黄河での誓い
十二月、秦の穆公は重耳に革車(兵車)五十乗、畴騎(精鋭の騎兵)二千、歩卒五万を貸し、晋に向かわせた。
晋に向かう彼らを見ながら穆公は宴のことを思い出し、なぜあの時、『六月』を賦したのかと後悔した。あれではまるで重耳に覇者となれと言っているようなものではないか。
だが、不思議なことにあの時、彼の意思はほとんど無く、まるで誰かに言わされているような感覚があった。
(本当に天命があの者にあるというのか)
だとすれば天命を得て、覇者となるのは重耳ということになる。それを彼は認めたくなかった。
(まだ、私はあきらめん。私こそが覇者になるべきなのだ)
彼の心には野心という大きな炎が燃え上がった。
晋に向かっている重耳らのことをいち早く知った者がいた。その者の名を欒枝という。彼は晋において名門の家柄であり、国内で実力のある人物である。
さて、ここで彼は悩んだ。彼は重耳や晋の恵公など、どの公子に付くか明確にせず、のらりくらりと国にとどまり続けた。しかしながら今回、重耳が国に戻ってくる。しかも秦より借りた多くの兵を連れている。
(これは確実に公子・重耳が勝つだろう)
それはほぼ確実と言っていいが、問題はその後である。
国君となった後、先ず何を行うのか。晋の恵公のような粛清を行うかもしれない。彼の失敗を知っているからそれを行わないとも言い切れなくは無いが、自分を信頼し助けていたものよりも助けなかったものを信頼することはないだろう。
つまり重耳派に与せずにいた自分の家を崩しに来るかもしれない。それは大いに困る彼はどうするべきかと悩んだ。
(やはり、今から公子・重耳に付くしかない)
確かに今から重耳に付くのは図々しいかもしれない。だが、国内から手を貸す存在を得ることはうれしいはずだ。その中でも真っ先に手を貸せば、その手を無闇にたたき捨てることはないだろう。
「良し、そうしよう」
彼は臣下に準備を行わせ、自分は郤芮の元に向かった。彼は晋において一番権力を持っていると言ってよく。重耳が国君となることを一番望んでいないはずであり、今から重耳に付こうという人の行動ではない。
「何の用だ」
「実はお伝えしたいことがございまして」
「早く申せ」
「重耳が秦より、兵を借りこちらに向かっているとのことです」
「なんだと」
郤芮は感情を現にした。だが、彼の動きには鈍さがあった。
(おや……)
彼がこのことを郤芮に伝えたのは、もし重耳が敗れた時の予防線のつもりであったが……
(どうやら主公との関係が上手くいっていないのではないのか?)
これは思いがけないことである。欒枝はこれを利用することを考えた。晋においてもっとも権力を持ち、重耳と対立する派閥の実力者を引き入ることができれば自分の価値は更に大きなものとなる。
「そこで郤芮様どうでしょう。重耳をこのまま国君にすればどうでしょうかな?」
「そのようなことできるはずがないではないか」
(往生際の悪い人だ)
「ならばこのまま主公を国君に据え続けますかな。それにあなた様はあまり主公と上手くいってないご様子。どうでしょうここで重耳を国君に据えることができれば今の権威を失わずにすみますぞ」
彼の言う通り、懐公と郤芮の間はしっくりきていない。懐公の方は良くある父の配下を用いたくないといった感情故であり、郤芮の方は単純に相性の問題である。
だが、郤芮は直ぐには決断できなかった。恵公を立てて、散々重耳を殺そうとしたのである。許されるはずが無いのだ。
「重耳を相手にするということは秦も相手にすることになりますぞ」
そう言って詰め寄る欒枝だが、郤芮は決断しない。
「わかりました。今日は良くお考え下さいませ」
そう言うと彼は郤芮の元から離れた。
(決断できない男というものは害悪に等しいものだ)
そう毒づく彼には明日を待つなどという考えはない。彼は臣下に準備できたことを聞き、準備できたことを知ると重耳の元に向かったが、その前に彼は重耳に書簡を送った。どこまでも彼は慎重である。
書簡を見た重耳は趙衰に言った。
「郤芮殿と欒枝殿が私を招くと言っている。どう思う」
郤芮はまだ同意していないのに欒枝は同意したように見せている。こういうところが欒枝にはある。因みにこの時、郤芮ではなく、郤一族の本家筋の郤穀(恐らく彼は郤芮の父・郤豹の兄の子)が重耳を招いたという説もある。
「誠か偽りかはわかりませんが主が国君になるは天命、迷う必要はありません」
「わかった。欒枝殿には感謝すると使者を出せ」
「御意」
使者を送られた欒枝は急いで重耳の元に駆けつけ、従属を誓った。重耳は彼を快く向かいれた。魏犨と顛頡はそれを面白くなさそうに見ていた。
「後から来たやつを歓迎する必要はあるのか」
「我らを支援しようとする者なのだ。仕方ないだろう」
顛頡をそう言って諫める魏犨だが、彼とて納得したわけではない。だが、重耳に対しそのような不満を述べる男でもない。
重耳は欒枝の手を取り、言った。
「感謝致しますぞ欒枝殿」
「勿体無き御言葉でございます」
以後、欒枝は重耳にもっとも早く帰順したことで用いられるようになり、彼の子孫は晋において重責を担うようになる。
重耳は黄河に至ると放浪中の食器や寝具を黄河に捨てさせ、日焼けや手足に胼胝のある者を後ろに下げさせた。放浪中のことを思い出したくないという彼の思いがこれをさせたのである。
狐偃はこれを知ると泣きながら重耳に会った。
「私は十九年も放浪してやっと帰国することができそうなのに何故、夫子(男に対する尊称を表す言葉)は喜ばずに泣いているのだ。私が帰国することが嬉しくないのか?」
狐偃はこれに答えた。
「食器は食事をするためにあり、寝具は寝るためにあります。どちらも生活を送る上で必要な物であるのに、主公はそれを御捨てになりました。顔が黒く手足に胼胝があるのは、労苦によって功績があるからです。ですが主は彼らを後ろに退けさせました。国君が士を避ければ忠臣を得ることはできず、大夫が游(共に遊んだ友の意味)を避ければ忠友を得ることができないと申します。今、主は帰国することが叶おうとしておりますが、大切なものを御捨てになろうとされております。私はこれが悲しくて泣いたのでございます。また、放浪中の私は帰国するために主を騙すこともありました。私自身、それを悪だと思っております。主においてはなおさら私を憎んでいることでございましょう」
狐偃は拝礼すると去ろうとした。それを重耳は止めて言った。
「こういう諺がある『社(土地神の社)を建てる者は衣服を振り払い社を建て、礼服・礼冠を身につけ、社を祀る』と、夫子は私のために国を取ってくれた。しかし私と共にそれを治めないのであれば、共に社を築きながら祀らないのと同じではないか。禍福利害を夫子と共にすることを河水に誓おう」
重耳は璧を黄河に沈めて誓いを立てた。
これを見ていた者がいた。介子推である。彼は黄河に船を浮かべ、それに乗って周囲を警戒していた。
船中で笑って言った。
「天が公子の道を開いたというのに、狐偃は帰国できることを己の功績と考え、主君に誓わせた。このような行為は恥とするべきだ。私は彼と同列でいるつもりはない」
狐偃の言葉は一見、放浪中に共に苦労した者たちに対し、心無い態度を取ったことを窘めているようにも見える。だが、実際は自分の言葉に従ったことで帰国することができるのであり、もし自分がいなければあなたはここにはいないという言葉が彼の言葉に含まれている。
(主は天命を受けてここにいるのだ)
天命を受ける者こそが国を治める者なのだ。そしてそれが重耳であると考えている彼にとって、狐偃のように己の功績であると誇ることは許せなかった。そして、そんな狐偃と同じ立場にもいたくないとも思った。
介子推は密かに黄河を渡った。静かな狐偃への非難である。
重耳が国君になろうとする時、様々な者たちの運命は大きく変わろうとしていた。




