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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第四章 天命を受けし者

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剣技舞う

「何、重耳(ちょうじ)がいないだと」


 部下の言葉を聞き、寺人・()は言葉を発する。


「それは誠であろうな?」


「誠でございます」


 彼は目を細めて思案する。


(我らが重耳の首を狙っていたのがばれたのか?しかし、それにしては動きが速いな)


 しかしながら今、重要なのは重耳らはどこに行ったかである。


「行き先はわかったか?」


「今、調べさせております」


「そうか……」


(自分が重耳であればどこに向かうか……)


 取りあえず、北の方角はあり得ない。なぜならば北は狄の集落が点々としているためそこに逃げるのは現実的ではない。


(西もなかろう)


 西には秦がある。晋の恵公(けいこう)と対立したとはいえ、頼みにするのは晋の者であれば心情的に難しいだろう。


(南か東ならばどちらを選ぶか……東だな)


 東には大国の斉がある。あそこに逃げ込んで保護を求めれば恵公から守ってくれる可能性が高い。


(斉へ行くには衛を通るだろう)


「報告します。先ほど村人に聞き込みしたところ重耳と思われる一行が東の方角に向かって行ったとのことです」


 それを聞き、披は部下たちに命じる。


「やつらは恐らく、衛に向かったのであろう。これより我々は先回りし、衛に入る前に重耳の首を取る。良いな」


「御意」


 部下たちは一斉に動き出す。


「国君よりの命は絶対である」


 それが寺人の生き方である。









 衛に向かう重耳一行は森の中を進んでいた。


「撒くことができただろうか?」


「それはわかりません」


 魏犨ぎしゅうが言うと胥臣しょしんが答える。


「ふん、例え来ようとも我らで追い払えば良い」


 自分の腕を叩きながら顛頡てんけつが言う。


「相手は寺人の披であると狐偃こえん殿が申していた。前に主を襲うとした油断のならない男だぞ」


「やつは卑怯なだけだ」


 魏犨はそう言って彼をたしなめるが顛頡はそっぽを向く。


「魏犨の申す通り、警戒はすべきだ。主に指一本触れさせてはならんからな」


 先軫せんしんが同意を示す。


「披だけでなくとも賊なども襲いかかってくれるかもしれない。用心すべきだ」


「誠にその通りだ。取り敢えず、前方を私が、主の近くを魏犨と先軫、後方と食料は顛頡と賈佗が受け持って、警戒しよう」


 皆、胥臣の言葉に頷き、持ち場についた。











 樹木が生い茂る中を進む、重耳一行を遂に披たちは見つけた。


「重耳らでございます」


「うむ、この先に襲いかかるに良い場所はあるか?」


 披が尋ねると部下の一人が地図を開き言った。


「はい、この先をしばらく歩いたところに道が狭まっている場所がございます。また、ところどころ傾斜もございますので、そこであれば襲うのに相応しいかと」


 彼の言葉に披は頷くと指示を出す。


「良し、そこで重耳の首を取るぞ。良いな」


「御意」


 彼らは一斉に動き出した。











 重耳ら一行は狭い道に差し掛かり、苦労しながら通っていた。


「道がやけに狭いな。ここを通るしかないのか」


「はい、ここしか道がないのです」


 御者の言葉にうんざりした様な顔をする重耳。


「しばらくのご辛抱でございます」


「わかっている」


 そんな重耳に趙衰ちょうしはため息をつく。


 その時、葉が上からひらりと降ってきた。それは何ら可笑しいところのないものではあったが、趙衰は上を見上げだ。するときらりと、何かが光った。


「主よ」


 彼は重耳の服を後ろから引っ張った。


「何をする」


 怒りを表わにする重耳、だが、その時、黒装束の男が上から降ってきた。そして、男は剣を構えると


「重耳、覚悟」


 剣を重耳に向かって突き出す。


「主よ」


 趙衰は再び、重耳は後ろに引っ張り、御者は後ろから男に斬りかかる。


 重耳は引っ張られたおかげで男の剣をすれすれで避けることができた。空を切った剣を男は回転することで、御者を切り裂く。


 男が御者を切り裂くと同時に男……披と同じ、黒装束の男たちが現れ、重耳ら一行に襲いかかった。


「敵襲、剣を抜き、主を守れぇ」


 趙衰が珍しく、感情を表わにしながら叫ぶ。


 応、と臣下たちは一斉に剣を抜き、重耳を守ろうとするが、男たちがそれを阻む。


 披は剣についた血を払って、重耳に再び襲いかかる。趙衰が剣でそれを防ごうとするが、彼の剣は披によって、弾かれる。


「趙衰」


「申し訳ありません。少々、剣術は苦手でして」


 こんな状況で謝辞を言う趙衰。


「主、趙衰殿。頭をお下げください」


 突然、後ろから大声が発せられると趙衰はそれに答えて、重耳の頭を下げさせる。すると、矛が彼らの頭上を通り、披を切り裂かんと迫る。


「ちっ」


 迫り来る矛を見て、舌打ちをする披は飛び上がり、これを避けた。


「主よ。こちらへ」


 魏犨は重耳を呼ぶ。


「助かったぞ、魏犨」


「お怪我は?」


「なんとか大丈夫だ」


 それを聞き、ほっとした魏犨は披を睨み、矛を構える。


「主には指一本触れさせん。趙衰殿。主を狐偃殿の元に」


 彼の言葉に趙衰は頷くと重耳を連れ、その場を離れる。


「逃がさん」


 披はそれを追いかけようとするが、魏犨が矛を振るい、それを止める。


「行かせんぞ」


「邪魔な男だ」


 鋭い剣が魏犨に向かって、放たれる。それを彼は防ぐ。


「ここで貴様を殺す」


「やって見ろ」


 矛と剣がぶつかり、火花が散った。









「主よご無事ですか」


 趙衰に連れられた重耳を見て、狐偃が駆け寄る。


「大丈夫だ。今、魏犨が賊を抑えてくれている」


「だが、賊の剣技は凄まじいものです。いつまで持つか」


「なるほど。賊は恐らく晋君の手の者でしょうな」


 狐偃はそう言うと先軫を見る。彼は頷くと、


「助太刀に行きます」


 魏犨の元へ走り出した。


「しばらく耐えれば賊は去りましょう」


「ああ」


 重耳は力無く頷いた。







「前方が騒がしいな」


 顛頡は二人の男の頭を両手でぶつけ、頭を砕くと言った。


「もしかしたら主を狙う晋君の手の者かもしれませんな」


「何、それは大変なことだぞ」


 顛頡は身体を震わせ、矛を手に持ち、駆け出す。


「顛頡殿、何処に行かれる」


「主の元へだ。後は頼むぞ賈佗」











 剣はまるで蛇のような動きを見せ、魏犨の身体を切り裂く。


(何という剣技か)


 彼は会ったことの無い武勇を持った怪物に恐れを抱いた。


(だが、主を殺させるわけにはいかないのだ)


 力一杯に矛を振るう。だが、披はそれを難なく避ける。


(こちらの攻撃が当たらん)


 武勇の差というものはこれほどはっきりと出るのは珍しい。それほど披の剣技は凄まじいものがあった。


「魏犨殿。助太刀するぞ」


 そこに先軫が現れ、剣を披へ振り下ろす。これも披は剣で受け止める。


「先軫殿、よく来てくれた」


 彼は矛を再び、突き出す。


「ちっ」


 先軫の剣を弾き飛ばし、披は矛を避ける。


「気をつけろ。やつの剣技は凄まじいぞ」


「わかっている。だが、負けるわけにはいかない」


 先軫は剣を突き出す。


 二つの剣と矛が舞い踊る中、傷が増えていくのは魏犨と先軫の二人ばかりである。


「二対一でも圧倒できないとは」


 苛つく先軫は剣を振るうが、披はその剣を弾く。そして、身をかがめ、魏犨に近づく。


「そろそろ決着をつける」


 彼はそのまま魏犨の足に切りつける。


「くっ」


 足を切りつけられた魏犨は膝をつく。


「死ね」


 彼に披は剣を振り下ろす。その時、黒装束の男が投げ飛ばされてきた。


「ふん」


 披はこれを難なく避けると死体となっている黒装束の部下を見て、投げこまれた方向を見る。


「ちっ当たんなかったか」


 そこには顛頡がいた。


「顛頡、なぜここにいるんだ。お前は後方を守っていたはず……」


「決まっているだろ」


 矛を肩に抱え、披に向かって駆け出す。


「あの時の借りを返すためよ」


 披に近づき、矛を振るった。


 これも避ける披だが、如何に優れた武勇の持ち主といえども三体一は厳しく、苦戦を強いられるようになっていく。


「ちっ」


 舌打ちした彼は懐から小さな細い、笛のようなものを取り出し、それを吹いた。


「何だ?」


 笛の音に先軫たちは疑問を抱いたその時であった。後方から煙が上がった。


「主に何かがあったのか?」


 後方の煙に気を取られている隙に披は森へ駆け出すと彼らから離れた。


「しまった」


「まてぇ貴様ぁ」


 彼らはそれに気づき、追いかけようとするが、披の足の速さには追いつけることができなかった。


(この隙に乗じて、重耳を……)


 そう思った瞬間、彼に悪寒が走った。そして、彼は横に転げるように飛び出すと周りの草が切り裂かれ、舞う。


(今のは……最初に重耳を襲った時の……)


 草が舞う中、剣をもって佇む男がいた。


(できるなこの男)


 先軫たちとの戦いで疲労している彼は目の前の男の剣技を見て、戦うのは不利と判断した。笛を出し、部下に撤退を命じた。


 撤退をする彼らを男は敢えて追わなかった。まるで何の問題もないと言うかのように。

















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