穆姫
「主君は囚われたか……」
「なんということか」
晋の大夫たちは皆、悔しさを滲ませながら口々に呟く。
「慶鄭はどこだ。あの男がこの戦の敗因ではないか」
慶鄭はこの戦の後、勝手に帰国していた。
「それよりも国君のことだ如何にする」
「こうなっては仕方ない。我々は秦の後を追い、秦君の恩情に従うしかない」
大夫・梁由靡が言った。
「その通りだ。我々の姿勢を見れば秦君も恩情を下さるかもしれない。皆で行こうぞ」
虢射を始め、大夫たちは彼に同意していく。
そんな彼らを見て、韓簡が呆れる。
(これが国の重責を担う者たちか……)
そのような方法しか晋の恵公を助ける策を出せないことだが、
(ここで全員行ってどうするのだ)
国の守りを薄くすることになるではないか。もし、この隙を突いて他国が攻め込んできたらどうしようと言うのか。
「私は国に残り、守備に着く」
彼はそう宣言し、この場を離れた。
(国君に尽くすことだけが国に忠を尽くすことではない)
韓簡という人はこういう人である。
「主よ。晋の大夫たちが我らの後を追ってきています」
公孫枝の言葉を聞き、秦の穆公は振り返った。
そこには髪を乱した大勢の晋の大夫たちが列をなして、歩いている。
「彼らの元へ行く」
彼はそう言うと車を彼らの元に向け、行くよう御者に命じた。
穆公は彼らに会うとこう言った。
「汝等は何を心配しているのだろうか。私は晋君に従い西に行き、晋の妖夢(恐らく太子・申生のお告げ)を実現しようとしているだけである。私の行為が度を過ぎていることはないではないか」
晋の大夫らは三拝稽首すると答える。
「貴君は后土を踏み、皇天を戴いております。皇天・后土とも貴君の言をお聞きになっております。我らは貴君の風下にいるだけです」
全て、穆公の命に従うだけであると彼らは言っているのである。
(悪くない)
彼らの態度を見て、穆公は思った。勝者と敗者。戦に勝つということはこういうことなのだ。
(これで晋は私に従うようになるだろう)
彼は笑った。
韓原での大勝は秦に伝わった。
「ははは、我が国が勝ったそうだ」
「いい気味だぜ」
「噂だと晋の国君を囚われたとか」
「それは本当か。だとすればすごいことだぞ」
人々は勝利に熱狂した。
(弟が囚われましたか)
その熱狂の中、複雑な心境で聞いていたのが、穆公の夫人である穆姫である。
(弟が敗れたのは自業自得です。しかし……)
恵公と穆姫は姉弟なのである。同情はある。
(しかし、弟は私の言葉を聞き入れず、この国から与えられた恩義を忘れるどころか恩を仇にして返すまねをしました)
決して赦されないことを恵公はしている。
(だけど、あんなのでも数少ない弟でもある)
この時代、家というつながり、血というつながりが重要視する時代である。
彼女もそれは例外ではなかった。
「主公。奥方様より喪服を着た使者がやって来てこのような書簡が」
穆公らが秦の首都に近づくと穆姫から書簡が送られてきた。穆公はそれを開き読む。そこにはこう書かれていた。
『天が災を降し、二君が玉帛を持って会うのではなく、兵を起こして会うこととなりました。晋君が朝、秦に入りましたら、私は夜に死にます。夜、国に入るようでしたら翌朝に死にます。国君の判断に任せます』
彼はこれを読むと使者に聞いた。
「これは誠に夫人が申したことか?」
「誠でございます。夫人は太子・罃と公子・弘および公女・簡璧様と共に高楼に登られ、下に大量の薪を敷いておられます」
(焼死する覚悟か)
穆姫の覚悟に驚きつつ、彼女のことを大した女であると称えた。
「晋君を郊外の霊台に置いてから国に入る」
それに待ったをかけたのは丕豹である。
「お待ちください。晋君と共に入国するべきです」
彼は晋への仇討のために尽くしたのであり、仇である恵公を殺さないまでも屈辱を与えるべきであると考えている。それにも関わらず、穆公はそれをしようとしない。
(しかも女の言によってだぞ)
それが更に忌々しくさせている。
穆公は言った。
「晋君を捕えたことは大きな戦果だと思っていた。されど帰ってすぐに喪を招くようでは、戦果を得たとて意味がない。大夫にも何の役にも立たないはずだ。晋の大夫たちのあり方によって私を動かし、天地を使い、私に意思を伝えている。彼らの思いを考慮しなければ彼らの怒りを増加させることになるだろう。約束を守らなければ天地に背くことになる。怒りを増加させれば国君としての任を難しくし、天に背けば不祥を招く。晋君を釈放するべきではないか」
彼は戦に勝ったことで満足しており、ここで度量の大きさを示すことで晋も従うだろうと考えている。
「されど……」
丕豹は尚も食い下がろうとするが、穆公は恵公と晋の大夫らを霊台に置き、国に入った。
国に入った穆公を見て、穆姫は安心して迎え入れた。その一方、丕豹が未だ恵公を国に入れるよう進言を続ける。それどころか恵公を殺せと過激なことまで言うようになった。
{主公よ。いっそのこと晋君を殺してしまえばよろしい」
「わかった。わかった。汝の意見はよくわかった。しかし、ほかの大夫の意見を聞いてから判断したい」
彼はそう言うと大夫を集め、彼らに言った。
「晋君は殺す、放逐、帰国、復位。どの方法が最も国に利益をもたらすだろうか」
公子・縶が進み出て進言する。
「殺すべきです。何故ならば悪を重ねさせてはならないからです。彼を放逐すれば他の諸侯と結ぶ恐れがあり、帰国させれば我が国に禍をもたらすでしょう。復位させれば晋の君臣団結を許し、主君の憂いとなりましょう」
彼の意見に公孫枝が反論する。
「いけません。大国の将士を中原で辱め、その君を殺してしまえば、子は父の仇を討とうと思い、臣下は主君のために報復しようとします。そうなれば秦が滅ぼされる時、天下の同情を得ることはできません」
「公孫枝殿の意見は間違っております。今の晋君を殺して終わりではないのです。公子・重耳を代わりに立てるべきです。晋君の無道は多くの者が知っており、公子・重耳の仁も知らない者はおりません。大国に勝つのは武であり、無道を殺して有道を立てることは仁です。戦いに勝利し後の害を除くのは明智です」
この意見に丕豹が賛同した。
されど公孫枝がまたもや反論する。
「一国の将士を辱め、有道の者を入国させて彼等を治めさせるのは、相応しくない行為です。相応しくないことをしたら諸侯の笑い者になりましょう。戦いに勝って諸侯に笑われるようでは武とは言えず。弟を殺しその兄を立て、兄が我々を感謝して親族を忘れるようならば、仁とは言えず。もし兄が弟を殺されたことを忘れれば我々が恩恵を施しても意味がない。これでは智と言えません」
公子・縶らは他国からどう見られるようになるのかという意識と怒りへの認識が欠けている。もはや、秦は辺境の国ではなく、他国と並ぶ国であり、国の怒りの恐ろしさを知っておかねば晋のようになるのだ。
「ならば、どうするべきか」
穆公は元より、公孫枝の方を尊重している。
「晋はまだ滅びません。そのため晋君を殺しても怨みを買うだけです。史佚(周の賢臣)もこう言っております。『禍を起こすべきではなく。乱に頼るべきではなく。怒りを増加させてはならない』。怒りを増加させれば功績を立てることは難しく、人を虐げれば不祥を招きます。晋君を釈放して復位させ、講和するべきです。その代わり、晋君の嫡子(太子・圉)を人質に取ればよろしいかと考えます。我が国に害がないばかりか、大きな利益を得ることができます」
「公孫枝の意見を採用する」
穆公はそう宣言した。
秦が晋との講和を考えていることをどこで知ったのかわからないが恵公は知った。郤乞にそのことを自国に知らせるように命じた。




