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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第四章 天命を受けし者

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覇者亡き後の諸国

 紀元前642年


 春、後継者争いに敗れた斉の公子・しょうは宋に逃げ込んだ。宋の襄公じょうこうは彼を快く向かい入れた。


「公子殿、ご無事で良かった。とても心配しておりましたぞ」


「感謝致します。宋君」


 公子・昭は拝礼する。そんな彼の手を襄公は手に取り、言った。


「私が必ずや、あなたを国君に致しましょう」


「誠に、誠に感謝致します」


 涙を流す公子・昭を襄公は立ち上がらせ、侍女を呼んた。


「公子を頼む」


 侍女は拝礼し答え、公子・昭を連れ、彼の元から立ち去った。それを見届けた後、傍らに控えていた目夷もくいに顔を向ける。


「準備は整っておるか?」


「整っております。此度の戦に衛、曹、邾も参加します」


 彼が三ヵ国を挙げると襄公は眉をひそめて、言った。


「鄭は参加しないのか?」


 彼は斉での乱を収める上で鄭にも戦に参加するように命じていた。


「参加しないとのことです」


「愚かな……斉君の恩義を忘れたのか」


 襄公は苛立ちながら言った。そんな彼を目夷は諌める。


「主公よ。国にはそれぞれ事情があるのです。兵を出せないこともありましょう」


「わかっている」


 そう言うと彼は部屋を出た。そんな彼に目夷はため息をついた。









 宋の襄公、曹の共公きょうこう、衛、邾が斉に攻め込んだ。


「宋に先を越されたか」


 魯の僖公きこうはそう呟きながらも、魯に続いて攻め込む。


 流石に五ヵ国に攻め込まれることになった斉は彼らに苦戦を強いられ、敗れた。


 特に宋の勢いが凄まじかった。宋の襄公は公子・昭の後見を頼まれたことを自分を買ってくれたのだと喜び、この度の斉の混乱を憂いていた。


(斉君の死後にこのようなことになるとは、斉君は大層ご無念でございましょうな)


 彼は斉の桓公かんこうを尊敬しているためにその思いは人一倍大きい。


(私の手で斉の混乱を収めてみせる)


 そう気合を入れていたため、それが宋の兵にも伝染したのである。


 そんな宋を前に豎刁じゅちょうが軍を率いて、立ち向かったが宋兵の強さの前に敗れ戦死した。


 これによって、宋を大いに恐れた易牙えきがと公子・開方かいほうは三月、武孟ぶもうを殺し、公子・昭を擁立することを襄公に伝えた。


「良し、これで斉は安定するな」


「いえ、まだ警戒を続けるべきです」


 目夷には油断の二文字はない。そして、彼の懸念通り、公子・昭が斉に入ろうとすると武孟の他の公子たちがこれに激しく抵抗し公子・昭は斉に入ることができなかった。


「汝の言う通りであったな」


 再び宋は斉に侵攻し、甗で四公子の軍を破った。この戦いで公子・ようが戦死した。他の公子も公子・はんと公子・げんは衛に逃れ、公子・商人しょうにんは信望があったらしく斉に残り処罰されなかった。


 こうして公子・昭は斉にやっと入ることができた。これを斉の孝公こうこうと言う。


 これで斉の動乱は収まったかと見られたが……











 冬、孝公の即位に狄が反対して斉に攻め込んだ。更に狄の矛先は斉に協力した衛にも向き、衛の菟圃の地を包囲した。


 衛の文公ぶんこうはその報告を聞き、頭を抱える。


 この包囲にはかつて狄によって滅ぼされる憂き目に遭っていた邢も参加していた。


「何故、邢までも包囲に参加しているのか」


「斉君の即位に賛成しないという意思表示なのかもしれません」


 甯速ねいそくが文公を宥める。


「全く、斉の先君が亡くなれた途端この様か……」


 思わず、天井を仰ぐ。かつて衛が滅亡の憂き目にあった際、斉のおかげで復興できた。


(斉君の御仁徳は死後も続かないのか……)


 悲しいことである。斉の桓公が示したはずの仁徳はこれほど脆かった。


(いつまでも嘆くわけにはいかない)


「して、鄭への援軍要請はどうなっている?」


 甯速に問いかけると彼は静かに首を振り、答えた。


「断るとのことです」


 これを聞くと文公は拳を震わせる。


「信用ならない国だ」


「実は、鄭は楚についたという話しがあります」


「なんだと……」


 事実である。


 鄭の文公ぶんこうは斉の桓公が死んだと聞くや否や、楚に通じた。


 楚の成王せいおうはこれに喜び、銅を鄭に渡した。


 ここで言う銅とは青銅のことであろう。当時の武器は青銅で作られていた。そのため青銅は貴重な資源である。


 そんな中で青銅を鄭に安々渡した。成王らしくない行いである。そのことに気づいた成王は後悔し鄭と盟を結び、ここで兵器を鋳銅してはならないとした。


 鄭の文公としては舌打ちしたかっただろうが、楚に逆らえない以上、武器を作るわけにはいかない。そのため彼はもらった青銅を使って、三つの鐘を鋳た。


 このような鄭の文公のあり方は国の現状を鑑みて、斉という存在を失った以上は楚という大国に寄り添うべきだという考えも見えなくはないが、衛の文公としてはそのようなあり方は卑怯でしかない。


「なんという恩知らずな……」


「主公。我が国のみで戦うしかありません」


 宋、魯は斉での混乱を収めるために兵を出している。救援を望むのは難しい。


「そうか……わかった。明日、群臣一同を集めてくれ」


「承知しました」


 翌日、衛の朝議に群臣を初め、文公の兄弟一同も揃っていた。


「皆、聞いて欲しい。私の不徳故に狄の攻撃を受け、菟圃の民は苦しんでいる」


 静かに文公は話し始めた。


「私はこの責任を取って、この地位をこの地位に相応しい者に譲りたい」


 とんでもないことを文公は言い出した。そのことに群臣は大いに動揺しざわついた。


「主公よりもその地位に相応しい方はおりません。我らは臣下一同そう思っております」


 甯速が稽首し、言うと群臣も口々に同意する。


「ならば諸君。不才の身であるが国君としての職務を果たそう」


 文公は群臣の言葉に頷きながら玉座より立ち上がると宣言した。


「これより菟圃の民を救うために出陣する。良いな」


「御意」


 こうして文公が将兵を率いて、訾婁に陣を構えた。この陣容を見て、狄の大将は衛軍を警戒し矛を交えることをやめ、撤退した。狄が撤退したために邢も撤退した。


 衛の文公が将兵の心を一つにし戦に臨んだため、矛を交えず威で狄を追い払うことに成功した。






















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