宋の桓公
紀元前652年
正月、斉の桓公、魯の僖公、宋の桓公、衛の文公、曹の共公、陳の太子・款が曹の洮の地で会盟を行った。
この会盟の主旨は鄭の文公を会盟に受け入れるか否かと周王室の安定についてである。
鄭の文公に関しては諸侯たちの間では不信感はあるものの、鄭を受け入れることに同意した。
周王室に関しては諸侯は改めて、周の襄王が正当な後継者であるとし、襄王を盛り立てることとした。
そして、前年から秘密にしていた恵王の喪を発した。
これにより、取り敢えず、周の襄王は正式に諸侯に認められた王となることになった。
これに悔しい思いをしたのは王子・帯である。
だが、斉の桓公という強い後ろ盾に逆らえるほどの力を持ってない彼は我慢した。
会盟を終えた宋の桓公は帰国すると病に倒れた。病に掛かった彼は己の死期を悟り、太子・茲父を自室に呼んだ。
「私が死んだ後、国を頼むぞ」
茲父はその父の言葉に拝礼し、言った。
「父上、そのことについて私は辞退させていただきたい」
「なぜだ」
桓公は後を継ぐのを辞退するというとんでもないことを言い出した我が子を睨みながら、彼は問いかける。
「私よりも国君に相応しい方がおります。目夷です。目夷は年長で仁の心があります。彼を国君に立てるべきです」
目夷は慈父の庶兄に当たり、字を子魚と言う。この人は、才気に溢れ、傲慢な部分を持たず、とても優秀な人物であった。
「汝がそのようなことを申すとは思わなかった。良かろう。目夷をここに招け」
茲父は拝礼し、兄を呼ぶため部屋を出た。
一刻後、目夷はやって来た。
「ご要件は何でしょうか?」
「目夷よ。私はお前に後を継いでもらおうと思う」
「なりません」
目夷は拝礼をしながら、断る。
「我が君がそのように仰るのは太子の言葉があったためでございましょう。されど良くお考え下さい。国を譲るという行為ほど大きな仁がございましょうか。私は仁において、太子に劣っております。また、私が継げば立君のあり方を乱すことになります」
彼はそう言うと、退出した。
「太子は謙虚さがあり、目夷には誠実さがある。宋はこの二人がいれば安泰であるな」
病に衰弱した身体を震わせながら桓公は言った。
紀元前651年
三月、宋の桓公は世を去った。
彼は南宮万の乱の際、国君となった人であり、本来は国君にならなかったかもしれなかった人である。
彼が継いだ後は宋は混乱が起きることなく、無難に国を治め他国とも協調しながら国に平和をもたらした。宋における名君の一人であったと言って良いだろう。
彼の後を継いだ茲父を宋の襄公という。ある戦で有名となる人物である。
彼が喪に服し、目夷が宰相として政治を行い、夏を迎えた頃、魯から会を行うという通知が来た。
「我が君は喪に服しておられている。この会には参加できないな」
彼はそう呟いたが、この件を襄公に伝えた。
「参加しよう」
「参加するのですか?」
目夷は襄公の言葉に驚いた。
「先君は斉や諸侯との関係を重視し、慈しんでこられた。その関係を私の代で途絶えさせるようなことはないようにしなければならない」
彼はそう言うと会見先に向かった。
葵丘での会に参加したのは魯の僖公、斉の桓公、宋の襄公、衛の文公、鄭の文公、曹の共公。そして、周公・宰孔である。
葵丘で集まった諸侯は以前結んだ盟約を確かめ合い、友好を深めた。
この場でおいて、周公・宰孔は襄王の言葉を伝えた。
「『私が今、この地位に居られるのは伯舅(斉の桓公)のおかげである』と仰られた。そこで天子は文武(文王と武王)の祭祀を行い、この祭祀での胙を斉君に下賜することを命じられた。よって斉君に胙を下賜する」
「おおぉ」
諸侯たちはこれに驚きの声を上げる。
宗廟の胙は本来、同姓の諸侯に配る物であるため、異姓の斉に下賜したというのは大きな意味をもつことになる。
斉の桓公は階を降りて拝礼しようとすると宰孔はそれを止めた。
「天子は私にこう仰った。『伯舅(桓公)は老齢でありながら大功も立ててくれた。一級を賞賜して下拝(階を降りて拝礼すること)を免じる。』と」
本来の礼はいらないと言われた彼は動揺し、横に控えている管仲を見た。
「君が君らしくなく、臣が臣らしくないのは、乱の原因となりましょう」
彼の言葉を恐れた斉の桓公は宰孔に言った。
「目の前に天威があるにも関わらず、天子の命に甘えるわけにはいきません。下拝しなければ諸侯の中において大きな過ちを犯し、天子を辱めることになります。どうかこのまま下拝をさせてもらいたい」
彼は階を降りて拝礼した。そのため宰孔はそのまま彼に下賜し、斉の桓公はこれを受け取った。
更に周王室は彼に龍旗九旒(九本のふき流しがついた旗)、渠門赤旂(赤い大旗)を下賜した。
会での斉の桓公の礼儀の良さを諸侯は褒め称えた。
特に宋の襄公は大いに彼を称える。
「見事であるな斉君のあり方は」
周王室に信頼を寄せられ、諸侯をまとめ、礼において誤りを見せなかった。その姿に彼は感動したのである。
「私も斉君のようにありたいものだ」
彼はこの会がきっかけとなり、斉の桓公の信奉者となっていく。そんな彼を見て、目夷は険しい顔をする。
(己の身の丈を超えた野心は身を滅ぼす)
確かに斉の桓公はすごいがそれは斉という国柄、管仲の支えなどがあるためである。
宋は斉よりも劣っているにも関わらず、斉の桓公と同じことをすれば身を滅ぼすことになるのではないのか。それが彼の懸念である。
その懸念はやがて当たることになる。




