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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第四章 天命を受けし者

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忌と克

 百里奚ひゃくりけいが軍を率いて、梁に出向くと夷吾いご郤芮げきぜいが向かい入れた、


 百里奚の手を取りながら夷吾は言った。


「良くぞ参られました。秦君の恩義、忘れません」


「我が君は晋とは親戚関係でございます。晋と協力し合うのは当たり前のことでございます」


「感謝致します」


 頭を下げる夷吾を見ながら、百里奚は郤芮を見た。


(この者の考えから全ての策は出ているようだな)


 夷吾が晋君となった後、権力を握るのはこの男かと思いながら、彼は夷吾ににこやかな顔を見せ続けた。






 百里奚は夷吾と共に晋に向かった。そこに兵士が駆け込んできた。


「報告します。斉君を中心に諸侯が軍を率いて、晋に向かっております」


「なんだと」


 夷吾がそれを聞き、動揺する。


「落ち着いてください公子。何の問題もありません」


 百里奚は兵の方を見ると命令した。


「斉君の元に使者を出し、我らの行いについて説明せよ」


「御意」


 恐らく、斉の桓公かんこうら諸侯たちは晋の混乱を鎮めるために出向いたのであって、晋や秦と戦をしに来たわけではない。


 彼はそう考えていた。そのため何ら動揺しなかった。







 使者と謁見した斉の桓公は傍らに控えている管仲かんちゅうに聞いた。


「秦は晋君を擁立し、国政を裏で操ろうとしているだろうか?」


 だとすれば盟主として秦と戦うべきではないのかという問いである。


「それは何とも言えません。秦が擁立しようとしている公子の人柄もよく知りませんし、秦君がどのような方であるのかもわかりません。ただ」


 晋はともかく、秦とはほとんど関係を持ってない斉は秦という国のことをよく知らない。そのため、判断が難しい。


「晋の混乱を収めようとしていることは正しき行いであり、我らはそれに対し、非難することはできません。もし、新たな晋君を傀儡にしようとすればその正しき行いは色あせてしまいます。そうなれば自ずと秦君は自滅することになります。何の心配もありません」


「ふむ、左様か。ならば隰朋しゅうほうに兵を与え、共に晋に向かわせるか」


 そうすれば斉も夷吾の即位に同意し、晋の混乱を収めることに一役かったことになるだろう。


「宜しいかと、ただその前に秦に私を使者として出していただきたい」


「それは良いが……」


「秦の宰相に会って見て、秦のことを知ろうと思います」


 彼はそう言った。






「何、斉の宰相が使者としてやって来たと」


 百里奚は驚きながらも彼は周りの者にもてなすための用意を急いでさせた。


「斉の宰相殿が参りました」


「通せ」


 陣幕を開かせると管仲が入った。彼を出迎えながら、百里奚は拝礼し言った。


「良くぞ参られました。私は百里奚と申します」


「秦の宰相自らのおもてなし感謝致します。管仲と申します」


 彼らは互いに礼を述べながら、席に着いた。


「公子・夷吾を晋君として擁立することに斉も賛成と考えてもよろしいでしょうか?」


「そう考えていただいてよろしいです」


 そこにもてなしの食事と酒が運ばれる。


「それは良かった。公子・夷吾は才気溢れる方でございます。晋は良い国になりましょう」


「そうあってもらいたいと思います」


 互いに言葉を交わしながら百里奚は管仲を観察する。


(あの時会ってから何も変わっていない。いや、あの時よりも大きく見える)


 宰相という地位は同じだが、実力に関しては大きな差を感じた。


(まだまだ私も精進しなければな)


 彼はそう自嘲する。


 管仲もまた、百里奚を観察している。


(良政を行える人だ)


 彼はそう感じた。百里奚の風貌は温和で人に警戒心を持たせず、他者を思いやる人であると思った。


(秦は良い宰相を得た)


 このような人材がいることから秦という国、そして彼を寵愛している秦の穆公ぼくこうの君主としての器量の大きさがわかる。秦の穆公の器量の大きさはもしかしたら己の主と勝負できるかもしれない。


 君主の力量は臣下の姿を通してわかるものである。


「これ以降、両国の関係を良くしていきたいですな」


「左様ですな」


 彼らはその後、一刻ほど話した後、別れた。







 管仲が戻ると斉の桓公は晋の高梁こうりょうまで至ってから隰朋に軍を率いらせ、百里奚と合流させ、夷吾を都に入れ、晋君として擁立した。これを晋の恵公けいこうと言う。


「ご苦労であった」


 その後、隰朋が戻ってくると管仲が彼を労う。


「新たな晋君はどのような人であった?」


「父に勝る方ではありません、また、信義に欠ける方だと思いました」


 彼はそう答えた。


(晋の献公より劣り、信義が無いか)


「秦は晋君を利用しようとして、しっぺ返しをくらうことになるか?」


「可能性はあります」


「そうか……」


 だとすれば晋の混乱はさらに大きくなることを意味する。


「謀の多い方ほど足元をすくわれることがあります」


「そうかもしれないな」


 斉を始めとした諸侯は退却した。






 郤芮が秦に恵公の擁立への感謝を述べるためにやって来た。


「此度のこと、我が君は心より感謝しております」


「なに、両国の関係を思うが故のことである。気にすることはない」


 秦の穆公は郤芮を労いながら、こう続けた。


「公子(夷吾)が晋で頼りにしているのはどのような方かな?」


 彼は夷吾がどのような政治を行い、誰に政治を担わせるのかに興味を持っていた。


 すると郤芮は答えた。


「亡人には党がなく、党があれば敵ができるといいます。夷吾は幼少の頃から遊戯を好まず、争って度を超えず、怒気を顔に表す方ではなく。成長してからもこれら変わっていません。そのため国外に亡命しても民を怨むことなく、晋の民衆も安心しております。その他のことはわかりませんが、夷吾のように不才な者に、頼れる者がいるでしょうか?」


 彼は夷吾の美質を述べつつ、秦を頼りにしていることを遠まわしに述べている。


 秦の穆公はそれを聞くと彼を下がらせ、公孫枝こうそんしを呼んだ。そして、郤芮との話を話した。


「夷吾は国を安定させることができるだろうか?」


「準則に則れば国を定めることができると言います。『詩』には『知識を得らず、上帝(自然)の準則に従う』とあります。周の文王ぶんおうはこれができました。また、『人を騙さず、傷つけず、このような人物が人の模範にならないはずがない』ともあります。これは好悪が無く、忌(嘘)もなく、克(強がり)を好まないという状態です。郤芮の言葉には忌も克も見て取れます。国を安定させるのは難しいでしょう」


 特に郤芮が恵公を擁立してくれたはずである穆公に対してそのような言葉を向けたところが一番の欠点である。


「忌があれば怨みも増える。そのような状態では誰も克(勝利)を得ることなどできない。これは我が国にとって良いことだ」


 だが、そのような者を用いる恵公の器量のほどを悟った彼はそう言って笑った。







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