天下を左右する者たち
「ここが楚か……」
重耳一行は楚の都に来ていた。
晋でも斉でも宋でも無い、独特の空気が楚にはある。それに重耳は圧倒されていた。
「とても人が多くおりますし、活気がございます」
狐偃が言うと重耳は頷いた。
「ああ、斉にいた時も多くの人々がいたが、ここまでの活気はなかった」
懐かしそうに彼は言った。同時にこれほどの活気があろうとも崩れ去ることもあるとも冷静な目でそう見ていた。
「晋の公子様方でしょうか?」
数人の矛を持った男たちが近づき問いかけた。
「左様でございます」
「王がお呼びです。さあこちらへ、ご案内致します」
「承知した」
重耳が拝礼すると彼らも拝礼し、先導するように進んだ。
「楚は斉や宋のように彼らを快く良く迎えてくれるようだ」
「恐らく主の器量を察しておるのでしょう」
「私の器量など大したものではない」
狐偃の言葉に重耳は恥ずかしそうに言った。
「良くぞ参られたな」
楚の成王は重耳らに向かって言った。
「此度の歓迎、感謝至極でございます」
重耳は拝礼するが、ふと視線を感じ、横目でその先を見た。
鋭い目をした男が重耳を睨みつけている。
(まるで獣のような目だ)
彼はその目に好意などは感じず、不快感を覚えた。
(斉にも宋にもこのような臣下はいなかった)
もっと言えばこのような場にいるということは余程高い位の人間であるということでもある。このように獣のような目をしている男に国の運営を任している。
(楚はあまり好きになりそうにないな)
重耳はそう思った。この男こそ、後に自分と天下分け目の戦で対峙することになる子玉である。
「既に宴の準備をしている、参られよ」
「感謝します」
成王の命により、寺人によって重耳らは宴の会場へと案内された。その間も子玉は彼らを睨みつけていた。
成王は周礼を持って、重耳に遇し宴においては九献を行おうとした。九献は諸侯同士で行う礼式であり、諸侯では無い重耳に行うのは本来は無い。
また、宮庭には約百点の礼物を並べられていた。
子玉に睨まれていたこともあり、不安になった重耳は宴を辞退しようと思ったがそれを狐偃が止めた。
「天命を受け入れるべきです。亡命者の身でありながらも国君の礼(九献)を進められ、対等な立場ではないにも関わらず、百の礼物を並べられました。天の意志がなければできないことでしょう」
彼としてはここで楚との繋がりを作ることは晋の国君になるためにも必要なのだ。
重耳は彼の言葉に頷き、成王のもてなしを受け入れた。
宴は何ら問題なく、進行していくが宴の空気としては少し張り詰めたものがある。
(嫌な空気だ)
ここにいると宴で楽しむというよりは観察されているように感じてしまう。
「して、汝がもし国に帰ることができれば、どうやって我が国に報いるのだろうか?」
突然、口を開いた成王はそう言った。
(どう答えるべきか……)
額に流れる冷や汗を感じながら重耳は答えた。
「貴君は美女も玉帛も全て擁しております。羽(孔雀等の羽毛)・旄(牛等の尾)・歯(象牙)・革(犀の皮)はこの地で生まれる物であり、我が国に及ぼされるのは全て楚で余った物ばかり、何をもって報いることができるでしょうか」
「そうだとしても私は汝が如何のように報いようとするのか。それを知りたいのだ」
成王はにやりと笑う。
(試されているな)
そんな成王は見ながら彼は答えた。
「楚君の威霊のおかげで国に帰ることができ、晋と楚が兵を治めて中原で矛を交えることになりましたら、楚君のために三舍(一舎は軍が一日に行軍する距離で三十里。三舎は九十里)を戦わずに退きましょう。但し、もし楚君の撤兵の命を聞くことができなかったら、私は左手に鞭弭(鞭と弓)を持ち、右手に櫜鞬(弓矢を入れる袋)を持って楚君の相手をしましょう」
彼の言葉を聞いていた子玉は思わず、席を立ち、重耳に向かって怒鳴ろうとした。それを成王が手で止めた。
「面白き答えですな。宜しいもし我らと矛を交える時、そうしてもらいましょうかな」
その後、宴は慎ましく終わった。すると子玉は成王の元に向かい、怒って言った。
「晋の公子を殺しましょう。殺さなければ国に帰ってから楚の憂いとなりましょう」
成王は首を振って答える。
「その必要はない。楚の憂いは我々自身が徳を修めないことから生まれるもの。我々が徳を修めないようならば、公子を殺害しても何の意味もない。また、もしも天が楚を援けるのなら、誰も楚の憂いにはならない。逆に天が楚を援けないのなら、晋に明君が現れるはずだ(重耳を殺しても他の賢人が晋の国君になるだろう)。晋の公子は聡明で文才に恵まれ、困窮していても他者に媚びることがなく。しかも優秀な人材が公子に仕えている。これは天命というものだ。天が興隆させようとしている者を廃することは誰にもできない」
成王は決して凡君では無い。そんな彼の目に重耳という男の不思議な魅力というものがあることを見抜いたと言っていい。だが、子玉は尚、重耳を殺すことを進言した。彼には重耳にそういったものを見抜く力は無いのだ。彼は常に他者に対して上から見る癖があり、重耳に対してもそう言った目で見ているためだからである。
「王よ。秦より使者が参っております」
寺人が成王の部屋に出向き言った。
「良し、会おう」
成王はもう話は終わったばかりに部屋を出た。子玉は悔しそうに拳を握った。
「晋の公子殿。秦より使者が参った」
翌日、重耳一行は成王に呼ばれ、宮中に参内した。
「して、秦の使者は何と?」
「汝を秦に招くとのことだ」
成王は秦の使者の書簡を重耳らに渡した。
「秦に行くと良い。遂に汝の天命が国君に導こうとしているのだ」
「感謝致します」
重耳は稽首を持って答えた。
「次はお互い国の長として会おう」
(なんという度量の大きさか)
後に天下を争うかもしれない男に対しての扱いとは思えなかった。
(この度量によって天下に影響を与えているのだな)
後に天下の覇権を争うことになると思えば、なんと恐ろしい相手だろうか。
「ええ、できれば戦場以外でお会いしとうございます」
重耳は笑みを浮かべながらそう言うと成王も笑みを浮かべた。
こうして天下に大きな影響を与える存在である二人の英傑の会話を終えた。




