孟の会
秋、宋の襄公は春に引き続き会盟を行うことにした。
呼んだのは楚、陳、蔡・鄭、許、曹の六か国である。実はこの時、魯にも使者を送っていたが魯は忙しいとして断っている。
特に楚は、楚に従う諸侯を宋に従わせることに春の会盟で同意していたにも関わらず、楚は諸侯を宋に従わせようとしていないため、それを責める意味もこの会盟にある。
目夷はこの会盟を行うのは危険だと思い、会盟を行うことを止めさせようとした。だが、宋の襄公はもう会盟を行うことを諸侯に通知しているため、今更やめるわけにはいかないと同意しなかった。
目夷は説得をあきらめると言った。
「禍はここにあるだろう。主公は強欲すぎる。堪えることができない」
宋の使者は楚に来ると楚の成王は思ったとおり来たなと内心、嘲笑いながら群臣の前では怒ってみせた。
「余を呼びだすつもりか。それならば友好を装い襲撃して辱めを与えてやろう」
彼はそう言うと使者を呼び出し、宋の襄公にこう伝えるように命じた。
「宋君に伝えよ。我が国と貴公の国とは友好関係である。故に余は乗車の会を望むと」
乗車の会とは武器を持たず礼服で行う会のことで武装して行う会は兵車の会と言う。
使者はこれを宋の襄公に伝えると彼は同意した。楚の成王はにやりと笑うと臣下に兵車を見られないようにするよう命じて、会盟の地、孟へ向かった。
このことを後で知った目夷は急いで宋の襄公に会うと諫める。
「楚は強国ですが武力に頼り、野蛮で義がありません。兵車の会として会に望まれるべきです」
「それはいけない。既に他の諸侯とも約束しており、自らその約束を破るような真似をするわけにはいかない」
彼はそう言うと一切武装することなく、会に臨んだ。
宋が一切武装してないことを知ると楚の成王は隠していた部下に兵車を率いらせ、宋の陣営に襲いかかった。
宋は全く武装を行ってはおらず、楚軍に驚き突破される中、宋の襄公は目夷に言った。
「汝は国に帰り、守りを固めよ。国はもともと汝のものである。私は汝の言に従わなかった故にこのようなことになってしまった」
「承知しました」
目夷としてはここで宋の襄公を守りたいが、ここには武器はなく、とても楚と戦うことはできない。
「但し、主公よ。囚われた祭、楚君にそのことと共にこう伝えてください。主公が国のことを敢えて言わなくても、国は元々臣(私)のものであると」
これは楚の成王が襄公を殺さないようにするための布石である。宋の襄公が頷くと彼は数人の臣下と共に脱出すると宋に帰国し、守りを固めた。
「宋君を捕らえたが……」
楚の成王は宋の襄公から目夷の言葉を聞き、どうするか悩んだ。ここで宋の襄公を殺し、宋を一気に制圧してしまおうと考えていたためにここで殺しても益が無いと考えたのである。
「だが、宋君はこちらの手元にあるのだ。宋の城下まで行けば宋を制圧することも難しくはあるまい」
成王は宋への進軍を命じた。
楚が城下に迫ってくるのが城壁の上からもわかった。
「楚は宋をこのまま制圧するつもりか……」
ただでさえ、襄公が楚の成王に囚われている。難しい戦になるだろう。
「皆のもの。しっかりと守りを固めれば楚は自ずと立ち去る。その時までの辛抱だ」
兵を鼓舞しながら彼は楚軍を睨んだ。
楚が宋を囲んでいる頃、魯は邾を攻めていた。
邾が須句に攻め込み、須句君が魯に逃れてきたためである。須句は魯の僖公の母・成風の故郷でもある。
成風は僖公にこう言った。
「明祀を尊び、寡弱を守ることが周の礼です。蛮夷が諸夏(中原の諸侯)を乱すのは周の禍です。須句を復国させ、太皥と済水の神を尊び、祭祀を修復を行えばその禍を軽くすることができます」
僖公は母を尊敬している。そんな母の言葉に従わない人ではない。
冬、魯は邾を攻めた。
「中々落ちないか……」
楚と宋の戦いは成王の予想に反し、長期化し冬の季節になってしまった。楚の兵が決して宋に劣っているわけではない。しかし、宋の城を落とせないでいた。
「こちらには宋君がいるのだぞ」
そのことを国民が知らないとは考えられない。
「使者を出して、こう言え。汝等が国を譲らなければ、余は汝等の主を殺すだろう、と」
使者が宋の城下で言われたとおり叫ぶと宋はこう返答した。
「我々は社稷の神霊の加護により、既に新しい国君を要することができている。帰れ」
「ちっ」
舌打ちをする成王は宋の城をかっと睨みつける。
(やはり、宋君が言っていた言葉は誠であったか)
今の宋を落とすために宋の襄公を殺しても何ら益は無いと彼は判断すると宋の薄で再び会を開き、諸侯を再び集めた。因みにこの時は魯は参加している。
この場で楚の成王は
「宋君を解放せよ」
こう命じ、襄公を解放した。
(まあ、良い。もし、宋君が戻って新君とやらと対立すれば良し。対立することは無くとも孟の会で宋君の顔に泥を塗ることはできた)
屈辱は充分与えたのである。彼は楚に帰国した。
解放された襄公は衛に逃げた。目夷が本当に国君となったと思ったからである。確かにここで本当に目夷は国君となることもできた。しかし彼は国君になろうとせず、襄公の元に使者を出す。
「主公のために国を守ったのです。なぜ帰国なさらないのでしょうか?」
目夷の言葉に誠を感じた襄公は帰国した。
帰国した襄公の顔は憂いの表情はあまりなかった。彼の名声は楚の成王に囚われたことで失墜していたが、彼は未だに諸侯の盟主となること諦めてないのである。
「禍はまだ終わっていない。主公を懲らしめるには至っていないのだから……」
目夷はため息をつく。それでも彼は宋の襄公を見捨てることなく、常に彼の隣にいる。そういう人である。




