同じ穴の狢
晋の献公が世を去った。
荀息は彼の遺言通り、奚斉を立てた。
だが、奚斉を立つことに不満をもっている者の中で里克が動いた。彼は荀息を訪ねた。
「三公子たちの怨みが今にも燃え上がらんとしている。秦(ここで秦が出てくるのは秦の穆公が献公の娘を娶っているため)も晋もそれを支持するだろう。あなたはどうするつもりか?」
それに荀息は即答する。
「私は主のために死ぬだけだ」
彼の答えに目を細めながら里克は言う。
「もしあなたが死ぬことで奚斉が認められ即位できるのなら、あなたの死に意味が生じるだろう。しかしあなたが死んでも奚斉はやはり廃されることになる。結果あなたの死は無益なものになる」
「私は先君との約束を破ることはできない。あなたは約束を守り、しかもわが身を愛することができるだろうか? 確かに私の死は無益なものになるかもしれない。だが、私はその死から逃げるつもりはない。人は誰でも善を求めるものである。その気持ちに関してあなたが私より劣ることはないだろう。また、私自身に二心を持つつもりはないのに、はたして他者に二心を持つように勧めることはできるだろうか?」
里克の言葉は現状をよく見ているのだろう。それは荀息とて理解している。だが、彼は主との約束を守ることが第一であり、それこそ正しき行為であると考えている。
彼の良さはそれを他者に押し付けないところであり、里克のような考えにも理解することができる。
そんな彼を見て里克は彼の説得が無理であることを理解し、彼の元を離れた。
ここで荀息が里克に対して何らの対処を行わないのが彼の理解しづらいところである。
里克が向かった先は丕鄭の屋敷である。
「丕鄭よ。三公子たちの怨みが今にも燃え上がらんとしている君は如何にする?」
「荀息は何と言っている?」
「死ぬだけであると言っている」
そうか、と彼は呟くと里克の目を真っ直ぐ見て言った。
「二人の国士が行動を起こせば失敗することはない。私はあなたに協力することを約束しよう。あなたは七輿大夫(申生に仕えていた下軍の大夫。共華、賈華、叔堅、騅歂、累虎、特宮、山祁)を率いて私を待っていてください。私は狄を動かし、秦の援助を求めましょう。また、徳が薄い者(夷吾)を国君に立てましょう。そこから厚い恩賞を得ることができるからです。徳の厚い者(重耳)を国に入れなければ、我々が国を操ることができるだろう」
彼の言葉に過激さがあることが多い。
「それはいけない。義とは利の本であり、貪欲は怨恨の本であるという。義を棄てれば利は立たず、貪欲さを厚くしすれば怨みが生まれる。孺子(奚斉)は民の罪を得たのか。そうではない。驪姫が国君を惑わし、民を騙し、公子らを讒言して利を奪い、国を乱して公子らを出奔させ、無罪の者(申生)を殺して晋が諸侯の笑い者となったため国民は憎悪しているのである。これは大川の堤防が決壊した時のようであり、救うことができない勢いとなっている。だからこそ、奚斉を殺して国外の公子を迎え入れるのは、民を安定させて憂いを無くすことを目的にすべきだ。そうすれば諸侯も我々に協力するだろう。民衆は諸侯が義によって晋を援けたと思い、喜んで新君を支持するようになるだろう。今もしも国君を殺し、富を得んとすれば、貪欲によって義に背くことになる。貪欲は民の怨みを招き、義に背いて富を得ても自分のためにはならない。富のために民の怨みを招けば、国を乱し身を滅ぼすことになり、その様は史書に記録されることになる。富を保つことなど到底できない」
丕鄭は納得した。
その後、彼らは密談を行い、策を練った。
十月、里克らは喪次(喪に服すための草廬)で喪に服していた奚斉を襲い殺した。
そのことを知った驪姫は唖然とし、荀息、優施は驚いた。
「夫人よ。申し訳ございません。全ては私の責任であります」
荀息は頭を下げる。それを見ても驪姫は唯々、動揺するだけであった。
「荀息殿、どのようにこの責任を取られるのだ」
「死を持って責任を取ります」
彼はそう言うと剣を抜き、自害しようとする。それを優施が止める。
「まだ、卓子様がおります。彼を擁立し、補佐するべきです。それが先君との約束を守ることにもなります」
彼としては荀息が死ねば、自分を始め驪姫に味方した者は皆、粛清されることになるだろう。ならば荀息に卓子を擁立し、補佐することで権力を掌握し里克らを除くべきである。
荀息は彼の言葉に納得し、卓子を擁立することにした。
「やはり皆、殺すべきだな」
丕鄭がそう言うと里克は頷く。
彼らの動きを優施は察し、荀息に彼らを殺すように進言した。だが、何故か彼の動きは鈍い。
「今度こそ、彼らは私たちを全滅しようとしております。急ぐべきです」
「先に卓子様の即位を廟で宣言することが先だ」
その言葉に優施は舌打ちをする。荀息は形に拘り過ぎている。
彼は動きの鈍い荀息を放って独自に動き始めた。
だが、その動きは里克らに察知され、彼らは姿を隠した。
優施は兵たちに叫ぶ。
「探せ、なんとしてもやつらを始末せねばならない」
しかしながら里克らは上手く隠れており、見つからなかった。
そうこうしている内に十一月、に入り荀息は朝廷で卓子の即位を宣言した。そこに里克らが剣を持って乗り込んだ。
「逆賊、卓子ら一党を討つ」
里克が叫ぶと荀息らに襲いかかる。
「卓子様を守れ」
荀息らも必死に抵抗する。朝廷は血の海と化した。
朝廷から、荀息らは不利を悟り、宮中に逃れようとする。
「逃がすな」
里克らはそれを執拗に追いかける。宮中に入った彼らは抵抗する者あれば次々と殺していく。
「あれは……」
丕鄭は宮中で逃げている驪姫の姿を見た。
「あの者を逃すな。あの者こそ全ての元凶である」
わっと兵たちは驪姫を追いかけ、殺した。
一方、里克は優施を追いかけていた。
「優施。覚悟せよ」
そして、彼は優施を宮中の角に追い込んだ。優施の身体には赤い血がべっとりとついていた。
「ははは、まさかあなたのような男に追い込まれるとは思っていなかった」
「申生様の仇を討つ」
「申生の仇とは笑わせてくれる。申生を守れなかったどころか、申生を裏切ったに等しい男が先君が亡くなったのをいいことに仇を討つと宣う。愚かだな」
優施は高笑いをする。里克はかっと目を開かすと彼の身体に目掛けて剣を突き出した。剣は深々と彼に刺さった。
「所詮お前も同じ穴の狢に過ぎない癖に……」
優施は死んだ。
その後、卓子が殺され、荀息が自害されたことが伝えられた。
里克と丕鄭は新たな晋の主として重耳を招くため、使者を送った。




