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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第五章 天命下る

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主は何処に

 暗い、暗いある部屋の中、二人の男が話している。


「高梁の君が殺された」


重耳ちょうじが殺ったのか」


「いや、それはわからん」


「ならば、重耳の配下の者か」


「そうかもしれない」


「なれば、どうする。次は我らかもしれんぞ」


「わかっている」


「私はまだ、死にたくはない」


「私もそれは同じだ」


「ならば」


「重耳を殺す。それしかないだろう」


 男の一人、呂甥りょせいは傍に控えていた寺人・の方を向き、言った。


「重耳を殺す準備を致せ、主の仇を取るぞ」


 披は静かに拝礼し、その場を立ち去った。




















 晋の公宮に炎が上がった。皆、この事態に驚き、混乱した。


「主はどこに居られる」


 先軫せんしん顛頡てんけつ魏犨ぎじゅうらは炎に包まれようとする公宮を消火すると共に文公を探していた。


「主は賊にもう討たれたのか」


「縁起でも無いことを申すな」


「そもそも主を討ったのであれば今頃、賊はそのことを大声で叫ぶだろう。それが無いということは主が討たれてはいない」


 先軫の言葉に顛頡、魏犨は納得した。


 そこに胥臣しょしんが合流した。彼も文公を探して回っていた。


「主はどこに居られるかわからんか」


「こちらもどこに居られるのかわからないため、困っておる」


「左様か……」


 歯を噛み締める胥臣の姿は大層、珍しくこの事態によって彼も焦っていることがわかる。


「先ずは賊よりも早く、主を見つけることが肝心」


「左様ですな」


 皆、一応に頷き、文公を探すために動いた。


 彼らが探し回るように郤芮げきぜい、呂甥らも文公を探していた。


「重耳はどこにいるのだ。公宮にいるのではないのか」


「そのはずだが……」


 顔を顰める二人に対し、郤缺げきけつは感情を出さず、必死に考えていた。


(しかし、誠に重耳はどこに……)


 自分たちの動きは確実に相手の虚を突いていつはずなのだ。そのことは動揺している相手の姿をみればわかる。だが、とうの重耳は何処にもいない。


(誰かが、重耳に知らせたのか)


 だとすれば自分たちの中に裏切り者がいることになる。


「父上、此度の挙について、誰か他に知っている者はおりますか?」


「我らしか知らないはずだ。そうであろう呂甥殿」


 郤芮はそう言って、呂甥の方を向いた。


「ああ、あそこには私と汝と披しかいなかった」


(披……やつか?だが、披は公宮に炎をかける上で協力しているし、あの者は重耳を殺そうと何度も襲った相手、例え披が重耳に通じようとしても重耳が彼を信用することは無いはず……)


 だが、世の中にはそういった有り得ないことが有り得てしまうことがある。


(確証が欲しい……だが、時が無い)


 今、混乱した状況であるが故にこのような余裕があるのだ。やがて混乱が無くなり、こちらに勢力を向けていけば少数のこちらは負けてしまうだろう。


(ならば……)


「父上、重耳が秦に向かったのではありませんか」


「秦にか。だとすれば不味いな」


「ええ、重耳が秦に逃げてしまえば手を出すことができなくなります。そこでここは二手に分けましょう」


「二手にか」


「ええ、父上と呂甥殿とで秦に逃れようとする重耳を追いかけ、私はここで重耳の太子を狙います」


 文公が即位する上で、文嬴ぶんえい懐嬴かいえいの妹?)との子である子驩しかんを太子としていた。


 郤缺は太子を狙うことで相手に大打撃を与えることを考えていた。


「良し、わかった」


 郤芮が呂甥を見ると彼も頷いた。


「では、父上ご武運を」


「ああ」


 彼らはそう言って、別れた。これが親子の一生の別れとなる。















 一人、また、一人切り捨てながら、介子推かいしすいは文公を探していた。


「主は何処に居られるのか」


 炎が公宮を包み込まんとする中、彼は駆ける。


「うん、あれは……」


 その時、多くの兵がある方向に進んでいるのを見た。


「まさか、あっちに主が……」


 剣を握り締め、彼は兵たちを追いかけた。そして、彼らに近づくと剣で彼らを切り裂いた。


「敵か。掛かれぇ」


 敵の若き指揮官が指示を出すと兵は皆、一斉に彼に襲いかかった。それに対し、介子推は鬼神の如き剣裁きで彼らを切り捨てていく。


「化物か……」


 指揮官は舌打ちすると兵に無理をせず介子推を囲むように命じ、自分は兵を連れ、その場から離れようとした。


「逃がさん」


 彼は目の前の兵を切り捨て、その後を追う。


(こちらの道を行けば先回りできる)


 兵たちとは違う道を通り、先回りをしようとすると、そこには兵と戦いつつ、小さな子を守ろうとする者がいた。


(あれは……御子息か)


 主である重耳ではなかったが、彼の息子であれば守るべき存在であることには変わりない。直ぐ様、彼は太子を守るために援護に入る。


「助太刀致す」


「感謝する」


 太子を守っていた賈佗かたは頭を下げる。


「掛かれぇ、数で押せば確実に殺せる」


 指揮官は先ほど戦っていた剣士が合流したために舌打ちをしつつ、冷静に指示を出す。


 介子推に鬼神の如き剣の腕を持っているとはいえ、彼と賈佗の二人で数の差を覆すのは難しい。


(拙いなこのままでは……)


 その時、後方より兵が現れた。


「我らは趙衰ちょうし様の兵である」


「おお、趙衰殿の兵か」


 賈佗は喜びを表わにする。


「くっ」


 一方、指揮官にとっては有利な状況が一変、不利に転じたために彼は太子を捕らえることが難しいと判断した。


「退くぞ」


 そう指示を出すと彼らは一斉に引き始めた。


「逃がさんぞ」


「あっ待て……」


 賈佗の静止を聞かず、介子推はそのまま彼らを追いかけた。


「賈佗殿、太子はご無事か?」


 そこに趙衰が駆けつけた。


「ええ、先ほどとても素晴らしい剣術を持った方がおりましたので」


「左様か……その者の名は?」


「わかりません」


 彼の言葉を聞き、趙衰は剣士が走った先を見る。


「そうか……ところで主がどこに居られるか知っているか?」


「存じ上げません」


「左様か」


(主はどこに行かれてしまったのだ)


 文公の行方を必死に捜す中、誰一人見つけることが未だできていなかった。


 果たして彼はどこに行ったのか……





















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