とある日の、生徒会室
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柏木祀は西城冬歌が好きだ。
むしろ愛しており、一生を添い遂げたいと強く願うほどに西城冬歌に惚れこんでいる。
好きになったきっかけは――――とくにない。
有体に言えば、一目惚れかもしれない。3歳児が何をマセたことをと、馬鹿にするならすればいい。それだけ柏木祀は西城冬歌に本気だった。だが、恋に盲目になった訳ではない。
西城冬歌以外が見えなくなるようなことはなく、柏木祀はそれが一時のモノかどうかをじっくりと考えた。傍にいる時間が多いから、そう錯覚したのかもしれないと考えて別の女と関わってみたが――――西城冬歌に抱くような恋情はなかった。
適度に西城冬歌と関わり、自分の感情が確かな物かと真剣に向き合って。
柏木祀は4歳で悟った。
自分は西城冬歌を愛しているのだ――――と。
それを父親に言えば、「4歳の言葉じゃない」と引かれた。母親には「初恋って早いのね」と、困惑しながらも応援された。
想いを自覚してから、柏木祀は西城冬歌と出来るだけ一緒にいる時間をとった。
幸いなことに家は近所で、傍にいるのになんら支障はない。だから柏木祀は西城冬歌を愛した。5歳まで言葉にして「好きだ」と告げていたが、どうも西城冬歌はその台詞を幼馴染としての好きと思っているようだ。まったく本気にされない。
一方通行の愛情に、泣きたくなった。
だがまだ自分は5歳。
これからがある。そう思った柏木祀は――――西城冬歌に惚れる男の存在に気づいた。
同じ保育園の、自分には劣るが将来有望そうな子供。
そいつが西城冬歌に何かとちょっかいを出し、意識させようとしていた。好きな子ほど苛めたいを体現する男に、柏木祀は独占欲から排除した。
暴力を振った訳ではない。
泣かせはしたが、肉体には傷をつけていない。――精神は別として。
心を砕かれたその男は、それ以来、西城冬歌に近づくことはなく、むしろ恐れるように離れて行った。弱い男だと嘲笑し、柏木祀は満足した。
だが、柏木祀は嫌でも思い知らされた。
西城冬歌は自分の者ではない――――まだ。
誰か、柏木祀ではない存在に奪われるかもしれない。
柏木祀りではない、誰かを愛するかもしれない。
それが堪らなく怖くて、柏木祀は西城冬歌に5歳でありながら「結婚」を口にした。あんのじょう、西城冬歌は理解しなかった。だから約束した。
一方的な口約束。
けれど、確かに手にすると決めた未来。
違えないと自分自身に誓ったはずなのに、柏木祀は不安だった。だって西城冬歌は――。
柏木祀の問いに「考える」と答えた西城冬歌は、今も――考えてくれているのだろうか?
「考えてないだろな」
ぽつりと呟いて、柏木は眼を覚ました。
「縁を切りたい――って言葉が、何よりの証拠だし」
誰もいない生徒会室で仕事をして、春の陽気に誘われるがまま居眠りをしてしまったのか。柏木はぐっと身体を伸ばして、机にある緑茶のお茶缶に気づく。飲むか考えて、止めた。
ふいに視線を動かし、書きかけの書類を胡乱に見下ろすと、椅子の背もたれに寄り掛かる。
「自分で言うのもアレだけど、昔の俺って本当・・・年不相応」
母親がよく嘆いていたが、思い出す限り確かに泣きたくなる。
あんな子供によくもまぁ、愛情を注いでくれたものだ。柏木だったら薄気味悪くて、育児放棄するだろうに。そう考えると自分の両親は偉大で、包容力のある懐が広い人間だ。しみじみと思って、ふいに浮かぶ感情。
だけどそれ以上に。そんな柏木を気味悪がらず、傍にいてくれた西城がより一層――愛しくなった。
くるりと、椅子を回転させた。
「何か用事があるなら、手早くすませてくれるか、幸一」
「・・・・・・何で、まだ入ってもないのに俺だって判るんだよ。気配か、気配なのか? もうお前、人間やめたのかよ」
「馬鹿なこと言うために来たなら帰れ。邪魔だ、鬱陶しい。酢昆布、没収するぞ」
「やめろ! 酢昆布は俺の味方だっ」
ドアを開けて入って来た夏目は、鞄に入った酢昆布を護るように抱きしめた。けれど生徒会室から逃げ出さない所を見るに、柏木に用事があるのだろう。
くるり、くると椅子を動かしながら柏木は欠伸をした。
「嫌なら要件を手短いに言え。俺は早く冬歌に逢いたいんだよ」
「・・・西城不足かよ、お前」
「そうだな。冬歌がいないと、やる気も起きないほどには不足してる」
「さらりと肯定するなよ」
夏目が脱力した。
「ま、いいや。その西城から伝言――『30分ほど遅れる』ってさ」
「メールすればいいのに、何でわざわざ幸一に」
「充電がヤバいってさ。で、偶々通りかかった俺がメッセンジャーになった訳」
不満気な柏木に夏目は肩を竦め、部屋に備え付けられたソファに腰を降ろした。
「それにしてもさ」
夏目が室内を見渡し、何とも言えない顔をした。
「この部屋、相変わらず変だよな」
和室や給湯室にシャワー室、乾燥機付き洗濯機や大型テレビ。おおよそ生徒会室にあるとは思えない物が、こぞってこの部屋には存在する。
夏目は弾力性のあるソファを触りながら、歴代生徒会長の趣味だろうかと首を傾げた。
「初代校長が学生時代に『こんな生徒会室が欲しい』と考えて、特に力を入れて作った部屋だからな。――家具や食器は歴代生徒会長の趣味だけど」
校長が主に関与していたようだ。
「一体、校長の学生時代に何があったんだ・・・?」
「知りたくても相手はすでに墓の中。・・・イタコを使って呼ぶのと、臨死体験して本人んい聞きに行くのとどっちがいい」
「疑問符がない! や、しないからなそんなこと!」
「冗談だ、冗談」
「冗談に聞こえないのが怖い・・・」
脱力したようにソファからずり落ち、夏目は深く長い息を吐きだした。
くるり、くる。柏木が椅子を回転させ、視線を窓の外へ向けた。何気なく見下ろした先にある池で、数名の釣り人が無言で釣竿を垂らしている。穏やかな光景だが、学校にあるまじき姿だ。
見馴れた光景故に何とも思わないが、他校から来た生徒はこれを見て何度も眼をこすり、教師や生徒会役員に「あれは良いのか?!」と聞いてくる。良いも何も、この学校は基本的に自由だ。勉学をきちんと収め、素行が悪くなければ放任してくれる。
初代校長の理念が――楽しく思い出になる高校、だ。
現校長の理念は――学生の仕事をすればそれで良し、だが。
「そう言えば今度、他校と対抗試合するのに助っ人として呼ばれたんだろ?」
「そうだが、何で知ってる」
「サッカー部が話してたの聞いた。けどお前、その日って執行部会があるんだろ? 大丈夫なのか?」
「対抗試合を速攻で終わらせるだけだ。問題ない」
真顔で告げた柏木に、夏目は感歎をもらした。
判ってはいたが、改めて柏木祀という人間はスペックが高い。先程の言葉も必ず有言実行するだろう。とすれば、対抗試合は鷲ヶ丘高校の勝ちか。
「本当、お前って凄いわ」
容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群。
これだけ条件をそろえているのに、嫉妬の類が少ないのは人間が、あまりにも優れた人間を嫉妬ではなく羨望するからだろう。
柏木が優れている程に、仕方がないと諦める。
柏木が優秀である程に、当然だと受け入れる。
女子に優しいだけではなく、男子にも平等に接するから殊更に。
ただ、それが猫を被った上での対応だと知る者は少ない。知ったとしても、柏木本人に口封じをされて誰にも告げられなくなる。――友人は、別に告げる必要がないからと口を噤むだけだが。
「なのに何で、西城相手だとアレなんだよ」
「・・・は?」
「お前が西城に惚れてるのは解ってるし、手に入れたいってことも知ってる。けど、あれじゃあ西城、お前から逃げるだけだぜ?」
鞄から酢昆布の箱を取り出し、封を切る。
「縁、切られるんじゃねぇの?」
酢昆布を銜え、夏目は柏木を見た。
相変わらず窓の外を眺める横顔は、平然としていて焦りも動転も見られない。読みにくい奴と心中で呟き、酢昆布を噛む。
「縁が切れたとしても、それは幼馴染としての縁だ」
「それ以外の縁は切らせない、ってか?」
「当然だ。俺は、絶対に冬歌を落とす。――――冬歌以外、愛することなんて出来ない」
もはや執念に近い想いに、夏目はこの場にいない西城を脳裏に浮かべた。
縁を切りたいと願う西城は、果たして柏木の深い愛慕に気づいているのか。いや、気づいていながらも、知らない振りをしているんだろう。自分相手にありえないと考えて。
「・・・ちなみに、縁が繋がってても西城が逃げたら?」
「捕まえる」
即答だった。
「俺から逃げられないように、俺以外を見ないように、俺しか考えないようにする。それでも逃げるなら、別の手を使う」
犯罪の臭いがして、夏目はドン引きした。
それはつまり――よくて監禁、悪くて心中すると言うことだろうか? 想像して、ありえそうだと血の気が引いた。
このまま西城が柏木から逃げ続けたら、柏木の精神は確実に病む。
流石に友人がヤンデレになるのは嫌だ。夏目はソファから立ち上がり、椅子に座る柏木に近づいた。勢いよく書類が乗った机を叩く。書類が数枚、宙を舞った。
「俺も協力するから犯罪だけはやめろ!」
「・・・・・・母さん達にも言われたが、幸一に言われると腹が立つから殴っていいか?」
「殴ってから言うなよ! って、え? 小母さんが言った・・・?」
「ああ、『犯罪者だけにはならないようにするから』って、二人して宣言されたが・・・。俺は別に罪を犯すつもりはない。何を心配してるのやら」
不満そうな柏木に、夏目は頭を抱えた。
両親にすら危機感を抱かせるって、どれだけなんだ。痛む頭を押さえながら、夏目は複雑な眼で柏木を見た。知らぬ顔で書類を眺めている。
自覚がないって恐ろしい。仕事を始めた柏木から顔をそらし、床に散った書類を拾った。
数字の羅列が眼に痛い。何かの呪文に感じて、早々に眼をそむけた。
「あー・・・とりあえず、西城とお前がくっつくように俺も協力するから。それだけは覚えててくれ。あと犯罪は駄目、絶対!」
「はいはい。解った、解った」
適当に相槌を返す柏木から、興味の欠片も感じない。
だが、言質は取った。それだけで十分だ。
夏目は書類仕事を再開させた柏木に背を向け、ソファに向かって歩き出す。テーブルに置いた酢昆布の箱を掴み、中身を取り出して口に銜える。
「西城には悪いが、俺は柏木――お前に味方する」
「それはどうも」
「だから柏木―――――犯罪に手は染めるなよ!」
「しつこい」
お茶缶を投げられた。