」


 文公は彼に襲われた恐怖を忘れず、怒りさえ持っていた。これに対し、披は言った。


「私は主公が国に入り、国君としての道を理解されたと思っていました。されど理解されてないようでしたら、再び禍難が訪れるましょう。君命を受ければ二心を抱かない、これは古の決まりです。主君が嫌悪する者を除く際は全力を尽くすもの。蒲人や狄人は私にとって関係ありません。今、主君が即位されても同じように蒲人や狄人は私にとって関係ないことなのです。斉の桓公かんこうは鉤を射られたことを忘れ、管仲かんちゅうを相となさいました。主公が態度を改めないと申せられるのであれば、私は去るだけです。但し、去っていく者は更に増えるでしょう。刑臣(宦官)の私だけではありません」


 これを兵が文公に伝えると彼は考え込んだ。


(君命を受ければ二心を抱かないか……)


 国に仕えるということは、国に仕え職務を行うということはそのような精神で行うべきである。そういう考えの元、彼は動いている。


(国の主になった者はそういった者たちを従えなければならない)


 国に対しての忠義のあり方の中にはそう言った者たちもいる。そういった者たちを従えるのが国君であろう。国君になるとはそういうことではないのか。


「あの者に伝えよ。話しを聞くと」


「承知しました」


 兵は言われた通り、披を招き入れた。


「して、話とは何だ」


郤芮げきぜい呂甥りょせいに謀反の疑いあり」


「詳しく話せ」


 文公に言われた通り、事の次第を話した。


「なるほど……よく話してくれた。今から狐偃こえんと対策を……」


「それでは間に合いません。直ぐに行動するべきです」


「どのようにする」


「このように致しませ」


 彼はそう言うと、策を話し始めた。


















 郤芮と呂甥は公宮に火をかけた後、文公を見つけることが出来ず、郤缺げきけつの意見に従い、彼と別れ文公を探していた。


「どこに行ったというのだ」


「全くだ。これでは我らの目的を果たせん」


 そこに兵がやって来た。


「披様から使者が参りました。重耳の行方がわかったとのこと」


「何だと。重耳はどこにいるというのだ」


 呂甥が問うと兵は答えた。


「黄河を渡り、秦に逃れようとしております」


「不味いぞ、非常に不味いぞ呂甥殿」


 郤芮は焦りを表わにして言った。


「もし、このまま秦に逃れてしまっては我らの努力は水の泡だ」


「わかっている。ここは早く。重耳に追いつかればならん」


 呂甥はそう言うと部下の内、騎兵を中心に集め残りの兵には郤缺の元に合流するよう命じた。


「急ぎ、重耳の首を切り、我らの栄光を取り戻す」


 彼の言葉に従い、騎兵を中心に彼らは一斉に駆け出した。それが地獄への入口とも知らずに……














 道無き道を一団が大急ぎに駆け抜けていく。


「ご報告します。重耳一行に披様が率いる一団が追いつき、戦闘を行っているとのことです」


「相分かった。披殿に我らが合流するまで暫し耐えられよと伝えよ」


 伝令は呂甥の言葉に頷くと披の元へと駆け出した。


「急げ、急げ重耳が秦に入り前に」


 大急ぎで、郤芮と呂甥は馬を駆け出させ、彼らは黄河の近くへとたどり着いた。そこに先ほど別れた伝令が近づいてきた。


「ご報告します。重耳はあそこの屋敷に逃げ込んだところを披様が追いかけ追い詰めたとのことです。披様の伝言で、精兵を揃え参ってもらいたいとのことです」


「なんという吉兆か披殿が重耳を追い詰めたとは」


「早く披殿と合流し、重耳の首を取らればな」


 二人は頷くと連れてきた兵から元気がある者を選び、屋敷へと向かった。


 屋敷は見た目は小さいが中に入ると案外拾い空間があり、左右に廊下が続いている。


「どっちに行けば良い」


 そう郤芮が問うと伝令は右の廊下を指す。


「あちらに重耳が逃げ、披様が追いかけました」


「右だな、良し進むぞ」


 彼らが右の廊下へ進んでいく中、伝令は密かに彼らと離れると左の廊下へと駆け出した。


 郤芮らが進んでいくと大広間らしき空間に出た。


「さて、重耳はどこにいるのだ?」


 呂甥がそう言うと伝令の方を向こうとしたが、その肝心の伝令の姿はそこにはなかった。


「伝令もどこに行ったのだ?」


 彼が疑問に思った瞬間、後ろの扉が閉まった。


「なんだ」


 彼らは動揺していると大広間の別の扉から兵が現れ、彼らを囲み始める。


「貴様らは何者だ」


 警戒しながら郤芮は剣を抜いた。するとそこに披がふらりと現れた。


「披殿か」


 彼の姿を見て、先ほどの警戒を解こうとするとする郤芮に対し、呂甥は目を細め警戒を強めた。


「披殿……ここにいる兵は汝の兵か?」


「左様でございます……国への忠義を尽くす。同士でございます」


 披がそう言うとその後ろから現れた人物を見て、彼らは驚きを顕わにした。


「どういうことだ。何故、汝の後ろに重耳がいるのだ」


 呂甥は激高し、剣を持って文公へと走り出した。それに披は直ぐ様、反応し剣で彼を一閃する。呂甥の首から大量の血が噴き出し、身体は倒れ込んだ。


「呂甥殿……汝は、汝は我らを騙したのかあ」


 叫ぶ郤芮に対し、披は言った。


「騙した。はて、私は国に忠義を尽くすが汝らに何ら義理を果たす必要はなかろう?」


 そう言うや否や、郤芮に瞬時に近づきその首を飛ばした。そして、その首が地面に着くのを見ずに郤芮らに従っていた兵たちを皆殺しにするよう部下に命令し、自身は文公に拝礼した。


「披よ。大義であった。今後も国のために尽くせ」


「勿体無きお言葉でございます」


 その言葉を背に文公はその場を立ち去った。




















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