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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第四章 天命を受けし者

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泓水の戦い

 周の大夫・富辰ふしんが周の襄王じゅうおうに謁見を申込み、言った。


「そろそろ大叔たいしゅく(王子・たいのこと)を呼び戻しては如何でしょうか?」


 王子・帯は襄王との政争に敗れ、斉に出奔している。


「何故だ?」


 襄王にとって王子・帯は忌々しい存在である。


「『詩経』にはこうあります『隣人と協力すれば、姻親が友好になる』と、我が国の兄弟は協力していません。それにも関わらず、なぜ諸侯の不睦を責めることができましょう。大叔を呼び戻し、協力しあうべきです」


「ふむ、わかった。呼び戻せ」


 こうして、王子・帯は周に帰国することができた。しかしながら彼は後に周にとって大きな火種になることになる。












 春に魯が須句を復国させてしまったため、この国を攻略した苦労が水の泡となって消えてしまった邾はこれに大いに憤り、魯に攻め込んだ。


 一方の魯の僖公きこうは焦りの表情を浮かべることなく、邾に対しそれほど備えをしなかった。


 邾は小国に過ぎず、魯の敵ではないと思っていたからである。


 このような僖公の態度に不安を抱いた臧孫辰ぞうそんしんがこれを諌めた。


「国の大小というものはそれほど重要ではなく、敵を軽視してはなりません。備えがなければ兵が多くとも頼りにならないもの。『詩経』にこうあります。『戦戦兢兢とすること、深淵に臨み、薄氷を踏むようである』また、こうもあります『何事も慎重に行動せよ。天は上にあって全てを照らすものの。天命を得るのは難しい』この二つは先君の明徳があろうとも天命を得ることは難しく、恐れて慎重にするべきだという意味です。我々小国ならばなおさらでしょう。邾が小さいといって軽視してはなりません。蜂やさそりのように小さな虫であっても毒があるのです。一国が相手ならなお危険ではありませんか」


 しかし、僖公はこれを聞き入れることはなかった。この時の魯は彼が善政を敷き、魯の国力に対し自身を持っていた。そのため魯は臧孫辰のいうような小国ではなくなったという自負があった。


(邾などに負けるはずがないのだ)


 そう思いながら彼は最後までしっかりとした備えをすることなく、八月、升陘で邾で戦った。


 この時、彼にとって信じられない光景が広がった。魯軍が邾軍に対し、敗れたのである。


(馬鹿な)


 信じられないという表情を浮かべつつ、彼は邾軍から逃げていた。後ろから多くの邾の兵が襲い掛かってくる。


「あそこに魯君がいるぞ」


「捕らえろ」


 その時、矢が僖公に向かって放たれた。それを咄嗟に交わした僖公だが、頭に身に着けていた兜を落としてしまった。


「あれを拾ってまいれ」


「無理です」


 後ろにたくさんの邾の兵が追いかけてくる中、兜を拾いに行くのは自殺行為である。


「だが、あれを敵の手に渡るのは恥であるぞ」


「今は御身こそが大事でございます」


 御者の言葉に僖公は黙り込み、必死に邾の兵から逃れた。


 僖公の兜は邾の城門に掲げられた。


 この大敗により、魯は大きく国力をそがれることになった。
















 夏から鄭は宋に攻め込まれているため、鄭は楚に救援を求めた。楚はこれに同意し、闘章とうしょうを先鋒とし、楚の成王せいおう自ら出陣した。


 宋の襄公じょうこうはこれを知り、楚に応戦しようとしたのを大司馬・公孫固こうそんこ(因みに彼は宋の荘公そうこうの孫)が止めた。


「天が商を捨てて久しくございますが(宋は商王朝の子孫の国)、主公はこれを復興させようとしています。これは天に背く赦されないことですお止めになるべきです」


 楚には勝てない。軍事を担っている身である彼からすればそれがよく分かっており、戦を回避するべきと考えている。


「ならん。楚との戦から逃げてはならないのだ」


 襄公はそう言って、聞き入れず。軍を楚に向けた。


 十一月、楚と宋が決戦の舞台となったのは泓水である。


 大きな川である泓水があるため、公孫固は急いで陣を構えるよう指示を出し、楚が来るまでに陣を構えた。


 戦において、水を背にして戦うのは危険であり、また、川を渡っている最中に襲われるのも危険である。そのため川の近くで戦う際は川を前にして先に陣を構えて敵を待ち構える方が有利である。


 そのことを良く理解している公孫固は急いで陣を構えさせたのだ。


(これで兵法上はこちらが有利だ)


 そう思いつつも勝てるという自信は無い。間者の報告によれば楚は大軍である。その大軍にまともにぶつかって勝つのは難しい。兵法の理で勝ろうとも数というものが多い方が有利であることは変わらない。


(できれば川を渡っての愚を察して引いてくれれば良いのだが……)


 さて、楚の大軍はしばらくして泓水に着き、宋と対峙した。この楚の大軍を率いるのは勇将・闘章と成王である。


 楚の令尹・子文しぶんならば川の向こうで敵が待ち構えているにも関わらず、無理に川を渡って、仕掛けることを進言しないが、闘章は退くことを知らない勇将であるため、ここで何ら臆することなく。川を渡って宋に戦を仕掛けるよう進言した。


 成王はこの進言を入れ、太鼓を鳴らした。


(仕掛けてきたか)


 公孫固はそれを見るや、すぐさま襄公に進言した。


「敵は数が多く、我が軍は少数。敵が川を渡り終わる前に仕掛けるべきです」


 数で不利なこの戦に勝つにはこの方法しかない。


「まだだめだ」


「なっ」


 しかし、襄公は首を振り、攻撃を認めなかった。呆気にとられた彼だが、再び攻め込むことを進言する。しかし、襄公の断固として認めなかった。


 一方、川を難なく渡ることのできた闘章と成王は首を傾げつつも陣を構えた。


「陣を構え終わる前に攻め込むべきです」


「まだだめだ」


 またしても襄公は許可を出さない。


(勝てるかもしれない戦が……)


 公孫固は思わず頭を抱える。


 そうこうしている間に楚は陣を構え終えた。


「良し、全軍に突撃を命じよ」


 やっと襄公は許可を出し、宋は全軍、楚に突撃を仕掛けた。


「宋君は戦を知らんのか」


 からからと笑う成王はこれを向かい打つ。宋と楚では兵の数が違う。大軍を相手にまともにぶつかれば負けるのは宋であることは必然と言っていい。


 宋は楚の大軍を前に総崩れ、襄公は股に大けがを負い、門官の職についている。精鋭は彼を守るため戦い全滅した。


 公孫固は敗走する味方を必死にまとめ、襄公を守ることしかできなかった。


 こうして泓水の戦いは楚の圧勝で終わった。
















 大敗の報は宋の目夷もくいの元に届いた。


「主公はご無事か?」


「ご無事です」


「そうか……」


 彼はひとまずほっとした。


「しかしながら怪我をされております」


「わかった。医者を用意せよ」


「承知しました」


 臣下が離れると目夷はため息をつく。


 数日後、襄公を始め、公孫固らは帰国した。皆、ひどく傷つき、汚れていた。


「主公、戦の詳細は聞きました。勝敗は兵家の常と申しますがなぜ、公孫固の策に従わずこれほどの大敗を喫することになったのでしょうか?」


 目夷はそう言って、襄公に詰め寄った。


「君子とは重ねて他者を傷つけず、老人を捕えないもの。古の戦では険隘な地形を利用しなかった。私は亡国(商王朝)の子孫ではあるが、列を成さない敵を相手に戦鼓を敲くことはできない(攻めることはできない)」


 襄公は王者の戦をしたかったのだろう。王者の戦とは正面から正々堂々と戦う戦のことであり、古の商と周の牧野の戦いでは正々堂々と正面から戦い、数で劣っていた周が勝利した。この勝利の様を彼は再現したかったのだ。


 しかし、そのような考えは甘いとするのが目夷である。


「主公は戦争を知っているとは申せません。強大な敵が険隘な地で列を成さないのは、天が我々を助けようとしたためであり、敵が進軍を阻まれている時に戦鼓を敲こうとも悪いはずがないのです。強大な敵が相手ならば有利な地形を利用してでも、なお慎重にならなければならないもの。そもそも、強大な者は全て我々の敵です。たとえ老人でも捕えたら逃がしてはいけないのです、国が辱められていることを兵に教えて敵と戦わせるのは、敵兵を殺すためではありませんか。負傷させてもまだ死んでいなければ、重ねて討つべきです。重ねて傷つけてはならないのなら、始めから傷つけなければ良く。敵の老人を愛すのなら、戦わずに服従すればいいではありませんか。軍は利があるから用いるもの。金鼓は士気を奮わせるために敲くもの。利がある時は阻隘な地形を利用しても問題ないのです。声を盛んにして士気を高め、整っていない敵を討つことは間違いではなく、天命だったのです」


 戦を行う以上、全力を持って戦うべきだ。古の戦いおいてでも、全力を尽くさなかったというのだろうか、天命だけで商と周の戦は決したわけではないのだ。


 天命に縋ることと天命を得ることは違う。襄公は無用な情けを楚に与え、天命に得ようとする努力を怠ったのだ。


「そうか、だが、私はそれでも……」


 襄公は目夷の言葉を聞き、そう呟いた。


 この戦での彼の余計な情けから宋襄の仁という言葉が生まれた。必要のない情けを示して失敗するという意味である。







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