鄭の太子・華
七月、斉の桓公、魯の僖公、宋の桓公、陳の太子・款が鄭の太子・華と魯の甯母の地で会盟を行った。
「鮑叔。良く鄭を会盟に連れてきてくれた」
管仲は彼を称える。
「だが、鄭君は信用できないぞ」
「わかっている」
この会盟は鄭への態様についての会盟であったが、そこに鄭君自ら出向き、斉に謝罪するべきではないのか。それなのに鄭は太子を送ってきた。
(鄭は誠実さに欠ける)
いつから鄭はこのような国になったのだろうか。かつて、鄭は諸侯の中で最も発展した国であったはずなのだ。
あえて言えば、鄭という国は中原の真ん中に位置する国であるため、国土は豊かであるが、周辺は他国と接しており、勢力拡大のためには周辺諸国と戦うしかない。
このように周辺諸国と戦い、更に後継者争いにより豊かであった国力を失い他国との軋轢に苦しむようになり、やがて今のような鄭が生まれてしまった。
(国というのは難しいものだ)
彼はそう思いながら、斉の桓公の元に出向く。
「仲父よ。此度の鄭の態度をどう思う?」
彼も鄭の態度に誠実さを感じてはいなかった。
「明らかに鄭には二心がありましょう」
鄭の態度を見ればそれは明らかである。
「されど我が君。二心を抱く者を招く時は礼を用い、疎遠な国を懐かしむには徳を用いる。さすれば帰順しない者はいないといいます。我が君はこの場でこれを行うべきです」
斉は盟主である。盟主としての器量を見せなくてはならない。
「うむ……わかった」
斉の桓公は彼の進言を聞き入れ、諸侯らを礼遇し、諸侯から周王室に納める貢物を提出させると王室に納めさせた。
こうして、会盟を行った後、斉の桓公に謁見を求めた者がいる。鄭の太子・華である。
「鮑叔。これは君が関わっているか?」
「いや、私は知らん」
管仲は鮑叔が鄭との関係を修復させるために鄭の太子を抱き込んだと考えたが彼の言葉を聞く限り、それはない。
(鄭の太子の独断か……)
だが、わざわざ謁見を申し込んだからには無下にするべきではない。彼はこの謁見を許すよう斉の桓公に進言した。
謁見を許された鄭の太子・華は桓公にこう言った。
「我が国には洩氏、孔氏、子人氏の三族が居ります。彼らは君命(斉の桓公による命令)に逆らうように主張しています。この三族を斉君のお力により除いていただければ、鄭は君命に従います。貴国に不利はないはずです」
鄭の文公には愛妾が多く、子も多かった。そのため彼は太子とはいえ、その立場は決して磐石なものではない。
そこで彼は国外の力、斉の力を借りて、己の地位を磐石なものにすることを考えたのである。
桓公はこの場で明言することを避け、彼を一旦下がらせると管仲に顔を向けて言った。
「私は鄭の太子の進言に同意しようと思う」
桓公としてはいつ裏切るかもわからない鄭だが、太子に協力すれば鄭を裏切らせなくすることができるのではないのだろうかと彼は考えたのである。
それに対し、管仲は首を横に振る。
「我が君は礼と信をもって諸侯と会盟を行ったにも関わらず、姦悪をもって終わるつもりでしょうか。子が父を背かないことを礼といい、時機を見て君命を完成させることを信といいます。この二者に背くことほど大きな姦悪はないでしょう」
「我々が鄭を討伐しても鄭を従わせることができず。今、このような機会が来たというのにこれを利用しないのか」
「もし我が君が徳によって諸侯を安んじ、訓戒を与えても相手が従わなければ諸侯を率いて鄭を討てばいいでしょう。鄭が滅亡を逃れることはできません。されど罪人(太子・華)を利用し、鄭に臨もうとすれば名分を鄭に与えることになります。鄭は我々を恐れなくなりましょう。こうして諸侯を集めたのは元々徳を広めるためです。罪人と同席すれば後世に示しがつきません。諸侯の会とは徳・刑・礼・義が全ての国で記録されます。罪人を参加者の列に加えれば、盟約の意義を失うことになります。逆に姦計を隠し、事実を書き残さなければ盛徳とは言えず、同意してはなりません。こちらが彼の謀を用いずとも鄭は必ず盟約を受け入れましょう。また、彼は太子でありながら大国に頼り、自国を弱めようとしております。彼が禍から逃れることはできません。そもそも、鄭では叔詹、堵叔、師叔の三良が政治を行っているので、隙を衝くこともできません」
特にこのような後継者争いに首を突っ込めば、痛い目を見ることのほうが多い。鄭の太子のことは放っておくことが懸命である。
「なるほど。仲父の言う通りにしよう」
桓公はそう言って、太子・華の意見を退けた。彼に関しては二年後、父に殺されることになる。
甯母での会盟が終わった頃、晋が里克に軍を率いらせ、梁由靡が戦車を御し、虢射が車右を務める。彼らは狄(翟)を攻め、采桑の地でこれを破った。
敗れた狄は逃走する。それを見ながら、梁由靡が進言する。
「狄は恥を知らず、逃げることに何ら屈辱しない連中です。敗れて遁走する敵を追撃すれば我らは大勝できましょう」
されど里克はこの意見を聞き入れなかった。
「狄の侵攻を防げば充分だ。敢えて狄の大軍を招くことはないだろう」
それに虢射はため息をつくと言った。
「一年後、狄が必ず反撃します。今、追撃しないのは我々の弱さを示すことになるからです」
叩いとけるときには叩くものである。しかし、里克は首を縦に振ることはなかった。
彼は重耳に同情があるため、狄を攻めたくはなかった。
結局、彼は退却した。
しかし、虢射の言う通り、一年後狄の侵攻を許すことになる。
この一方、周の恵王が崩御した。
後を継いだのは王子・鄭である。これを襄王という。
彼は異母弟の帯が謀反を起こすのを恐れ、恵王の喪を隠し、密かに斉にこのことを伝えた。




