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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第四章 天命を受けし者

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小心翼翼

 紀元前644年


 管仲かんちゅうが世を去ると鮑叔ほうしゅく、管仲の後任であった隰朋しゅうほうも世を去った。


 名臣たちが多くいなくなった斉に重耳ちょうじ一行がやって来た。


「ここが斉か……」


 斉の都は活気に溢れ、多くの商人が行き交っていた。


「我が国よりも多くの人がいるな」


 重耳は人の多さに驚く。


「流石は覇者の国と言うべきでしょうかな」


 狐毛こもうが頷きながら言った。


「覇者か……」


 周王の代わりに諸侯をまとめる存在。それが覇者である。そして、今の覇者は斉の桓公かんこうである。


(衛の復興を助け、楚との侵略を防いだ方だ)


 衛の復興のことを聞いた時、感動したことを彼は覚えている。するとそこに数人の兵が駆けてきた。


「晋の公子様方でしょうか?」


「そうだ」


「では、こちらへ我が主が歓迎致すということでした」


「誠ですか」


 重耳たちは驚いた。自分たちは都に着いたばかりであり、そのことを斉の桓公に伝えてはいない。


(それにも関わらず、斉君は我らのことを知り、更には歓迎しようとしてくれている)


 衛で歓迎されなくなかった分、桓公の歓迎はとても嬉しかったのである。


「衛君とは違うな」


 思わず、重耳は呟く。それを見て、趙衰ちょうしは僅かに眉を顰めたが何も言わなかった。









「良くぞ参られた公子殿」


 斉の桓公は席に着いたままにこやかに重耳を招き入れた。


「大層な歓待、感謝致します」


 重耳は拝礼を行う。


「良い、良い。そんなに固くなさらず。おい、公子殿方を席に案内致せ」


 桓公は係の者に重耳たちに席に着かせるように命じた。


「承知しました。公子様、こちらへ」


 席に案内されて、各々席に着くと、女官が料理を運んできた。


「さあ、公子殿方。どうぞお食事を」


「感謝致します」


「うむ、では乾杯」


 桓公は盃を掲げて、言うと口元を隠しながら酒を飲んだ。重耳らもそれに続いて酒を飲む。そして、各々料理に手を伸ばす。


「これほどのご馳走をいただき感謝致します」


「う、うむ、そう言ってもらって大変嬉しく思いますぞ、公子殿」


 箸を止めていた桓公は重耳の言葉を聞き、少し驚いた後、ぱっと表情を変え答えた。そんな桓公に違和感を覚えた重耳であったが、何も言わなかった。


「公子殿よ。大変な長旅であったであろう。我が国にゆっくり滞在なされよ。歓迎致しますぞ」


「ありがたきお言葉でございます」


 重耳は感動しながら拝礼を行う。


「晋の公子殿は礼儀正しい方であるな」


 桓公は大いに笑った。










「気宇壮大とは斉君のことを言うのであろうな」


 重耳は桓公との宴の後、狐偃こえんらに向かって、桓公を称えた。


「あのような方が覇者なのだな」


 彼は桓公の迫力に終始圧倒されたと言って良く。桓公の度量の大きさに感嘆していた。


 そんな彼を尻目に趙衰は狐偃に耳打ちする。


「斉君のことをどう思われた?」


「国家の重鎮を失いながらもそれを憂いず、危ういかな」


 狐偃はそう答えた。


 斉は管仲、鮑叔、隰朋という名臣が世を去っている。斉には例え彼らがいなくとも何ら問題ないという自信というものを示していると言っても言いかもしれないが、


(小心翼翼……これが今の斉君に必要なことではないのか)


 小心翼翼とは慎み、恭しくする様のことである。


(国君足るものは天の大きさを畏れ、大地の広さに畏れるものだ)


 今、斉の桓公に並ぶ諸侯もおらず、斉の領土も広い。だが、そのことを畏れるのが名君なのではないのか?今までは管仲という稀代の名臣が桓公を支え、抑えでもあった。だが、その彼はいなくなった。


(管仲のいない斉は桓公のあり方次第で、大国で有り続けるのかそれとも……今、斉はその岐路に立たされているのではないのか)


 狐偃の言葉に趙衰は頷く。


「斉は長くいるべき地ではないかもしれません」


「その通りだ」


 彼らはこのように考えていたが、後日、桓公から重耳に娘を嫁がせられることとなり、しばらく斉に滞在することになる。









 一方、重耳との宴を終えた桓公は困ったような表情をしていた。


(以前よりも美味しくない料理ばかりであったな)


 彼はため息をつく。彼は管仲の遺言を守り、易牙えきが竪刁じゅちょう、公子・開方かいほうの三人を追放していた。


 だが、彼らがいなくなった後、色々と不便なことが起きていた。


(また、易牙の料理でなければ何ら味はしておらず、竪刁がいなければ宮中に混乱が起き、開方の言葉がなければ不安になる)


 彼らは寵愛を受け、桓公の元で良く働いていた者たちばかりである。それにも関わらず、管仲の遺言を守って、追放してしまった。


(彼らがいなければ不便だ)


 不便になるのであれば追放しなければ良かったと彼は後悔し始めた。


「仲父ほどの聖人でも誤ることはあるのだな」


 そう思うと彼は彼らを呼び戻すように命じた。そして、彼らが戻ってくると今まであった不便さは解消されたため、桓公は再び彼らを寵愛するようになった。


 彼は今まで、管仲の言葉を常に信じてきた人である。しかしながら最後の最後になって管仲の遺言を守らず、管仲が追放すべき三人を招いてしまった。


 最後になって管仲を信じきれなかった彼は畏れすれも失っていたのかもしれない。


 畏れを忘れた者に如何なる運命が訪れるのだろうか……









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