放浪者、国君へ
紀元前636年
重耳が黄河を越え、令狐、桑泉、臼衰の三邑を下した報は直ぐ様、晋の懐公に知らされると彼は大いに動揺した。
「重耳が来る。どうすれば良い。どうすれば良いのだ」
彼は呂甥に縋り付いた。そんな彼を呂甥は必死になだめる。国君足るものが動揺しすぎれば国を失ってしまう。だが、懐公がここまで動揺するのも無理は無い。
郤芮が重耳を招いたというからだ。しかし、これに動揺したのは彼だけでは無く郤芮も動揺していた。
「何故だ。何故だ。私は何も聞いてないぞ」
そんな郤芮を冷めた目で見るのは彼の息子の郤缺である。
「欒枝殿のせいでしょうな」
「わかっておる」
苛立ちながら郤芮はぐちぐちと欒枝への怨みを呟く。
「欒枝め、余計なことを。私は同意などしておらんぞ……」
そんな父を見ながら郤缺はため息をつく。
(やれやれ困った父だ)
欒枝の変わり身の早さは正直好きにはなれないが、彼の行動の早さは称えるべきだろう。
「いっそのことこのまま重耳の元に出向けば良いのでは?」
「そうなことができるか馬鹿者が」
郤缺の言葉をそう言って一蹴すると再び愚痴をこぼし始める。
(欒枝殿に誘われた時に共に重耳の元へ行けば良かったものを、それほど今の権力を手放すことが惜しいか)
ふっと彼は父を内心笑った。
権力には魔力が宿ると言うが、まさに父はその魔力に取り憑かれているといっていい。
(全く愚かな父だ)
彼は内心そう思いつつも彼は父を批難することはない。それが当時の親に孝を尽くすということだからである。
「では、一先ず信頼を取り戻すことを考えましょう」
「如何に取り戻すと言うのだ」
怪訝そうに言う父に彼は答える。
「呂甥殿に頭を下げ、共に重耳と戦を行いましょう」
「戦だと」
「ええ、重耳に従わないというのならばそうするしか無いでしょう」
暫し無言だったが郤芮は頷いた。
「では呂甥殿の元に出向きましょう。大丈夫です。あの方は流石に父上を無下にはすることは無いでしょう」
彼は自分の言葉を白々しいと思いながらも自嘲した。
二月、呂甥と郤芮は侵攻を続ける重耳と対峙するため、軍を動かした。
廬柳の地に至った頃、兵が慌てながら陣に駆け込んできた。
「報告します。主公が都からいなくなりました」
「なんだと」
郤芮は思わず立ち上がり、呂甥は兵の襟首を掴み掛かり聞いた。
「主公はどこに行ったのだ」
「高梁に行ったと聞いております」
「高梁……」
大夫らは皆、動揺し始めた。己の主が勝手に都を出て行ったのだ。動揺するなというのが無理というべきか。
「如何する呂甥殿」
郤芮は立場上、一歩退いた感じで言う。
「どうするべきか……」
呂甥は頭を抱え込んだ。士気の下がった軍で重耳の軍に勝てるとは思えないからである。
重耳はこちらに真っ直ぐ向かって来ていた晋軍が突如、廬柳で止まったため首を傾げながら重耳らも侵攻を止めた。
「突然廬柳で止まったが何かあったのだろうか?」
重耳は狐偃に訪ねた。
「わかりません。正直、廬柳で駐屯する必要性は特に無いかと思いますが……」
狐偃は欒枝の方を向き、聞いた。
「何か知っていますかな」
「いやいや、存じ上げませんなあ。廬柳で我らを待ち構える気なのでは?」
「ふむ、如何いたしますか主よ」
狐偃の言葉に重耳は悩むと言った。
「相手が何を考えているかはわからないが、私はできるだけ戦を避けたいと考えている。秦の公子・縶殿に使者として出向いてもらい説得してもらおう」
重耳には秦の穆公によって与えられた兵がおり、彼らの管理を公子・縶が行っている。
「かしこまりました」
狐偃を通じて、公子・縶が晋の陣へ送られた。
「使者か……」
「向かいれますか?」
兵の言葉に呂甥は少し悩んだ後、頷き使者に会うことにした。
「公子・重耳の代理として参りました。縶でございます。此度参ったのは公子・重耳を認め従って欲しく参った次第でございます」
彼はそう言うと郤芮と呂甥に向かって、利害を説いた。
「従うべきか。従わぬべきか……」
「今の士気では戦はできない。ここは重耳に従いましょうぞ」
「わかった。重耳に従おう」
二人は重耳に従うことにし、郇に退いてそこで盟を結びたいと申し入れた。
「主に来いと言うのか」
苛立つ顛頡を尻目に狐偃が言った。
「行く必要はありません。盟を結ぶのは私に充分でございます」
重耳はこれに頷き、狐偃を送った。これに公子・縶も同行する。こうして狐偃、公子・縶と郤芮と呂甥ら晋の大夫たちと共に盟を結んだ。
盟を結ぶと重耳は晋の陣営に入る。そして、平伏す晋の大夫を立ち上がらせ共に曲沃に入って一休みし、その後晋の都・絳に入った。
「帰ってきたのか」
かつて都を離れた日のことを思い出しながら彼は感慨深そうに都を見る。しかしながらそこにはかつてあった活気は無く、人々の目に元気がなかった。
「ひどい政治を弟と甥は行ったのか」
「これを主は教訓とせねばなりません」
狐偃の言葉に重耳は頷いた。
彼らは宮中の中に入り、武公の廟に参拝した。武公の廟に参拝するのは即位するための儀式である。こうして重耳は即位した。これを晋の文公という。
十九年間の亡命生活を経て、即位した空前絶後の人であり、春秋時代最高の名君とされた人物である。




