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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第四章 天命を受けし者

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宋の襄公

 泓水の戦いでの楚の勝利は鄭の文公ぶんこうの元に知らされ、大いに喜んだ。


 文公は勝利の宴を開こうと思い、楚の成王せいおうに鄭に来てもらえるよう使者を出し、成王はこれに同意すると闘章とうしょうらと共に鄭に向かった。


 この時、文公は成王に対して大分、気を使ったようで、態々文公の夫人・芈氏びし(恐らく成王の娘)と姜氏きょうしを柯沢の地で労わせている。


 その際、成王は師縉しせんに宋軍の捕虜とかく(古代の戦争では殺した敵兵の左耳を切りとって戦功の証拠としていた)を二人に見せた。


 余程、宋との戦での圧勝が嬉しかったのだろうが、これを人々は非難した。


「非礼だ。婦人は門(宮室の戸)から出ることは許されず、兄弟に会うにも門を越えないものだ。厳粛な戦の時には女が使う物すら近づけてはならないものであるのに、婦人が陣内にはいるなどもっての外である」


 翌日、成王が鄭都に入った。


「良くぞ参られた」


 文公は成王に九献(主人と賓客が交互に酒を九回勧めること。国君間の礼の一つ)し、庭に百件の礼物を並べ、更に籩・豆(祭祀で用いる器)六品を贈った。


 宴が終わり夜になると成王は退席した。その際に文公は羋氏に陣まで送り届けさせた。この際、成王は鄭の二姫を連れて帰った。


 これを鄭の叔瞻しゅくせんが憤った。


「楚王は終わりを全うできないだろう。礼を行いながらも終わったら男女の別がなくなった。男女の別がなければ礼とはいえず、それでは良い終わり方ができるはずがない」


 宋という邪魔な存在に大勝したことで彼は浮かれていたのかもしれない。そのためここで示した無礼が余計に際立ってしまったのである。


 これにより、人々は彼が覇を唱えることはないと思ったと史書に書かれているが、正確に言えば、成王のような人に従いたくない。諸侯の盟主であって欲しくないという感情が人々に蔓延していたのかもしれない。


 だが、彼の他に誰が覇を唱えるのだと言われれば人々は黙り込んでしまう。それだけ楚には勢いがあった。
















 さて、曹を離れた重耳は宋に向かっていた。


「宋は楚との戦で大敗したというが、宋は我々をもてなしてくれる余裕はあるだろうか?」


 重耳ちょうじ狐偃こえんに問いかける。


「こればっかりはなんとも言えません」


 狐毛こもうが言った。


「しかしながら今更、他の国に進路を変える余裕はありません。どっちにしろ宋に立ち寄るしかないでしょう」


「そうだな。それに……衛や曹よりも扱いが良ければそれで良い」


 何の感情を込めずに重耳は言った。
















「晋の公子がこちらに参るそうです。如何いたしますか?」


 目夷もくいが横になっている宋の襄公じょうこうに言った。


「晋の公子?」


 彼は楚に敗れた際の怪我が悪化し、調子を崩しているため声は弱弱しかった。


「はい、ずっと諸国を放浪している公子です」


「ああ昔、斉にいた公子か」


 彼は思い出しながら目を細める。


「それで如何いたしますか?」


「おもてなし致せ、無礼が無いように」


「承知しました」


 そう言って、去ろうとする彼を襄公は止めた。


「目夷よ。頼みがある」


「何でしょう」


 襄公はゆっくりと身体を起こし言った。


「私を公子の元へ連れて行ってくれ」















 重耳ら一行は宋の都に着いた。都を見て重耳は目を細めた。


「活気がないな」


 彼の言う通り、宋には活気がなく、国民の目には生気があまり無い。それもそのはずで先の戦での大敗の傷が大きいためである。


(これが戦に負けるということなのか)


 重耳はここまで苦難の旅を続けていたが、このような現状の国を見ることはなかった。


(たった一回の戦で負けるだけでここまでになるのか。いや、たった一回の戦と思うことこそが間違いなのかもしれない)


 戦での勝敗は国の命運を左右するものなのだ。


 彼は晋という急成長した国で過ごしていたこともあり、敗れ、傷つく国民というものに触れることなく過ごしてきた。


 そんな彼が宋の現状を見て、心苦しく思った。


(私は自分のことを厚遇してくれるか、それしか考えてこなかった)


「晋の公子様でございますね」


 そんなことを考えていた重耳の元に数人の兵がやって来て、そう言った。


「左様でございます」


「長旅ご苦労様でございます。我が国の主はあなた様方を歓迎するとのことでした」


「感謝致します」


 兵の態度に斉の時と同じようなものを感じつつも彼の心は晴れなかった。


「私は……」


 食料のみを援助してもらい。宋の都を出ると言おうとした瞬間、馬車がやって来た。


公孫固こうそんこ様」


 兵は驚いていると馬車から公孫固が降りてきた。


「晋の公子様ですな」


「左様ですが」


 重耳の後ろでは魏犨ぎしゅうらが警戒を始める。


「これより、主公が参られる。しばしお待ち下さいませ」


「宋君がここに参られると?」


 これには重耳らも驚く。彼は公子とはいえ、国を追い出された身なのだ。それにも関わらず、国君自ら参るというのだ。


 すると、兵に守られた馬車がこちらにゆっくりとやって来た。やがて、馬車が止まると人に支えられながら宋の襄公が降りてきた。


「晋の公子ですかな」


「重耳と申します」


 彼は拝礼を持って、襄公に答える。


(この人が宋君)


 襄公の姿はとても弱々しい。だが、目はしっかりと重耳を見ている。そして、襄公は彼の手を取った。


「良くぞ、良くぞ参られた」


 重耳は感動に震えた。このような感動は斉の桓公かんこうに会った時と同等いや、それ以上のものがあった。


「さあ、宮中へ案内致す。臣下の方々もさあ参られよ」


 笑みを浮かべながら襄公は言った。


 その後、重耳一行は宴で大いに歓迎され、厚遇された。


「長旅で大層苦労されたでしょう。我が国で良ければゆっくりとなされよ」


「お言葉感謝致します。されど……」


 重耳は稽首し、言った。


「明日にはここを立とうと思いまする」


 この重耳の言葉に狐偃らも驚く中、襄公は静かに問いかけた。


「何故かな?」


「これほど厚遇とても嬉しく思いまする。されど私はこのような厚遇を斉で受け、腑抜けになってしまったのをここの者に叱られましてな」


 重耳はからからと笑い、言う。


「故にお断りいたします」


「左様ですか。では今日だけでもごゆっくりなされよ」


「感謝します」


 こうして久しぶりに重耳一行はゆっくりすることができた。


 そして翌日、ここでも態々襄公はおり、更に馬二十乗を贈った。


「ここまでの厚遇、重耳は生涯忘れません」


 拝礼をする重耳に襄公は言った。


「道中、お気を付けを」


「感謝致します」


 重耳がそう言って、車に乗ろうとするのを襄公は止めた。


「公子殿」


 彼は重耳の手を両手で握った。


「天下を……天下をお頼み申す」


 そう言うと彼は手を離した。


(天下……)


 重耳は体を震わす。今まで自分を国君にと臣下たちに望まれたことはあった。しかし、天下を頼むと言われたことはなく。そのことはとても恐ろしかった。だが……


「お任せ下さい」


 彼は襄公に向かってそう言った。何故、このような言葉を言ったのかわからなかったが、それでも後悔はなかった。それ以上に襄公がこの言葉に大きく頷いたのが印象に残った。
















 重耳を乗せた車が去っていく。


「公子は次はどこに向かうのであったかな?」


「鄭と聞いています」


「鄭か……鄭君では公子の器量を理解することはできないだろうな」


 目夷は目を細める。何故襄公は晋の公子をこれほど気に入っているのかわからなかったからである。


「主公は何故、公子にあれほどの礼を尽くされるのでしょうか?」


「彼に天命があるからだ」


 目夷の問いかけに彼はそのように答えた。


「天命ですか……」


「そうだ。斉君にもそれがあった」


 彼の言う斉君とは斉の桓公のことである。


「斉君と最初に会った時、私はそれを感じた」


 襄公は懐かしそうに目を細めた。


「この方がいれば天下は治まるとも思っていた」


 空を見上げ彼は続ける。


「だからあの時、斉君と管仲かんちゅう殿に後嗣の後継を任された時は嬉しかったものだ」


 これほどすごい人に自分は信頼されたのだと、


「その後、管仲殿に斉君も亡くなられた時、私は大いに恐れた。諸侯の中に斉君に継ぐことができる者がいなかったからだ」


 彼の思った通り、楚の勢いが増し、天下を揺さぶり始めた。


「私が守らなければと思った」


 斉君に信頼されていたという自負が襄公を突き動かした。


「だが、私はあの方のようにはなれなかった」


「主公……」


「汝の言う通りにしていればこのようなことには、国民をこれほど苦しめることもなかっただろう」


「そのようなことは……」


 続きを言おうとする彼を襄公は手で制する。


「良いのだ。それが真実なのだから」


 悲しみの表情を彼は浮かべる。


「私にも天命があると勘違いしていたのだ。天下を治めよという天命があると」


 彼は目夷の方を向く。


「確かに天命はなかった。しかし、天命を受けた者はいた」


「それが晋の公子ですか?」


「そうだ」


 再び、換えは空を見上げる。


「天命は公子にあった。天命を受けし者は公子だったのだ」


「しかし、それほどの天命を受けたとは……」


「目夷よ。晋の公子がこれほど長い間、困難の旅を続けていても彼は命失はず、晋はまるで公子を待ち望んでいるかのごとく。衰退している。それであるのに天命が無いとは申せないだろう」


 彼の言葉に目夷は無言になる。


「だが、私は晋の公子殿が晋の国君となる姿を見ることはないのだろうな」


 襄公は涙を流し始める。


「公子と共に天下の安定に尽力したかったものだ」


「主公……」


 そんな襄公を見て、彼も涙を流す。


「目夷よ、最後の願いを聞いてくれるか」


「何でしょうか?」


「晋の公子が国君となった時、直ぐに晋につけ、さすれば宋に安寧が訪れるはずだ」


「承知しました」


「頼んだぞ」


 そう言うと彼は笑った。この翌日、彼は床に伏せるようになり、翌年の夏に世を去ることになる。この後を継いだのは宋の成公せいこうである。
















 宋の襄公という人は泓水の戦いでの失敗といい、失敗の多かった国君と言うしかない。


 この失敗の多くは古き礼に拘ったためである。しかしながら彼は斉の桓公、亡き後の混乱を必死に沈めようとしており、礼に拘った結果大敗したことがきっかけで生まれた故事、「宋襄の仁」のあり方は後世の君子たちに愛された部分があり、彼を春秋五覇に数えることもある。


 彼は斉の桓公に憧れた。故に桓公になろうとした。しかし、桓公になれないことも彼自信が良く知っていた。それでも桓公になろうとした人である。


 そんな彼は泓水の戦いでの大敗は大きかった。しかし、そんな時に重耳と出会えた。重耳であれば桓公にいや、それを越えることもできるかもしれない。そのような感動が彼の厚遇に繋がることになった。


 この時の厚遇に答えるかのごとく。重耳は国君となった後、楚と戦いその仇を取ったと言えるのかもしれない。





















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