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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第四章 天命を受けし者

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魯の僖公

 正月、宋に五つの隕石が降ってきた。


 その数日後、大風が吹いくと六羽の水鳥が本来、南方の海に行くのを逆方向に飛び、宋の都を通って行った。


 更にその数日後、周の内史・叔興しゅくきょうが宋を訪ねてきた。そこで宋の襄公じょうこうはこれらのことを話し、聞いた。


「これらは何の祥となり、吉であろうか凶であるか教えてもらいたい」


 叔興はこれに答えた。


「今年、恐らく、魯で大喪(複数の葬儀のこと)があり、来年になりますと斉で乱が起きましょう。その後、貴君は諸侯の支持を得ることになりますが全うすることはできないでしょう」


 彼はこう答えたが、襄公は何もそれに対し、答えることはなく叔興に礼を言うに留まった。


 その後、叔興は退室すると従者に言った。


「国君たる者がこれを問うべきではなかった。隕石が落ち、鳥が逆に飛ぶのは自然に存在する陰陽の気によるものであり、人の世とは関係がないものだ。逆に吉凶とは人によって生まれるものであり、陰陽とは関係ないものだ。私は君命に逆らえることができず、仕方なく答えたものの、本来国君たる者が問うべきことではない」


「ならば、宋君に禍いが起きましょうか?」


 従者が言うと僅かに叔興黙り、答える。


「宋君に禍いが起きる。それは事実である。だが、国の将来に禍いはない」


 襄公は叔興の言葉に対し、何ら答えず無言であった。その行為は将来への憂いが含まれていると彼は見たのである。


(己に起こる禍いよりも他国で起きる禍いを憂うことができるだけに惜しいものだ)


 彼はそう思いながら、宋を後にした。










 叔興の言う通り、魯では大喪が起きた。


 まず、三月に季友きゆうが亡くなった。


 季友は魯で、兄弟間での権力闘争を制し、魯の僖公きこうを支えた人物である。やがて彼の家は魯で季孫氏と言われ、魯で大きな権力を握る家となる。


 続いて四月には鄫に嫁いでいた公女が亡くなり、七月には公孫慈こうそんじが亡くなった。


 このように大喪が起きている魯だが、僖公は精力的に活動していた。


 当時、周に対し戎が絶えず攻め込んでおり、斉の桓公かんこうに周の襄王じょうおうが助けを求めた。桓公はこれに答え、魯を始めとした諸侯と共に周を救援した。


 この年、異民族による侵攻が相次いでおり、晋も狄に攻められ、大打撃を受けており、かい淮夷わいいに攻め込まれていた。鄶は堪らず、魯を通じて斉に救援を求めた。


 周の時と同じく桓公は答えると十二月、魯の僖公・宋の襄公・陳の穆公ぼくこう・衛の文公ぶんこう・鄭の文公ぶんこう・許の僖公きこう邢侯けいこう・曹の共公きょうこうを集め、淮で会した。


 諸侯たちは話し合い、淮夷の侵攻を防ぐために城を築くことを決定したのだが、労役に従事した多くの兵が疲労困窮してしまい。城を築くのに遅れが出始めていた。


 そんな中、ある日……


「斉で乱が起きた」


 ある人が夜に丘に登って叫んだ。恐らく疲労が溜まり過ぎたために言ったでまかせであったが……


「斉君は引き上げると申されるのか?」


 諸侯が集まっている会議の中、不機嫌になりながら魯の僖公が言う。


「左様である」


 斉の桓公は頷くと魯の僖公が反論した。


「城はまだ、築かれておらず、淮夷の侵攻を防ぐこともしていない。それにも関わらず引き上げるのは如何なものか」


「仕方なかろう。斉で乱が起きたかもしれんのだし」


 鄭の文公がやる気なさそうに言った。


「それは事実かどうかわからないではありませんか」


「魯君よ。諸侯の盟主たる斉君の決定だ。従うべきだ」


 苛立つ、魯の僖公を宥めるように衛の文公が言う。


「左様、念には念を入れておかねばならないではないか」


 宋の襄公が続けて言う。それを魯の僖公はきっと睨む。


「あれほど兵が苦労して、城を築こうとしているのですよ。それなのにその努力を無駄にし、鄶を見捨てるのはおかしいと思います」


「人聞きの悪いことを申すでない。我々は斉のことと兵を思いやってのことであり、鄶を見捨てるのではない」


 陳の穆公がそう言う。それを聞いて、魯の僖公はため息をつく。


(盟主は老い、正しくできず、宋と衛は斉の言いなり、鄭や陳などはやる気がない)


 こうして、諸侯が会したのは鄶を救うためなのだ。そのことを強く思っているのは彼である。


 最初に鄶に助けを求められたのは魯なのだ。そして、それに答えたのだ。そこには多少の見栄もあるが……


(鄶は私の娘が嫁いだ国でもある。見捨てるわけにはいかない)


「よろしい。皆様方、帰国なさってもよろしい。だが、我が国は残って、鄶を助けます」


 そう言うと彼は会議から立ち去った。その後、諸侯は正式に引き上げることとし、引き上げていった。残ったのは魯だけである。













「すまない臧孫辰ぞうそんしん、我が国だけで鄶を助けることになった」


 魯の僖公は頭を下げた。


「左様ですか……」


 臧孫辰の立場としては兵の疲労を踏まえ、引き上げたいというのが本音である。


(だが、ここで引き上げては魯は信望を失うことになる)


 彼は拝礼し、進言する。


「承知しました。しかしながら主よ。我らだけでは城を築くことはできませんぞ」


「わかっている。そこで我々は淮夷を攻める」


 臧孫辰は片眉を上げる。兵は疲労が溜まっている。そんな中で淮夷と戦うのは無茶ではないのか。


「城を築いて、淮夷を防ぐことができないのであれば攻めるしかない」


 僖公はそう言うと今まで黙っていた公孫敖こうそんごうが進言した。


「確かに相手もいきなり攻め込んでこないと思っており、警戒を緩めているかもしれませんが、一回、我々は引き上げるべきです」


「こうして残ったのに引き上げては諸侯の笑いものになるぞ」


 何も馬鹿なことを言っているのだという風に言う僖公に彼は言う。


「正確に言えば引き上げるふりをするのです。確かに相手の警戒は薄いでしょうが、他の諸侯が立ち去っているのに魯だけが引き上げていないのでは多少は警戒しましょう。その警戒を完全に無くすために一度引き上げるふりをし、警戒を緩んだところを攻めるのです」


「なるほど、確かにその通りだ」


 彼の意見に関心した僖公は臧孫辰を見る。臧孫辰は頷く。


「我が兵は疲労しております。されど我が国の勇士たちは戦となれば奮闘しましょう。彼の意見に賛成致します」


「良し、我らはこれより、淮夷を攻める。準備を致せ」


「御意」


 臧孫辰と公孫敖は拝礼した。











 魯は一回引き上げるふりを行った。それを見た淮夷は次どのように鄶を攻めるか話し始め、警戒を解いた。


 引き上げる途中で振り向き、魯は一斉に淮夷に攻め込んだ。


「走れ、走れ、敵に気付かれる前に走れ」


「応、応、応」


 僖公の叫びに兵たちは答える。


 当時の魯はますます政事が衰え、国事(祭祀・儀礼)の多くが廃されるほどであった。しかし僖公の代になると伯禽はくきん(魯の祖)の政治を回復させ、僖公自ら節倹に努めて民を愛し、農業を奨励するようになった。


 また、民の田地に害を及ぼさないため、坰野(郊外の野原)で馬を牧畜するようにした。


 坰野の馬は四種おり、良馬(祭祀等の行事で使う馬)、戎馬(戦争で使う馬)、田馬(狩猟で使う馬)、駑馬(輸送や雑役に使う馬)である。どの馬も強壮に育ち、この戦にも強靭な戎馬が参加している。


 民は僖公を名君として大いに称え、尊敬していた。


(我が君のために勝利を)


 兵の心は一つとなっていた。


 魯の強襲に淮夷は驚き、動揺した。彼らも必死に食い止めようとしたが、


(何だこの魯の兵の強さは)


 魯には強靭なる馬がいるのもあるが、なにより、僖公を慕う兵の強さは魯の歴史上最も強い。そして、遂に魯軍の強さの前に淮夷は敗れ、屈した。


「我らの勝利だ」


 僖公は手を挙げると兵たちも一斉に手を挙げて答えた。


 この時、公孫敖は淮夷の勝利に乗じ、別働隊を率いて項を攻め滅ぼした。淮夷の手助けをしていたからである。


「公孫敖殿の動きは規律に背いています。処罰するべきかと」


「良い、淮夷に協力していたのは事実なのだ。それを相手にしたのだ。良い、良い」


 そう言って、彼らは気にしなかった。


 淮夷の勝利、項を攻め滅ぼしたことで僖公の威は天下に轟いた。










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